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詩歌句誌面

読解なくして論評あらず。

青木長右衛門嘉房著『我身一代夢懺悔』の読解(其の1)

      【我身一代夢懺悔上之巻】

【通読】 
 人心誠実の生意感発して指しゆく所のもの、是を志と言うなり。
 俗語の書物は万々夢の中と之れ有り。
 然るに依って、予も夢の世の中として書き綴り候う得ども、夢と申すものは知れざる事は夢に見ず、みな心に思う事ばかりなり。
 然りながら、中年前は先夢なり。中年後は則ち正夢なり。
 年月時刻移り候う得ば夢の世と我人思う。
 さて、人間は耕作の実〇の如くなり。
 生い立ちは稲も稗もあまり相変わらざる物なり。
 段々介作をよくして肥やしを致す時は、例え相順ならざるの年なりとも、まず稲は稲、稗は稗の時を得て相応の穂を孕むものなり。
 是までの間、殊の外に世話のやける物なり。
 其の上に作物は実法候う。
 而も時化風の事まま之れ有り候う。
【通釈】
 人の心の誠実さを生き生きと奮い立たせて行く事を志というのである。俗語の書物に記されている事の全ては夢の中の出来事のようなものである。だから、私も私の半生に体験を夢の中の出来事として書きますが、夢と申すものは、知らない事は夢に見ず、みな心の中で思う事ばかりなのである。しかしながら、中年までの出来事は先夢であり、中年後の出来事は正夢である。歳月や時刻がが移り変わり行くので、これまでの我が半生は夢の世界の出来事と私は思う。さて、人間というものは、田畑で作られる作物のようなものである。生い立ちは稲も稗もそんなには違わないものではあるが、徐々に手当をよくして肥やしをやれば、例え気候が不順な年でも、稲は稲、稗は稗の時を得て、それ相応の実を孕むものである。しかしながら、そこまでに仕立て上げるためには、殊の外に世話が焼けるものであり、その上に、作物には実法というものが有り、而も、時化や台風に遭う事もままあります。

【通釈】
 人間実栄して実法までは、介抱作物よりも世は少なし。
 五穀は草生が肝心なり。
 人間とても勿論の事に候う得ども、小児の時、朝夕の食物、寒暑の世話、家業の道並びに行儀・躾、形ばかりなり。
 もはや二十歳にも相成り、善悪共に我が心の寝かせ起こしは我が心次第なり。
 其の我が心の善悪が我が心に相判りて二十五歳くらいまでに規矩を極める程の人ならば百千の人にも勝ること安かるべし。
 人は我が心の行いにて時化風の難も無く心安き人間の実法なり。
 何卒、二十歳より二十五歳までの間に思い付くべきなり。
 年老いて振り返り見れば、残念の事ばかりなり。
 酒食茶屋遊びも面白けれど、跡へ残る物無し。
 儀礼、世の中の赤本・青本、彼も見、是も見、書面にて学びて見れば面白く相成り、昼夜とも忘れられず、終いには書に眼を下ろしたくなるものなり。
 善悪の道、品々これ有るあいだ、始終の事を弁えてよき道に入るべし。
 今月より来月、今年より来年と年を続けるほどに面白く相成り候う。
 我らは愚者ゆえ六十歳に相成り候うて、其の心出でたり。
 一日も早く世の中の事を悟らんと欲すべし。
 故に古歌にも、「悟りとは根のなき松の若みどり末枝に鳴らぬ禅の一声」、「闇の夜に鳴かぬ鳥の声聞くは生まれぬ先の父母の恋しき」(と在り。)

 時に寛政元(年)酉年、父の義は三十七歳、下拙は十歳なり。
 其の正月十一日、同断十八人にて伊勢参宮に父も出で立ち致され候うところ、則ち来たる二月上旬下向の由来たり候うあいだ、平塚宿まで村中大勢にて迎えに参り、私も行き候うところ、父の義は清蔵と申す男同道にて上方筋へ参られ候うの由、下向の人ごとに申され候う得ば、何となく悲しくなりて相成り泣き出し、村方まで泣き泣き帰り申し候。
 然るところ、父ことは伊勢より熊野路へ懸かり、西国三十三ケ所へ札を納め、高野山・大和廻り、大坂より京都へと之れ趣く。
 一体、父こと下拙同様に芝居好き、其のうえ人形上手にて、諸々村々の師匠に出で候う位の事ゆえ、大坂機関芝居を見、並びに神社仏閣に参詣尽くし候うて、それより愛(宕)山・加茂・比叡山へ懸かり、大津へ出で、所々残らず参詣致し、それより中山道を下り、信州善光寺へ参り、坂東三十三ケ所へ参詣の心掛け之れ有り候うところ、殊の外に腰痛候うとて思案を替え、秩父三十三ケ所へと趣き、八王子より三月下旬下向致され候。
 其の形容は柳行李を両掛けに貫き、其の荷物の上へ大きなる串柿一把携えて草鞋のままにて彼の串柿を解きて、寛爾寛爾顔にて一串ずつ土産に貰い申し候。
 其の時の事は、今に目先に見ゆる如くにて、其の嬉しさ限りなく、虚空に賑わしき心持ち今に忘れず候。
 然るところ、帰り帰り腰痛、医師に掛り候うとも一向に宜しからず、夏中ふらふらとし九月中旬頃には医者二、三人も懸かり居り候。
 十月中旬の頃は殊の外に難しく候て、医師五人掛り居り候。
 然るところ、小稲葉村・全南と申す医者の申され候には、「底痛かも知れず、片岡村・一学という外科医者あり。是に見せたき」由を申し候うに付き、早速呼び迎え見せ候へば、「三日ほど遅し。叶い難し」と申し、針を致し候うところ、汁三升ほど出で候。
 樋針・西の内紙にて紙縒りを縒り入れ候うところ、八寸程入り候。
 「明日、汁七、八合にも相成り候わば早速迎えの人遣わされるべき」由を申し帰られ申し候。
 然るところ、明朝三、四合ほど出で候。
 一学大いに悦び、段々日に増し相減じ候うところ、病人饂飩を所望致し候えども、共毒かも知れず候うと申し候う得ども、一同承知致さず乞い候うに付き、是非無く拵え候うところ、誠に旨しとて二膳ほど食し申し候。
 其の明る日、又に候、汁増長し、一升ばかりに殖え候。
 之に依って、一学も恐れをなし、「最早療治相叶わず候」と申し帰り候。
 程無く十一月十四日夜、三十七歳を定業として死去仕り候。
 当春中神社参り、夏より秋まで田畑を荒らし、其の上、春より冬まで医者の薬礼、十月下旬より大人参日々買い、合わせて金一両ずつと申す事に候。
 之に依って、当一ケ年に凡そ金壱百両程の臨時損耗と聞き及び候。(続く)


 
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青木長右衛門嘉房著『我身一代夢懺悔』の読解(其の13)

【通読】
 「其の節に女子相渡し申すべく候」と申しければ、仲人大いに歓び立ち帰り、重ねて富右衛門罷り越し候うあいだ、女子引き渡しを引き渡し候うところ、「早速、御礼に御酒にても差し上げるべきところ、遠方の事ゆえ、是れ少しと粒金にて金壱分酒代なり」と差し出し候うあいだ、「又に候、恥ずかしめ其ればかりは一向に勘弁なき男なり。酒屋の杜氏と聞きつるがあまりなる仕方なり。是は納められず候うあいだ、当所に濁り沢山有るあいだ、樽へ入れて一升なりとも持参致されよ。我は賤しく暮らしても金段には拘らず」と申し候えば、「是れも又思し入り候」と申して、金一分を懐中し、近き日の内に御礼に差し上げるべしとて罷り帰り候。
 折節、雨催いに候えば、紙合羽一枚、傘一本貸し遣わし候うところ、其の後、一切罷り来ず候。
 猶又、荒川長左衛門も一切来たらず。
 さてさて、此の人達などが人面獣心という人なるべし。
【通釈】
 「その節に女をお渡し申します」と申したら、仲人は大いに喜び立ち帰り、それと同時に富右衛門が参りましたので女を引き渡しましたところ、「早速、お礼にお酒でも差し上げるところですが、何分に遠方のことゆえそれは叶いません。是は少しばかりですが、粒金で金一分、酒代です」と差し出しましたので、「重ねて申しますが、私という人間は、人様に恥ずかしめを受ける事、その点ばかりは一向に気にしない性格です。貴方は酒屋の杜氏であると聞きましたが、こんな遣り方は過分なる事です。こちらとしては、その金粒は受け取れませんから。そちらには濁り酒が沢山ありましょう。樽へ入れて一升なりともご持参下さい。私は賤しい暮らしをして居てもお金などには拘りません」と申しましたら、「是も又考えて置きましょう」と申して、金一分を懐にして、「近いうちに酒樽をお礼に差し上げましょう」と言って帰りました。折節、雨模様であったので、紙合羽一枚と、傘一本を貸し遣わしましたところ、その後は一切来ません。なお又、荒川長左衛門も一切来ません。さてさて、この人たちなどが「人面獣心」という類の人間であるに違いない。

【通読】
 十ケ年ほど相過ぎ、其の村方の者に承げ候えば、「右の女子も二、三ケ年連れ添いて後に病死致し候」と〇候。
 右の始末、無宿者の江戸目明し忠蔵並びに同然の女房を引き請け、当人共に二十日余り囲い置き、飯代、判代も取らず、女衒の真似を致し、是等の始終を案じて見ると、先ず大馬鹿者なり。
【通釈】
 十年ほど過ぎてから、その村の者に、此の件に就いて告げましたら「右の女も二、三年は連れ添い、その後に病死致しました」と言って居りました。右の始末は、私が無宿者の江戸の目明しとその女房同然の者を引き受け、二人とも二十日余りも匿い置き、飯代も判子代も取らずに、挙句の果てには女衒紛いの事も致しましたという事であり、これらの始終をよくよく考えてみると、私という男は、先ずは大馬鹿者である。

【通読】
 然りながら、義とは不事を思えば、人の為とて彼是へ手足を運び腰弁当にて心配を致し候えども、落ち目なれば人の物を掠んずる候う故か、無難に納まる事は納まりしか、格別に心を痛め、是れと申すも、我が身家督が有り候うては、又々難しきものなり。
 地獄の上の一足飛び、大骨折りて鷹の餌食とは是等の事なるべし。
 是れと申すも、顔光惚れ多き故なるべし。
 慎むべし。慎むべし。
【通釈】
 しかしながら、「義」とは非常事態に臨めば、例え他人の為であっても、彼是と手足を運び、腰弁当で心配をして遣る事であり、私もそのように致しましたが、人間という者は、兎角落ち目になれば、他人の物でも掠め取るという事でありますから、是も致し方ありません。もしかしたら、私が余計な手出しをせずに居たら、無難に納まったのか知れないところを、大馬鹿者の私が格別に心を痛めて損をしました。是と申すも、我が身に家督というものが有りましては、他人の世話をするのは、またまた難しいものである。「地獄の針山の上での一足飛び」、「大骨折って鷹の餌食」とは、こうした事態を指して云うのでありましょう。是と申すのも、私という人間は、女に目の無い性格だからでありましょう。慎むべし!慎むべし!

【通読】
 是れ一と心付け、横道に入らず候えば、身上合にも替わる事なく、増えもせず、減りもせん。
 是れと申す程の辛苦もなく大井河流越えの心付け候うあいだ、夫れよりは家業の透き間を見て、算盤・発句・俳諧・生け花・人形・碁将棋・軍書の素読を半ば商売として遊び暮らし候。
 尤も、賭け勝負などの一切致さず候。
 物事は友に寄るものなり。
 悪しき友を心付け候わば、早、其の席へ足を向くべからず。
【通釈】
 何事に於いても是一つと心掛け、横道に反れたりしなければ、身上の面でも変化なく、財産も増えもせず、減りもしない。是と申す程の辛苦も無く「大井川の激流越え」という難局への対し方を心掛けて居ましたので、それからは、家業の合い間を見て、算盤・発句・俳諧・生け花・人形芝居・碁将棋・軍書の素読を、半ば商売として遊び暮らしました。尤も、賭け事・勝負などは一切致しませんでした。物事というものは友によりけりである。悪い友と気付きましたら、もはや、その場に足を向けてはなりません!

【通読】
 さて、夫れより、四十歳を越えぬれば、万事大丈夫の姿ゆえ、別条無く年月を重ね候。
 彼是致し候う内に五十四歳に相成り候うところ、其の年、世の中の盛衰を見るに、先ず当国の作割り、八、九分(作)なり。
 明くる年、天保三(年)辰年、作割り、八分作くらいに候えども、夏に雨天がちにて、穀物相場、格外に引き上げ、上米は(一)両に四斗くらいまで、大麦は九斗くらい、大豆は八斗くらいまで引き上げ、扱々高値なる事に候。
 之れに依って、油断相成らず思い、買い入れ物候えども、売り物は見合わせ候あいだ、年明けて候うて、種卸し金四両余り殖え候。
【通釈】
 さて、それより四十歳を越えて仕舞ったので、何事に於いても大丈夫の姿勢ゆえに、別条無く年月を重ねました。彼是致して居りました裡に五十四歳になりましたところ、その年に、世の中の盛衰を見るに、先ず当国(相模国)の穀物の作柄は、八、九分である。
明くる年、天保三年・辰年の作柄は、八分作くらいでありましたが、夏に雨天がちであり、穀物相場を格外に引き上げ、上米は一両あたり四斗くらいまで、大麦は九斗くらい、大豆は八斗くらいまで引き上げ、さてさて高値なる事であります。是に依って油断ならずと思って、買い入れた物はありましたが、売り物は見合わせましたので、年が明けまして、種卸し金が四両余りも増えました。

青木長右衛門嘉房著『我身一代夢懺悔』の読解(其の14)

 巳年は相場余程引き下げ候えども、又に候、引き続き午・未の両年は共に大いに穀物相場高値、作物の取毛(収穫高)は相変らず九分作くらい。
 之れに依って、年々五、七十両位ずつ種卸し金高殖え申し候。
 然る所、申年の四月頃り雨降り出し日々雨天。
 然れども相場は高からず。
 出来秋(収穫の秋)の大麦は二石七斗位、米は八斗五升位に候えども、順気は罷り宜しからず候うあいだ、大麦は貴入に候。
 然る所、土用に入り候うても雨天なり。
 万一、土用中降り候わば益違い、依って成るべくに候、先ず虚なる年は虚に従い変なる年は応じすといえば、油断相成らずと心得て罷り居り候。
 土用の時に候うても雨天、之れに依っていよいよ変なる年と心を付け、貴入ばかり一切売らず、勿論、作割り草生は七、八歩作にも相見え候。
 夫れより段々九月まで雨天、百二十八日の内、雨落ちざるは月に十二日の他に之れ無く候。
 八月に至り、段々相場引き上げ、九月中旬には、大麦は九斗くらいまで引き上げ、下拙、古麦を四百俵持ち合わせ居り候うあいだ、宮山町にて、二百俵を(一)両に九斗売り払い、二十一日に藤沢にて、又に候、二百俵を直段にて売り渡し申し候。
 残りは新麦に候うあいだ、来たる三月までは売るまじきと心を〆、一切売り申さず候。
 此の節は、作割りも四、五、六分(作)という人ばかりなり申す。
 十一月に、御蔵米は(一)両(当たり)三斗二升、大麦は七、八斗。
 来たる酉の春、種卸し金は五百両ばかり殖え申し候。
 同四月中旬より、大麦を売り始め、平均、(一)両に五斗ぐらいにて、五百俵余り売り申し候。
 夏、米は両に二斗まで、小麦は両に三斗二(升)まで、大豆は両に四斗三、四升まで、万(よろず)大高値。
 然るところ、当年も四月頃より又に候、雨天。
 之れに依って、新麦も両に六斗までの高値なり。
 夫れより段々引き下げ申し候。
 然れども、戌の春、種卸し(金)は三百両も殖え申し候。
 当、戌年は同じく雨天、土用入り三日目まで長く降り、之れに依って、相場も高値、大麦は両に八、九斗、差し金にて千俵余り貴置き候うところ、相場も相替わらず候うあいだ、残金を相渡し荷物わ受け取り置き候。
 然るところ、七月六日、藤沢市へ罷り出で候う後にて、何事も無き母、臆病にて頓死致し候。
 途中まで追い人来たり、立ち帰り申し候。
 其の節は土蔵を二〇を家内造作、其の上、春中は馬を求め、厩並びに物置き、門を立て、其の前年は、半次郎婿入り、並びに村方・身寄り、仕合の者まで施行など差し出し、御地頭所へは冥加金を差し上げ、殊の他なる金子物入りにて候。
 其の暮れに総領の倪太郎病死す。
 年明けの延べ売り穀(物)の商い先にて、金四百五十両ほど欠け落ち分敷く人之れ有り候。
 且つ又、右八、九斗にて貴置き候の大麦、駿州清水湊にて二石四斗より二石九斗くらいまでの仕切りを取り申し候。
 右の商いにて、金高五百両ほどの損耗欠け落ちし分、敷金共に〆て九百五十両ばかり、其の他に祝言を六つ、亥・子・丑の三ケ年に、商いの損耗は三百両ほど、家内の普請や婚姻を六つほど施行し、冥加金五百五十両、〆て千八百両ばかり臨時並損耗重なり申し候。
 格別多分に金減り申し候うあいだ、寅年より当辰年までは商いも見合わせ居り候。
 然れども、藤沢市へは罷り出で候。
 さて又、飢饉中の事、普請施行に差し出し候う金高を子細に認め置き候う帳面之れ有り候うゆえ此処に略す。
 且つ又、当辰年三月二十二日になか病死す。
 戌年より当辰年までの七ケ年が間に、孫五人、母すみ・(妻)なか、都合八人致し候。
 金子も千八百両ほどの損耗。
 然れども、病死・損耗の義は有るまじき事に候わずあいだ、さのみ気を付けも致さず候うて、昨・卯年は伊勢代々講にて、参宮致し候。
 右の通り、災難など相重なり候えども、又候、二百両余りも遣い果たし、蒔き散じる減らし候えども、未だ十ケ年以前よりは身上も殖えて居り、何の不自由もなく、貸金も金の所、百や百五十両くらいは毎度之れ有り、田地も奉公人の七、八人くらい置き候うては作り切られず、貴置きの種卸し時分には六・七百俵くらいは、囲い穀(物)之れ有り、借金は一銭もなし。
 金銭は之れ無く候えども、十両や二十両の臨時には差し支えず、先ずは十楽世界と存じ、金儲けの心はとんと止め申し候。
 右、飢饉中の役柄は、大冊七巻に終わり、日記に記し拵え候うあいだ、総金高までとも書き記さず候。

青木長右衛門嘉房著『我身一代夢懺悔』の読解(其の15)

 卯年の太々講の時は、道行き百人にて参詣致し候うあいだ、路々独り慰みに吐き出し候うあいだ、善悪に拘わらず相記し置き申し候。
 天保十四(年)卯年の正月に出で立ち、馬入川にて残らず落ち合い候。
 対段然るところ、巳の中刻時より東海道筋の人は、水の押し来る如く一押しに成りて、馬入川御施行の舟に乗りて侍る。
     春水や独りなくます馬入川
 と、伝わりて舟を上がり、程無く新宿・平塚宿を越える時、
     平塚や蒲公の草肥太り
      蕾ばかりで花見川の橋
 と、いうて通り候う内、早大磯に差す。
     大磯も小磯も太る汐干かな
 当宿にて中食を致し、夫れより馬にて行き、小田原に泊まり申し候。
     小田原を立つ名残の帰る雁
      酒匂川の橋の形に並んで
 程無く、箱根山に懸かりぬれば、
     大へいに鳴く鶯や箱根山
 八里峠も笑いながら打ち越え、三嶋・沼津・原の三宿を結びて、
     三嶋鰒喰ひたむくいひか乾く
      咽沼津くわ津に原をへらして
 此の間はさせる名処もなく、吉原の濤を見ながら行く。
     蒲原の濤の白さよ朧月
 富士の白酒も呑まず蒲原にて冷酒を一盃のんで、
     冷酒は我が蒲原にしみ込みぬ
      暖かそうで寒ひはる月
 夫れより日も夕方に倉沢の茶屋に休みて、
     あれがふじ是は天城の夕霞
 幸手峠も雨が降り、油井・興津を越えて江尻泊りなり。
     油井女郎と寝つ沖津して酒を酌み
      おまんこ江尻幸手嬉しき
 明日は府中泊り、其の夜は残らずに町丁へ行きて洒落ける。
     うかうかと二丁町まで朧月
      いくら有りてもこちや金谷せん
 金谷泊りにて、夫れより秋葉山へ趣き、森町に帰る。
     離れ森町から覗く霞かな
 子ならあ戌亥も打ち越し秋葉山に着ける時、
     閑古鳥の鳴くや秋葉の下り坂
 夫れより西川・石打・大平を通る時の結句に侍る。
     山は西川は日受けは小鮨飛ぶ
      石打をする道は大平
 其の夜は大野泊り。一日山と川ばかりを通り候。
     大の原に余るやうなり鳴く雲雀
 今日は鳳来寺に参詣、行者返しという坂あり。
     日本の一と呼ぶべし此の坂の
      加登屋たよりに登る新城
 加登屋新城を越えて豊嶋より御油へ出で、赤坂泊りにて、
     初午の前とて小豆売り歩き行く
       御油あけ給へ飯は赤坂
 赤坂宿の紅葉屋へ泊りて侍る。
     長閑さに花とも見ゆる紅葉かな
 池鯉鮒宿の山吹屋へ泊りて出鱈目を吐く。
     山吹に池の鯉鮒仰ぎ向かはん
      地見な男が覗き居るかな
 名護屋へ泊り、七つ寺の桜を見て侍る。
     最一月遅くは桜莟らむ
      また柳さへ乗った風離せず
 明日は桑名泊り。名護屋を出て帰り返り帰り返り舟に乗りても、
     跡先に霞の見ゆる縮手かな
      鯱は見えよ桑名の舟霞
 神戸泊り。白子観音へ参詣、不断桜すこし咲き見えし
     少の咲く程美しき桜かな
 津宿泊り。其の月(日か?)は大身田の無量寿寺へ泊り申し候。
     津に入りし舟を呵(しか)るか行々子
 二月晦日は新茶屋泊り。御師より迎へ駕籠百挺。雨天、駕籠かきの者どもは残らず傘をさし申し候。二十丁ばかりが間は蚯蚓の歩行のやうなり。
     虹の呼ぶやうに並びし傘(からかさ)は
      玄関前で凋無坊入る

      

青木長右衛門嘉房著『我身一代夢懺悔』の読解(其の16)

 夫れより四月ケ間は、伊勢の御師方に罷り居り、諸々参り所に古市遊びを致し、一ノ木の神主、杉木権太夫の両御師にて馳走に相成り候。
     楠の木を一の木といふ外宮前
      麓の杉木是は神木
     長閑さよ二見ケ浦の朝ぼらけ
      いつよりか松の点さよ朧月
     あけて見て同じ事いふは津暦
      駒鳥の土地にも寄るか声高し
 古市山田明星を結びて侍る。
     骰子(さい)を古市の勝負は山田ろう
      麓の中へ入る明星
 六月、新茶屋まで出でて泊る。七日、名張宿の大の木。八日、小竹屋泊り。
     大の木に霞の懸かる日暮れかな
      小竹屋の家は綺麗で口が豆
     氷豆腐と夕張喰せし
 九日、灰原泊り。昼より逗留致し候。
     灰原を掻きわけて摘む蓬かな
 十日、奈良の小刀屋泊り。春日へ参詣、手向山より鍛治宗近へ行き、夫れより外七の存り所、内七の在り所を残らず致し候。
     朧月で毛晴やうは手向山
      大仏の御奈良は春日雷よりも
     音も高かりし宗近の太刀
       大仏の底に土鳩が並み居るを
     雀々といふは可笑しき
      咲く桜寺はなし七在所
     衣更着や寒ひ顔する坂参り
      奈良刀小刀よりも切れやうは
     鷹と鳶の凧巾の飛びけり
 十一(日)、郡山泊り。夫れより安部文珠達磨寺、八木泊りなり。
     春の風南東風(はえごち)は寒し郡山
      安部川の糯は五文珠砂糖入り
     達磨寺の尻くへぬ八木糯
 十三日、追分泊り。十四日、吉野、十五日、高野山泊り。
     猫の恋追分てやる娘かな
      是は是は是は是はと花の山
     是は吉野よ是は名所は
      駒鳥の高音を聞くや高野山
     衾さ〇よ折も涅槃に来合はせし
      淋しさは何れ仏の別れかな
 十六日、慈尊院泊り。十七日若山泊り。
     弘法の筆も誤まる御印地
     高野末代地損印かは
      行く春に和歌の浦にて追いひ付きたり
     蓑笠の紐つけかへ和歌の浦
      柳から降り出すやうなはるの雨
     旅僧の袷から出す蕾かな
      汐入りの米乾すとや蝶の舞
     和歌が浦気の毒そうに春の風
      此の気色なくは誰が来ん和歌の浦
     根上がりの松寛爾りと春の風

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鳥羽散歩

Author:鳥羽散歩
卑しくも<詩歌ブログ>を名乗る以上は、イラストやカラー写真で以て読者に取り入ろうとしてはなりません。ましてや、田舎町の安手のレストランで食べた料理のカラー写真で以て読者を幻惑させようとするのは論外です!当ブログは、カラー写真やイラストの類の夾雑物は一切無しの<詩歌ブログ>です。

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