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詩歌句誌面

読解なくして論評あらず。

「佐伯裕子第八歌集『感傷生活』」を読む

〇  口中に広がる笑い祖父に似るジョーカーいくどもわれは引き当つ

〇  祖父の処刑すめば遺りし勲章の切れこみ深きもみじの葉っぱ

〇  敗戦が終戦、占領は進駐へ。やさしく饐えて匂える言葉

〇  この風は上州生まれの祖母の息わたしが吹けば祖母も吹きくる

〇  歳月はふっと消え去りゆきしかば「ふっ」という息の妙なる香り

〇  眠るのは逃避と言われし若き日よ咎めし母も老いて眠りぬ

〇  膝ついて母の靴ひも結ぶときもう歩かない靴に鈴あり

〇  プラスチックの器のように砕けない娘とおりて母は退屈

〇  いつまでも母が居るからいつまでもわたしは娘そういうことね

〇  静けさの母までつづく光ありただ真っ白な廊下なりけり

〇  びっしりと芽吹く夜空のむず痒さわたくしにまだ母がいるから

〇  隅に居るひんやりとした固まりは亡母ですからどうぞそのまま

〇  こうして順にいなくなる日の焼場には胴震いする自販機立ちぬ

〇  日当たりに乱反射する遺品たち母は何かになったのだろう

〇  この星の面会時間に祖母に会い父に会い母に会いて別れし

〇  子と二人寝とおした日の夕ぐれのひとりの視野に垂れる電線

〇  昼なのに起きない息子を呼びたてる寝ていても悲しいだけなのだから

〇  職もたぬ子に老い深き親の話ニュースなどでも見たことがある

〇  升には塩、桶に清水そのうえに紋白蝶のもつれ飛びゆく
 
〇  いっせいに団塊世代が年金を受ける朱印の花びら舞いぬ

〇  ともに戦後を長く生ききて愛らしく小さくなりぬ東京タワー

〇  椅子の脚の影いく本かゆらめくから私は泣いているのかも知れぬ

〇  あきらかに悲しむ心に驚きぬ日本晴れという語を見たるとき

〇  みんな風 名をもつ風ともたぬ風ひたすらにして吹きとおりゆく

〇  風が吹き額にさーっといくつかの短い傷のつきし夏あり

〇  「好きになる」その淵源の手力を失いにつつ日のうつりゆく

〇  海底より競り上がりくる島を見てだれの苦しき愛かと思う

〇  夕雲の滲める窓にもたれるに昔のきれいな涙が出ない

〇  ほれぼれと川の面を染めてゆく夕日がこの世を忘れがたくす

〇  戸を開けると西陽がいきなりわれを呑むあらゆるものはみんないきなり

〇  華やかな駅にきらめく光量を思い出として端までゆきぬ

〇  日の暮れは体が青くひかるのよ家の扉の前のところで

〇  炎天の電話ボックス 飴のように古い言葉が溶けているらし

〇  除染せねば除霊をせねば、くまぐまの月の光に急き立てられる

〇  夕ぐれの薄くれないの橋上をとろけて飛べり春はカラスも

〇  雪やなぎの無数の枝が感情の弱いところに触れてくるなり

〇  小官吏カフカのつましき微笑みがひと日の終わりのなぐさめになる

〇  ぼんやりと滲む視野には粉雪も+桜もふれり眼つむればなお

〇  暴風の芯に一瞬またたけばドストエフスキー消えてしまいぬ

〇  大き月の真下に灯るバーガー店子が入りゆけばこんもりとする

〇  樹のおおう空き家の窓にふと透けて椅子というものの切なき形

〇  積乱雲の空より垂れてくる日差しすべてのものの老いを速くす

〇  鈍くなる五感を言えばあるだろうまだ心がと諭されながら

〇  すでに老いは太陽の芯に棲みいるがその前に来るわたしどもの老い

〇  街を行くときの日傘は白がいい思い出などをぱっと弾いて

〇  ストレッチャー夏の終わりの手が二本見慣れた足が二本すぎゆく

〇  他人のなかに流れる悲哀に入り込みあたかも泣かんとしたるはわれか

〇  人が人を大衆的と呼ぶときの唇がいやでならなかったな

〇  戦争に溺れるこころ平和なる日々に溺れるこころと寒し

〇  ネット社会に私は棲んでいないから君を凹ます空気を知らず

〇  夜ごとに遊園地にわく錆などの分けの分からぬ悲をやり過ごす

〇  悲には悲が嘘には嘘が救いなり六十年経てようやく分かる

〇  栄養的ドリンク剤を流しこみ別れを一つ受け止めている

〇  建物まるごと洗われている傍らに太き桜の幹が濡れおり

〇  『罪と罰』読む体力が欲しくなり春は走ってみたりしている

〇  かたまって咲く少年と少女たち風吹けば風にかすかに揺れる

〇  街を行くときの日傘は白がいい思い出などをぱっと弾いて

〇  皮膚に薄く包まれるゆえ出づるときたぶん心は匂うのだろう

〇  すれ違う人に二度とは会えぬ街、東京に生きて人とはぐれぬ

〇  「上等じゃねえか」と喚く「上等」の意味考える車中のけんか

〇  硝子玉をサファイアと信じこめる日の心の仕組み美しかりき

〇  誰もだれも脆き内臓をもち歩く、と思えばやさしき街の景なり
 
〇  ぎゃあと叫びこの世のすべてを消せる声、悪鬼のような声の欲しかり

〇  笑うでも泣くのでもない感情はひょいと仏壇の埃ぬぐえり

〇  春の馬おとなしければ馬場に降る桜の音を聞くばかりなり

〇  せつせつと取り戻したき母ふたり春浅き風に吹かれておれば

〇  数知れぬオシロイバナのそよぐとき気味悪いほど見えわたる眼よ

〇  ひとの恋それとはなしに見ているに列車ごといきなり地上に出でぬ

〇  「このままじゃ死ねない」と若き日は思いその「このまま」が今は分からぬ

〇  夏帽子押さえるしぐさ罪深き若さというを遠く見ており

〇  唐突にドラックストアで干し草の香りをさがす感傷生活
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「野上卓第一歌集『レプリカの鯨』」を読む

〇  レプリカの鯨のあおく輝ける冬の晴れ間の上野公園

〇  アンモナイト億年かけて石となり小学生にさすられており

〇  あおあおとしたたる光三輪山に満ちて世界は夏と呼ばれる

〇  小劇場ジァン・ジァン閉じて十余年茶房となればたまに立ち寄る

〇  「この国」と吾が祖国さえ呼び棄つる気分になりしこの頃のこと

〇  わが妻の絶対的なイノセンスこれは結構怖いものです

〇  美容院へ行ってきますと妻はでる覚えておこう褒めねばならぬ

〇  ゴンドラに窓拭く男と目の合いぬ退職届に印を押すとき

〇  大学の解体などを唱えしが OB会で校歌うたえり

〇  特攻に死にし子の名ぞ太郎湯と煙突かかげし湯屋も仕舞いぬ

〇  両親にあてた特攻隊員の葉書サイズはわずかに小さし

〇  原爆に死にしわが子がよく似ると牡蠣食む我に言いし人あり

○  職退けるのちも仕事の夢を見るたぶん死ぬまで折々に見ん

○  平穏に退きたる過ぎ行きに解雇を告げし痛みもありぬ

〇  気に入らぬ上司はいづれ去りゆくと言いし吾らも退職をせり

〇  わたくしが生まれた年がはやばやと歴史のように語られている

〇  寝ていれば指でつつかれ起こされた生きているのか確かめられた

〇  交番にぼんやり巡査が立っている古びた街に住みたいと思う

〇  加齢によるものであるから心配するなというがそれが問題

〇  わたくしの財布の厚み病院の診察券のたまりたるゆえ

〇  年寄りが偉かったのは昔ですだって私が年寄りですし

〇  階段の手すりを今は頼りにす新築時には笑いしものを

〇  歳々に花を見るため生きているような気になる三月半ば

〇  中空にとどまるよう蜂が滑るように消えて真白き夏道つづく

〇  七月の豪雨やまぬこの三日ゴーヤはすでに深く根を張る

〇  トロ箱を這いだす蛸をおしもどし明石魚棚はつなつの午後

〇  葬儀屋が祭壇生花を運び込み棺は隅に寄せられており

〇  武蔵国国分寺跡金堂の礎石は濡れて春の鵙鳴く

〇  ざっくりと包丁入れて父なりき西瓜大きく二つに割けり

〇  きな臭さ漏らさぬように雨の朝ラップされたる朝刊がくる

〇  インフルの鳥口蹄疫の牛たちを埋めごろしたる大地のみどり

〇  言霊の国モノ作る国ふたつながら失う今をわれら生きおり

〇  詩歌など始めて己が心など掘り進めれば毒のしみ出る

〇  炬燵にて寝さめてそのまま筆を持つ北斎という晩年のあり

〇  マンガさんバクさんゲタさんゾウさんの早春賦きく二月某日

〇  妖精はときにジジイで森にすむ宮崎駿・高畑勲

〇  友情は具体的なる行為にて佐々木主浩法廷に立つ

「木ノ下葉子「第一歌集『陸離たる空』」を読む

〇  特急のパンタグラフの削りゆく西つ空より血汐したたる

〇  真つ直ぐなものの基準としてあをき水平線を心に持ちつ

〇  海面をのたうつ光のくるしみを凪ぎゐるなどとゆめのたまふな

〇  母親に殺されたしと願はくは神のくしやみの燃ゆる音する

〇  死ねばもう眠くないんだシャッターは引き上ぐる時意外と軽い

〇  リスペリドン、クエチアピンにビペリデン、我を生かしてくれよ初雪

〇  金魚掬ひのごとくささつと健康な自己を掬つて育てなければ

〇  我といふ生をあなたに返すからあなたが笑つて笑つて捨てて

〇  生まれたら一度死ぬだけ真つ直ぐに歩いて渉る遠浅の海

〇  熟睡(うまい)する母を初めて見し夜明け漕ぎ出ださむと乗りし方舟

〇  片耳より眠りに落ちていく父の最後の音になりたかりけり

〇  物干し竿くぐれば母の声になる子供の描く絵に耳はなくても

〇  書くほどに冷えゆく指かまだ母を物語になどしたくはなきに 

〇  父の胃に物差し当てゐし医師の手に測れぬもの等なからざらむよ

〇  もう何も食へぬ体屈ませてリモコンの電池換えたりし父

〇  方耳より眠りに落ちていく父の最後の音になりたかりけり 

〇  父は茂、妹は梢、風はいつも固有名詞の彼方から吹く

〇  手の小さき妹が花嫁になるわが妹がもみぢの下で

〇  医者の来る気配に居様を整へてしまへり正しく嘆かむとして
 
〇  お大事にと言はれて気付くさうだつた私は患者で貴方は医師だ

〇  木洩れ日を映して揺るる壁それが閉鎖病棟の壁であること 

〇  窓際に佇みをれば看護師がかひなにかひな寄せくれしこと

〇  看護婦に監視されつつ用を足すあの日我は月経だった

〇  男性の看護師同年代多し脈触れらるるときの疼き

〇  別館五階緩和ケア科の廊下には厚き絨毯敷き詰められき 

〇  クリスマス過ぎても点いたままである閉鎖病棟の中庭のツリー

〇  全館が暖められてこの冬の悴みを知らぬ十指なりけり

〇  背後からがちつと抑へ付けられてもう四度目のゼパム筋注

〇  水無月の雨はあまねし電柱に後から濡れる面のありたり

〇  時速二百キロの車窓に三分間田は映り継ぐ みちのくに来た

〇  てにをはが雑になつたと指摘さる半袖着なくなりし頃より

〇  夢の中で夢は早くも懐かしい火星の青い夕焼けのこと

〇  よしずよしずと売る声のする雲間かな目を閉ぢてゐる方が眩しい

〇  言へなかつたことばは川を下りゆき汽水となりて頬を伝へり

〇  昇っても見下ろすことを赦されぬ坂を何処まで昇れば良いか
 
〇  吹かれつつ靡かぬままの我が影をときに足から切り離したし 

〇  きみの名に忌と続ければ唐突に君は死にたり陸離たる空 

〇  君のこと物語にした罰としてどんな晴れにも行き止まりができた

〇  俯きて君のおもかげ追ひゐるに桜のかげにすつぽりはまる
  
〇  私とは違ふ覚え方したのだらう曲がり角では空を見上げて

〇  阿弥陀籤辿りてゆけば枯れ枝はこたへ空へと投げ出だしたり

〇  四枚の影を蜻蛉の翅のやうに羽ばたかせ蹴るナイトゲームよ

〇  ハンドルへ伸びる腕首袖口から手袋までの二センチ黒し

〇  風呂の蓋の襞に汗ばむたましひをきつく巻き取りたき夜があり

〇  視野の端の眼鏡のフレーム消し遣りて仰ぐ景色を二刷(にずり)と思ふ

〇  どの色を選びて折れど合はせ目にのぞいてしまふ一条の白

〇  意志・希望の助動詞運用する際に脳裏を過ぎる自動詞あるも

〇  三本目の触角として我を刺す蝶標本の胸の虫ピン

〇  蜘蛛の糸とは斯くも頼りなきものか白衣の袖より糸屑の垂る

〇  迫り上がるガラスの窓は運転席の君を消しつつ夕映えてゆく

〇  繰り返し互ひの軌跡を消し合ふもひとつところへ帰るワイパー

〇  かつて雨は地を打つよりも真つ先に我が額濡らし挨拶をした

〇  沈み切つてしまえば安定するものを赤き時間を長引かせるな

〇  歳時記を覚えてしまひし後の夏季節はかつて眼を打ったのに
 
〇  海より青き海を見てをり断熱用フィルム貼られしバスの窓越し
 
〇  ゴムバンド締まりてをらむ十字路の電信柱に供花のなき夜

〇  X軸Y軸を引きアキレスは亀に追いつけないよと笑ふ

〇  若草は棺のごとき方形を残したるまま萌え立ちてをり

〇  青は南と違へて覚えしコンパスの針が「北さ」と我が臍を指す

〇  電柱を埋められ空を編むための糸をひと束なくしてしまつた

〇  スピーカーは迷子の報せを繰り返す提灯よりも高きに据ゑられ

〇  もう二度と逢へない人の貌をして或る日するりと降りてくる蜘蛛

〇  空の底ぞつとするほど露出して逆上がりさへ無理せずできる

〇  現在を過去へ押し遣るやうにして定まらぬ夜のアクセルを踏む

〇  葉の間に透けて見えゐる青いろを疑ひてみきそらと言ふもの

〇  われが我に飽きくる心地ややありて夕べのバスに小銭を探る

〇  ただなかを読点打たず走り抜け振り返るとき夏は句点だ

〇  はららかぬやうに電線に搦めたし今年仕舞の秋虹ならば

〇  水面に浮くもの何れも静もりてその影のみが揺らぎて止まず

〇  銀色の差し出し口に手の甲を滑らせ放つ夏への手紙

〇  世界地図挟みし塩ビの下敷きの端に肘つくボリビアの上

〇  校正の部屋の窓辺の百日紅ああイキてゐるそのママである

〇  入口はこの白きドアのみなればいつの日か此処を出口となさむ

〇  我がおもて体内よりも赤からむ完膚なきまで朝日を浴びて

〇  カーブ行く列車の車輛直たるを見極めらるるぎりぎりの距離

〇  夕光が送電線をなぞりゆく突き放すなら引き寄せないで

〇  「神の救ひ」見えぬ誰かに説く横で少年の送球宙繋ぎたり

〇  ヒャクカラナナヅツヒケトホントイフンダナ思ひながらもこゑもだせない 

〇  恋愛と信じていたる感情を依存と位置付けられし日、いそん

〇  はじまりは君にホチキス借りた昼その爪際の白き傷から

〇  時刻表にひき伸ばされた路線地図 東北は薄き紙の上なる

〇  監視カメラを見上ぐる事はわたしを見詰むる事なりきりりと見詰む

〇  この声が私に向けらるる日々僅かとなれりこゑを貪る

〇  動かなくなるまで蟻を泳がせし赤きバケツの赤き水かな

〇  あの虹の青と緑が好きだけど「赤」と答へた方が良かつた

〇  しあはせであるしわよせがやつてくる皆様にはご健勝のことと

〇  石鹸を使ひ終はつた午後届く喪中葉書に咲く胡蝶蘭

〇  玉かぎるハローキティは前足でペロペロキャンディー持つたりもする

〇  欄干にいつまでも胸押しつけて水面見つめる少女であつた

〇  水は青く、ないと言ひかけザラザラのプールサイドに膝抱へゐき

〇  空の底ぞつとするほど露出して逆上がりさへ無理せずできる

〇  瞼より眼が偉いばつかりに静かなひとになれないと泣く
 
〇  目を開けて生まれたる我まなこには母の痛みの入らむばかりに 

〇  目の前で色の褪せゆくことのなき紫陽花の玉を日暮れまで見つ
 
〇  真つ白にこんなに白くなるのかと指ばかり見る顔よりも見る

〇  金環日蝕まさに輪になる瞬間に人の噂を始むる母は 

〇  葉擦れ鳴る中庭はどこも閉ぢられて風だけが去るしまとねりこ揺る
 
〇  死ぬということば覚えてのち暫し生くといふ語を知らずに生きき 

〇  現在を過去へ押し遣るやうにして定まらぬ夜のアクセルを踏む

  木ノ下葉子(きのしたようこ)
  1980年7月11日山形県寒河江市生まれ、静岡県清水市(現在、静岡市清水区)三保に育つ。
  2010年12月、「水甕」入社。2013年、水甕新人賞受賞。2017年、水甕賞受賞。
  2018年、「水甕」同人。

高辻郷子の短歌

〇  氷泥をだぶんだぶんと打ち上げて結氷を告ぐる海の肉体   『農の一樹』

〇  砕土するめぐりに遊ぶ鶺鴒よ鬼にもなれる男ぞわれは

〇  都会には住めぬ男ら火を囲み火よりも熱き言葉投げ合う

〇  淡雪を全身にあびて立つ松よ愚直なる男を好きかお前は

〇  殺気立ちているにあらずや雪の中ビート掘りせる男の背中

〇  われはいま星に刺されて酔う男秋耕夜なべ終えしひととき

〇  耕せる大地を覆い雪深しここは終の地譲れず売れず

〇 雪解けの水は男の直情ぞ萌えざる原野を一気に走る

〇  満天の星かも馬鈴薯はすずやかに咲けりこの北国に

〇  トマトの芽摘みし匂いをつけてきて野生を見せる厨のおまえ

〇  一つ家に意地張る妻と死んだ真似の上手なわれと住みて春待つ

〇  咲きあふれ光を呼びて馬鈴薯の花の大地は天と向き合う

〇  流氷の見えざる海の荒ぶりに押しあげらるる太陽一つ   『農の座標』

〇  沈滞せる冷気震わせ蒸気車は樹氷まばゆき林に入れり

〇  恋も思索も断つはげしさぞ馬二頭仕立て荒地を拓耕しおり

〇  雪のひかり満ちて清しき汝が里は聖地のごとく吾を隔てぬ

〇  二十七冬わが生きて来て山峡には恋遂げむほどの女もあらぬ

〇  冬の風さえ透さざる厚き胸に住みにくしネッカチーフの女

〇  白鳥が飛翔するとき朝焼けの雲豪快に湖にくだけぬ

〇  ビール麦の播種機を曳こうせめて今日一日頭をからっぽにして

〇  播き終えし畑は平たく鎮まりて夕もやの中に熱持つごとし

〇  樹齢深きからまつを伐り伏せるとき天を引く抜くごとく倒るる

〇  わずかにも雪より出でしハマナスの枝に残れる実の乾きたり

〇  豆を播く機械ひねもす牽きまわす小さき妻をうしろに乗せて

〇  妻を愛で子をいとしめる冬の夜も離農を迫る旗振られいつ

〇  子二人を得て二親を失えり農継ぎて一途三十年の果    

〇  釣り上ぐる雌鮭あわれ抗いて身をねじるたび卵産みたり

〇  鼻まがりの雄鮭なれば無造作に投げ込まれたり麻の袋に

〇  砂の上に並べられたる鮭あわれ黒々として木ぎれのごとし

〇  夢に顕つ父は一徹の背を見せて荒草の野を打ち拓くなり

〇  吾を叱りし父と諫めし母を想い言葉を選びぬ子に対いつつ

〇  朝飯か風呂にしようか融雪作業終えて惑えり午前十時を

〇  <爆発だ>まさにバクハツ網走は一気に花という花が咲く

〇  人間は神の失敗作かとも白鳥を見るたび思い深まる

〇  妻には妻の吾には吾の怒りあり距離を保ちてビート補植す

〇  エゾムラサキツツジに続き咲き初むるは桜なり五月九日は雨

〇  国産麦は米国の五倍の価格という切なきよ単純比較といえど

〇  品質も価格も米国にかなわねど麦無くて北の農成り立たず

〇  北こそは夢とうつつの交差点ひとつらの鳥の影が過ぎゆく   『農魂の譜』

〇  やさしさは空より降り来 喜雨 甘雨 郭公の声 雲雀のことば

〇  二反歩の野菜畑にも夢がある 南瓜が咲いた 花豆咲いた   『銀漢を聴く』 


高辻郷子(たかつじ・きょうし)  1937年5月生まれ 北海道出身 2016年没  
 歌集 『農の座標』 1992年 ながらみ書房
     『農の一樹』 1997年 雁書館
     『農魂の譜』 2002年 ながらみ書房
     『銀漢を聴く』2009年 ながらみ書房

『滝沢亘歌集 (国文社刊・現代歌人文庫 12)』を読む

〇  鰯雲北にかがやきこころいたし結核家系われにて終る

〇  陽を避けてアーケードゆき木陰ゆくわれは蝙蝠(かはほり)のごとき孤独に

〇  曇り日に天水槽の彦がみゆ重き一個の精神のごと

〇  亜麻色の複眼にわれを追ひながら病むごとくしずかなりし蟷螂

〇  熱のあるこころさびしも夢にさえ息切々と船漕奴隷(ガレリアン)われ

〇  餘計者とみづから知れどにじみくる泪はついに至らざるゆゑ

〇  午後の森尽きて燦たる泥濘に諸悪のごとく蠅のむらがる

〇  客観はかく事もなく夜の水に孤独地獄のわが貌うつる

〇  病み病みていつかよき日の来るごとき錯覚あはれ夕焼のたび

〇  わが内のかく鮮しき紅を喀けば凱歌のごとき木枯

〇  醫師の指すああ星空の肺の陰画(ネガ)その餘を言ふな及ばぬいまは    

〇  悲しみの底より清く湧く智慧をよすがとなして辛く生き来し

〇  風落ちし冬樹のほとりしづかにて人亡きあとのごとく日が射す

〇  北風にのりて夜汽車の音ながし一つの時代まざまざと終ふ

〇  火に落ちし髪一すぢが玉なして灼け終へしとき寂しさは来つ

〇  一代で終るいのちにふと気付く唾涸れてたどりつきしベッドに

〇  サモンピンクの空は流れのごとくにてかく美しき日もさまざまに死す

〇  かすかなる貧血のして跼むとき餃子は炒らるひるのテレビに
 
〇  ウェディングマーチの鳴れるテレビよりのがれ来りて複雑にゐつ  

〇  トウシューズにゆらぐ少女のフォーム見つ一つの愛の終るテレビに

〇  枯れてゆく思想といへば嘘にならむひらめきやめぬ夜のブラウン管

〇  民衆がその同胞を撃たむとしさびしきかなテレビに淡雪は降る

〇  キャラメルの函にてつくりしエッフェル塔とどまりがたき夕光に置く

〇  われもまた stray sheep 茫々とさびしき午後の部屋に首振る

〇  米兵の愛の手紙を訳しやる女の好む言葉まじへて

〇  オープンカー疾駆し去れりすこやかに富む者のもつ明快を見よ

〇  禁犯し掌よりミルクを与へをり秘楽めきつつ粗き猫の舌

〇  頒ちたるチョコを車中にて唇にすと書きよこす乙女よ再び病むな

〇  生活を賭けし争議と呼び合ひてたのしきかな職をもつ者の声

〇  公正は弱者と死者にきびしきを夜半思ひをれば汝もそれを言ふ

〇  働きてなほ食足らず病めば死す見て来てわれの死なざりしのみ

〇  食の足る時代に遇ひて起ち難し戦争あるな平和もあるな

「田口綾子第一歌集『かざぐるま』「」を読む

〇  非常勤講師のままで結婚もせずに、さうだね、ただのくづだね

〇  また夜に家で会はうね、眠かつたら先に寝てゐていいんだからね

〇  たましひの一部がふとん 労働はふとんを離れゐるゆゑ苦し

〇  深皿を何度拭いてもとどまれる水滴、これは誰のさびしさ

〇  正月と呼びえぬ年の初めにも駅伝はあり皆で眺めつ

〇  洗はずに持ち帰る服ちちははの晩年に食ひこみすぎぬやう

〇  それぞれの午後を過ごして常総学院が勝ちさうなときは居間に集まる
  
〇  うらがへしあて名を書かば砂となりこぼれてしまひさうな絵はがき

〇  身のうちに魚を棲まはせええ、ええ、と頷くたびにゆらしてをりぬ

〇  がらすだま昏きをひとつみづくさの陰にかくして顔をあげたり

〇  みづくさのそやそや揺るる水槽のごときこころをたづさへてゆく

〇  石庭の苔やはらかく雨に濡れ告げてはならぬことひとつあり

〇  をはりゆく恋などありて春寒の銀のボウルに水をゆらせり

〇  燃えやすきたばこと思ふそのひとが吸ふこともなくしづかに泣けば

〇  これは火より生るることばか昨夜の熱をさまらぬまま君に向かへば

〇  片恋のをはりに砕く飴ひとつくちばし持たぬいきものとして

〇  半身に左右のあるをさびしみて人は抱きあふならひを得しか

〇  とほりあめ 傘持たざらむひととしてあなたの早足を思ひをり

〇  せんせい、と呼ばるるときにわがうちの恩師いつせいにわれを見る

〇  非常勤なれば異動といふことば使わぬままに別れを言へり

〇  便覧には載らじと思ふわが生にからあげクンを購ひ帰る

〇  (代はりなどいくらでもゐる)冷蔵庫の卵置き場にみんなでならぶ

〇  それはいい質問ですが脚注を見ないおまへにカノジョがゐない

〇  万葉集の「人妻」なるにさつきからエロいエロいと騒ぎやまずも

〇  色気がないと先生わたしを笑ふおまへらにくれてやる色気などあるかは

〇  妹などとわたしを呼ぶな大声でおまへが言ふと芋になるから

〇  「女御」の読み問へば「おなご」と答へゐて一枚めくればそこには「あねご」

〇  「茨城」の漢字も書けぬど阿呆は寄るな触るなこつちに来るな

〇  意思と意志どう違ふかと上履きのかかと潰して質問に来る

〇  空欄(しろ)に×(あか)、あはれむやみにあかるくて授業内容をわれはうたがふ

〇  次々と野菜は切られ家中の鍋にボウルに盛り上げられる

〇  服部さん魔法使いのような笑みあさりの水煮一缶を手に

〇  唐突に平岡さん(女神)現れ三日月のように真白きバナナを投ず

〇  魔法使いが鍋に再びやってきてためらいもなくきなこを投ず

〇  ごほごほと喉につかえるきなこ味ひとり残らずむせこんでおり

〇  まだこゑのきこゆるやうなあまあひのそらにはしろき椅子をたむけぬ

〇  こころより遅れて眠りにつく耳になほ降りつづく雨の名を知る

〇  けだものにあらざるわれら流水にあぶらまみれの箸を洗へり

〇  未来とは思ひ描くものでしかなく水切り籠に食器を重ぬ

〇  ものがたりにやがてをはりのくることを青空のブックカバーにくるむ

〇  そこに直れ、歌にするから歌になりさうなポーズを今すぐに取れ

〇  水音であなたがわかるきつといま菜箸を洗ひ終へたるところ

〇  すすぐたびきちんと止める水道のレバーにまとひつくらむ泡は

〇  八月ののどに流せば夏の先へすこし冷えゆくビールと思ふ

〇  択ぶとは 水にひらける半身を消たれつつなほ水上花火

〇  「おいしいものしりとりしよう」と誘ひたるに「ごはん!」と即答されて終はりぬ

〇  旅先にふたりでひとつのトランクを引きゆくやうに君と暮らさむ

〇  答案が憎いよ月夜 鍵穴にさしつぱなしの鍵つめたくて

〇  夕暮れを漂ふ帽子、とりどりのいづれは玉城徹の帽子

〇  あのひとの思想のようなさびしさで月の光がティンパニに降る

〇  角砂糖ゆるゆるほどけていく春の夕焼け小焼けでもうわからない

〇  胃の底に石鹸ひとつ落ちてゐて溶け終はるまでを記憶と呼べり

〇  あいまいに呼気ふこみて紙風船、まるき虚空を打ち上げたれど

〇  炊飯器 抱くにちやうど良きかたち、あたたかさとて米を炊きたり

〇  フタバスズキリュウとふ文字を追ふときに視界の中を横切るキュウリ

〇  “納得の牛丼”といふレトルトのいづこに納得すべきわれらか

〇  関心は未練に変はる二年間で一度も購はざりし厚揚げ

〇  昼休みには目を閉ぢ思ふわが部屋の冷凍庫なるハーゲンダッツ

〇  でたまとひとはよぶなりうつぶせにだるさのままに寝そべりをれば

不条理短歌へのアプローチ

①   物語性の欠如

②   時間や空間の曖昧性

③   コミュニケーションの不全

④   アイデンティティーへの不安

⑤   上記四条件を満たした上でのプラスアルファー的要素とは何か?

古雑誌を読む(短歌・2018年10月号)

 特別作品30首
     夏の影   睦月都(かばん)

〇  空間は爛れてゐたりひとむらののうぜんかづら咲かせむがため

〇  昼の陽に感情の底洗ひつつゆきかふ日々の靴が脱げさう

〇  妹が帰らぬ夜のひとつあり真珠のやうに寂しかりけり

〇  蟬声は軍事のごとく近づけり七月朔のうすき窓辺に

〇  空想に蛇を飼ひつつ昼ありて夜はケーキをたべて眠らむ

〇  家々の屋根とがらせて七月の町はひとでのやうにたゆたふ

〇  夜のわれの背に熱帯雨林あり寝つかれぬ夜は鳥ひとつ啼く

〇  夏の爪短くそろへつつ思ふいつか失くさむもののいくつか

〇  いくたびも木陰にわれの影かさね霊園までの坂のぼりゆく

〇  血縁といふふかしぎの薄く濃く花掲げもちて墓参りせり

〇  偶蹄目のぶあつき舌が嘗めつけてゆきたるごとき熱風きたる

〇  花提げてゆく妹の影ひとつわれの日傘の影に入れたり

〇  蟬声もしずもれる昼石洗ひ石の心音聴くごとくゐる

〇  御影石みがきてをればわが生の手もそちらへと映りこむなり

〇  八月を日傘かしげてすれちがふ人それぞれにそれぞれの腕

〇  心臓に部屋がいくつもあることの それも光の当たらぬ部屋の

〇  紫陽花の夏の亡骸たづさへてわが小家族壊れつつゆく

〇  砂潜るわれが貝ならあふぎみて鯨は一羽二羽と数へむ

〇  誕生日ケーキにナイフ沈みゆく八月の夜の影深くして

〇  ばらばらの部品をわれに集めゆくやうに真昼の床に目覚めき

〇  生者としてあゆむ未明の町なればわが影も町の影に溶けゆく

〇  鰐の目は衛星写真の火星のやうひどくつめたく燃えてゐるやう

〇  内出血したやうなこゑ伝へつつ電話のそちらもこちらも夏の夜

〇  夏果ての雨はやさしもわたくしのオリーブの木をうるほしてゆく

〇  精神の砂場あそびのゆふ闇の遠く帰りの鐘鳴りやまず

〇  まぼろしが滅びてしまふまでの間の牡蠣にレモンを絞りゆくなり

〇  合歓の樹を見ずに終はりてゆく夏へバターナイフを滑らせてゐる

〇  ほのひかる夜のキッチンに水を汲む妹に赤い心臓がある

〇  わたくしの夏の暮らしはあやふくて頒てる桃の核のくれなゐ

〇  沈みたがるわれのからだをときふせて夜の浴室に立たせてゐたが

「栗木京子第十歌集『ランプの精』」を読む

 私にとって歌を詠むということは、遠いどこかからこのランプの精を呼び寄せることなのではないか。子供っぽいと笑われそうですが、そんな気がしています。ランプの精が差し出すのは恋ごころだけに限らず、驚きや寂しさや嘆きやなつかしさなど、とりどりの表情をもつ感情です。(「あとがき」より)

〇  半身をけむりのやうになびかせて秋の夜ランプの精出で来ずや

〇  触れたれば音出るものをよろこびし幼き吾子を憶ふ初夏の夜

〇  七夕の夜の短冊に文字あふれ雨降りくればみな滲みたり

〇  筋書きの濃きミステリを読みさして駱駝のまつげふと思ひたり

〇  眠られぬ夜に想ひをり鰭の下に串を打たるる感覚などを

〇  枇杷の実が雨に明るく濡れてゐる坂道のあり子の住む街に

〇  冷えながらなほ香り立つさびしさよ林檎の赤さ手につつみたり

〇  母の炊きし色濃き赤飯なつかしもなんでもない日も赤飯食みき

〇  半身をけむりのやうになびかせて秋の夜ランプの精出で来ずや

〇  風邪を引く前にはわかる 折り曲げし肱にひとすぢ冷気走りて

〇  反対側ホームの息子に手を振りぬうれしかつたよといつか思ふや

〇  地図の向き変へては位置をたしかめて秋のおはりの銀座を歩む

〇  かざはなの舞ふ日の橋の彼方よりひとくねりして電車近づく

〇  夏の野を飛びゐし蝶はわが傘に入りきてふつと色を失くせり

〇  ゆで卵の殻を剥きつつ怖れをりこの列島に罅の入る日を

〇  感電せしネズミが冷却装置停む わが実家にて否原発内部で

〇  女子トイレの多さは少女のあきらめし夢の数の数なり大劇場の午後

〇  ゆるキャラの運動能力高くなり跳んで走つて冬深みゆく

〇  いつのまに増殖したのかゆるキャラという新生物がテレビにあふれる

〇  冬の日の校門ひらかれ戦争に行けるからだの男の子らの見ゆ

〇  雪の日は雪の結晶また見たし実家の小さき顕微鏡にて

〇  卓球のサーブ打つとき少女子は神と向き合ふごとき目をせり

〇  一人分の孤独の濃さをあたためて豆乳ラテを飲む夜の部屋

〇  ポストまで歩く途中にパンを買ひわたしの朝はよみがへりたり

〇  本の整理終へて夫と吾の軍手仲良ささうに四枚置かる

〇  雨の日の花舗の奥には岬から丘へとつづく径あるごとし

〇  降車間際にトイレに行くな、と叱りたり江戸つ子せつかち世話焼きなりき

〇  酒飲まぬ息子の部屋に空ビン無しペットボトルがてらてらと立つ

〇  一ミリづつ首を圧されてゆくごとき暑さのなかに手紙書きをり

〇  打楽器を鳴らさず我は唱へたし傘を畳みて群衆に入る

〇  雀ほどの小さなかたちかもしれずされど雀の怒りふくらむ 

〇  パレットの絵の具を水で洗ひたり最後にいつも白の残りて

 

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