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詩歌句誌面

読解なくして論評あらず。

古雑誌を読む(『かりん』九月号)

〇  山姥の上路の里に出づといふ猪のこと思ひて悩む    馬場あき子

 作中の「上路の里」、即ち、〝新潟県糸魚川氏大字上路〟は、謡曲『山姥』の舞台とされている土地である。
 その「上路の里」」に限らず、近年、糸魚川市全域に猪のみならず、日本猿・月の輪熊・ハクビシン・カラス等の鳥獣が人目も憚らず白昼出没し、農作物被害及び人的被害が多発している、との事。
 馬場あき子氏と言えば、人も知る、歌壇切っての能楽通であり、能楽舞台も踏んだ仕手舞の名手でもありますから、山姥の故郷「上路」のそうした現状を「思ひて悩む」こともありましょうか!
 今年度の文化功労章受賞者の歌人・馬場あき子氏の胸中には、未だに鬼や山姥が棲息しているのでありましょうか?


〇  杏の実上うつ音をききてをりかなしきものをあすは拾はむ

 程々の広さの馬場あき子邸の庭には、幾種類かの樹木が植樹されていて、それらの樹木の中には実の成る種類が多いとの事である。
 従って、数多くの樹木の中には「杏」の木も在ろうかと思われます。
 杏の収穫期は、六月の半ば頃から七月半ばにかけてであり、その頃の風が吹く夜ともなると、毎晩、馬場邸の屋根を打つようにして熟した杏の実が落ちて、独り寝の馬場あき子氏の心をも打つのでありましょう。
 「かなしきもの」とは、馬場邸の屋根に音を立てて落ちた杏の実、その「かなしきもの」を「あすは拾はむ」と、寝もやらぬ夜半に馬場あき子氏は思っているのでありましょう


〇  異変のごとく数十の実もて土を打つ杏のひびきふともおそろし

 例え小さな杏の実とて、一つや二つではなく、「数十」個も一斉に庭の土を打つようにして落ちたならば、その音を以て「異変のごとく」と比喩するのも、必ずしも大袈裟とは言えません。


〇  寒き風吹く日 暑き日 豪雨の日 見ぬ陽 見えぬ陽 杏は実る

 今年、2019年と言う年は、「寒き風吹く日・暑き日・豪雨の日」といろんな天候の日がありましたし、また、独り身の高齢者である作者にとっては、 外出しなかったが故に「見ぬ陽」もあったし、外出していたにも関わらず「見えぬ陽」もあったに違いありません。
 そうした日々にも、馬場邸の庭の「杏」の実は、怠る事なく「実る」のでありましょう。


〇  防人のここより発ちし歌はあれど帰り来し歌ひとつもあらず
〇  防人は帰り来ぬものか補充され補充されいづこにゆきし

 作者が現在お住いの、神奈川県川崎市麻生区柿生は旧武蔵国に属し、多摩丘陵の一郭である。
 万葉の昔日、この地からも「防人」として徴発されて、遠く九州の地まで赴いた者が数多居て、彼らの中の幾人かは、『万葉集』に<防人の歌>を残しているが、その内容は、専ら、防人として九州に赴かねばならない辛さや悲しさを述べたものであり、防人としての任務を終えて故郷に帰る時の嬉しさを述べたものではありません。
 一体全体、彼らは任務を終えて、目出度く故郷に帰る事が出来たのでありましょうか?


〇  頭にも腹にも胸にも膨れくる重き飛行音 敗戦忌来る

 柿生の上空は、今年も相変わらず「頭にも腹にも胸にも膨れくる重き飛行音」を立てて米軍機が飛び回っているのであり、そうした重苦しい爆音に怯えながら、本作の作者の馬場あき子氏も私も、八月十五日の「敗戦忌」を迎えたのである。
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「小池光第一歌集『バルサの翼』」を読む

〇  雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ

〇  稚き桃ほのかに揺れゐる瞑れば時のはざまに泉のごとしも

〇  宙に置く桃ひとつ夜をささふべし帰るべしわが微熱のあはひ

〇  暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき

〇  したたれる桃のおもみを掌に継げり空翔ぶこゑはいましがた消ゆ

〇  桜桃よ皿にあふれてこぼれたるこのひとつぶの眼恋ほしも

〇  溶血の空隈なくてさくら降る日やむざむざと子は生まれむとす

〇  さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき

〇  北の窓ゆつらぬき降りし稲妻にみどり子はうかぶガーゼをまとひ

〇  あぢさゐの素枯れあふるる暗がりへみどりごの父帰り来たれり

〇  表情のひとつひとつを喚びかへし合歓の花高き夏は来たりぬ

〇  倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ

〇  ひと夏の陽に食まれつつなほ高くひまはりは父のたてがみ保つ

〇  あかつきの罌粟ふるはせて地震(なゐ)行けりわれにはげしき夏到るべし

〇  つばくらめ切り裂く空に若夏はきて暗みけりあたらしき潮

〇  おとうとと争ひ獲しがキアゲハのあくる日はやく光沢(ひかり)喪ふ

〇  黒き幹つたふ羽蟻にくるひびきだれがはがねを打つ曇りあり

〇  鳥よ ひとみをあけて死ぬるものよわれ一息におまへを裂きぬ

〇  青春のをはりを告ぐる鳥の屍の掌にかくばかり鮮しきかな

〇  ぎりぎりと執着し来ておのれなる山椒魚(さんせう)の吐く息のみじかさ

〇  交接の馬曇天に果てるまでさむざむと見て引き返しきぬ

〇  なつかしき木の香の満つるチェロの中このしばらくを睡りに帰還る

〇  ああ雪呼びて鳴る電線の空の下われに優しきたたかひあらず

〇  みづからの筋をいぢむる愉しさを月ゆたかなる窓におもへり

〇  青年機関夫つかれて伏すと春草のうへかすかなる火のにほひありき

〇  片肺の父らつくりし機関銃いづこわれらはつばき吐きゐて

〇  亡父(ちち)の首此処に立つべしまさかりの鉄のそこひにひかり在りたり

〇  父の死後十年 夜のわが卓を歩みてよぎる黄金蟲あり 

〇  樺美智子虐殺されしはつなつへ飛翔をいそぐ一羽巣にあり

〇  われらが粗野にふるまひ遂げしのちのことはるかに夜の青空を見き

〇  つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり

〇  野にひびくかるき音して折られたる感触もすでにみづからのもの 

〇  バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる

〇  ポプラ焚く榾火に屈むわがまへをすばやく過ぎて青春といふ

〇  祝祭日のみじかき昼を満たしくる酸ゆきチエホフの断片たりし

〇  雷雲のはるかににほふ髪下げて少女は来たりゆるしを乞ひに

〇  いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

〇  一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと

「小池光第十歌集『梨の花』」を再読する

〇  黒雲のしたに梨の花咲きてをりいまだにつづく昭和の如く

〇  目をあけてしばたたきしばしわが顔を見るがにしたりこの日の母は

〇  「終身」まで預かりくるる病院へ母をうつせり秋晴れの日に

〇  おもひ出づるまでに遠くに母ありて週にいちどをわが訪へるのみ

〇  パンダの縫ひぐるみひしと抱きしめて百四歳の母の誕生日

〇  病院庭の満開のさくら見てゐたり雨にぬれてゐる病院さくら

〇  ゆくりなくおもひいでたりフォークダンス異性の髪のにほふせつなさ

〇  そのむかし武田泰淳にわが読みし房江といふ名の女おもひ出づ

〇  女子会のとにもかくにも盛り上がるとなりの席にひとりもの食ふ

〇  いつのまに年とりをりてこまごまと詞書つく歌のうるさうるさ

〇  家の中に入り来し太き夜の蟻をつぎからつぎにみなころしけり

〇  をりをりにリップクリーム塗ることあり六十七歳のわがくちびるに

〇  崖として人の齢はあるものか十七歳の崖六十七歳の崖

〇  わが半生かへり見すれば自転車泥棒いちどもせずに来たりしあはれ

〇  足の爪赤く塗りたる姉むすめ青く塗りたる妹むすめああ

〇  「はい」とのみ返信一語娘のメールすなほにあればかなしかりける

〇  子なきゆゑ生にさほどの執着なしとぽつりと言ひし吾子をかなしむ

〇  百円ショップで買つたと言ひてヘアブラシ長のむすめがわれにくれたり

〇  ひとり暮らす父がため夏が買ひくれし一万四千円のおせちの箱や

〇  緊張の日々をすごせば妻亡き七年ただの一度も風邪引かず来し

〇  妻の死後われに一切の射幸心なくなりたりしはなにゆゑならむ

〇  ふたりして働きためて娘夫婦マンション購ひしことを慶賀す

〇  志野も三十六歳となり一人娘を育てることにいのちを燃やす

〇  フィリピンの人と再婚しないでと長のむすめが真顔にて言ふ

〇  すがすがとわれは居るべし雪ふる夜再婚話のひとつとてなく

〇  あこがれの銀山温泉露天の湯に長つかりしてくにやくにやとなる

〇  元日の郵便受けに入りてゐし「ピザ」のチラシの沁みてかなしも

〇  思川鉄橋わたる車中にて缶コーヒーのあたたかき飲む

〇  畑中にいつぽんきりの梅の木あり二月二十日を花つけてゐる

〇  未発表の歌百ばかりたまれるは財布に金の唸るがごとし

〇  辛うじて立つ足腰をはげまして水のみに行く猫よわが猫

〇  小さくて痩せつぽつちの猫なりき水のむおとのいまにひびきて

〇  辛うじて立ちてゐざりて水のみに行きたる影も忘れざらめや

〇  板の間に横たはりつつ「ぼろ切か何かのごとく」なりたる猫は

〇  死のきはの猫が嚙みたる指の傷四十日経てあはれなほりぬ

〇  多力者のなせる業にて大佛次郎生涯に飼ひし猫五百匹

〇  手に入れし古書を開きてぞんぶんにさしくる春のひかりを吸はす

〇  革靴の先そんなにも尖らせて何にいらだち歩くといふや

〇  山前といふ駅ありて二つの山三つの山を前にしてゐる

〇  伯耆の国より送られきたる干柿はわれに食はれて種のこりたり

〇  利根川を小舟にわたりゆきたりし義経主従がまなかひに見ゆ

〇  いちめんの低き空よりひたひたと悲しきものは降りはじめたり

〇  いろいろのことがありたるとしつきや無二なるいのちつひにうしなふ

〇  うつくしくわらへる老いし女性ありさくらんぼの実をいま食はむとす

〇  いただきし西洋梨の実のひとつたなごころにてあたためてゐる

〇  鉛筆を削ること好きなこどもゐてえんぴつぐんぐん短くなるも

〇  をさなき日おもへばこひし臍の胡麻取つたら死ぬとおしへられつつ

〇  遠ざかりゆかむくるまを呼びとめてあつあつの芋いつぽん買ふも

〇  三畳一間にふたり棲めるか「神田川」きくときつねにうたがひにける

〇  いつぽんの煙草尽きるまで聞いてゐる坂本冬美のうたふポップス

〇  引退の記者会見に浅田真央うしろをみせてなみだをぬぐふ

〇  くらやみに定家葛のにほひしてわがひとり住む家はちかしも

〇  絨毯のうへに落ちたる鉛筆は音もたてずに落ちたりしのみ

〇  電車窓より過ぎ去りしソープランド「太閤」のネオンそれからの闇

〇  野洲小山の駅のホームの立ち食ひそば慈悲のこころの沁みてうましも

〇  赤帽子黄帽子保育園児の一団がなのはなの道あゆみて行くも

〇  めんどりの腹を割らけば順々に生まれるたまご連なりありき

〇  地球つつむ空気あるゆゑ空あをし物理教師のわれは教へき

〇  物理教師やめて九年か二次方程式の根(こん)の公式さへも忘れつ

〇  立石久君武者幸一君ふるさとにふたりの友はすでに世になし

〇  タンク車の連なる中にくろぐろと「クロロホルム専用」の一車輛あり

〇  をさなごがをどるバレエはことのほか花あるものぞ「ねずみたちの踊り」

〇  「ペンパイナッポーアッポーペン」と唱へつつ五百羅漢のあたまを撫づる

〇  小紋潤おもへば冨士田元彦おもふ事務所の本の山に埋まりをりき

〇  「未来」金井秋彦選歌欄にわづかの人が居たりしをおもふ

〇  天理教分教会の庭しづかにてハクモクレンの花満開とのみ

〇  あんぱんの臍を発明したる人円満なる晩年を送りたりけむ

〇  息つめて引き抜きにけりしろがねのかがやきもてる鼻毛いつぽん

〇  ピラカンサの赤実を夕日照らすとき癌に倒れし島倉千代子

〇  つかむ手のひとつとてなき吊り革が利根川わたる電車に揺るる

〇  自転車のパンクを直す方法は昔もいまもかはらずにあり

〇  なにがなし眼光弱くなりたりしバラク・オバマをおもふ寒の夜

〇  逃げ出ししチンパンジーが三時間後に捕へられ春の日暮れぬ

〇  冷蔵庫の野菜庫にありてナノハナがいくつかの花つけたりけふは

〇  鵯が自転車のハンドルに止まりをりあな珍しとわれはおもへる

〇  畑隅に黒御影石の墓石あり夏のひかりはすなはち照らす

〇  トンネルに出口あることうたがはず時速二百キロ「はやぶさ」突つ込む

〇  ただ一羽のみなるすずめけふも来てゆきやなぎの枝にしばらく遊ぶ

〇  講演に岡山に行きて日がへりす昼も駅弁夜も駅弁

〇  駅弁のからを車窓より投げることもむかしの人は難なくしたり

〇  わが希ひすなはち言へば小津安の映画のやうな歌つくりたし

〇  蹄鉄師といふ職種あり馬の足とみればすなはち蹄鉄を打つ

〇  人間としてだめだからだめなんだ 歌集を閉ぢてわがひとりごつ

〇  おもしろき事を語らぬひとの歌おもしろからず歌はひとにて

「小池光第七歌集『時のめぐりに』」を読む

〇  庭椅子のカンヴァス席に雨みづはたまりてゐたり朝はさびしく

〇  操觚者を父にもちたる運命にものを書くむすめ書かざる娘

〇  「子供より親が大事、と思ひたい」さう、子機よりも親機が大事

〇  忽然と打てなくなりしイチローをわが身の上に重ぬるこころ

〇  馬の名の「チカテツ」にわれおどろけば「ヒコーキグモ」に更に驚く

〇  万華鏡におほき熊ん蜂閉ぢこめて見むとしたれどいまに見るなし

〇  弥縫策にすぎぬこととは知りながら花を買ひきて妻としたしむ

〇  食卓にひきがへるのごとむつつりと膨れてをればわれは父おや

〇  ドア閉める音はしばしば言葉より雄弁にひとのこころを伝ふ

〇  かりそめのもののごとくに思川岸辺のくさに触るるときあり

〇  座り猫ふりむくときになにかかう懐手する感じをかもす

〇  ラーメンの喜多方をふかく意識する餃子宇都宮思へば泣かゆ

〇  醤油差しつまりて醤油の出のわろし日常茶飯を人は蔑せど

〇  どくどくとアドレナリンが分泌する音がきこえてうたができだす

〇  かゆいとこありまひぇんか、といひながら猫の頭を撫でてをりたり

〇  ふとんのなかにただの三日を居たるのみに出てゆく世間がかくまで怖し

〇  川端康成(かわばた)のうすきみわろき目をおもふ落ち葉の天に舞ひあがるとき

〇  ユーモアは男の証たるべきと殻のまま呑む甘栗ひとつ

〇  日に三度飯食ひしのみにをはりぬとことしの夏を弔ふわれは

〇  「楽しむ」と「愉しむ」とありいつよりか愉しむの字をわれは嫌へる

〇  しもつけの五十畑村を立ちゆきし百年過去の馬とひとびと

〇  砂利踏んで両毛線をまたぎ越ゆこころのはづみありありとして

〇  吉祥寺駅頭に竹の笛を吹くアンデスのやまを降りたらむ人は

〇  トンネルの断面馬蹄形なるをもつてさびしき郷愁といふ

〇  街角のもの売り少女「オクムラのボールペン一本買つてください」

〇  生き別れしたる母子のものがたり天津羽衣、天津甘栗

〇  佐野朋子ふたり子中学生といふ風のうはさにひととき怯ゆ

〇  部屋のうちそとみさかひもなきまでに虫のこゑする九月十日の夜
                     
〇  おもへらく上手の手から水がこぼるは手水(てうず)の水が手にこぼるの転
                     
〇  夕刻のならひとなりて電線にひたすらとまる椋鳥のむれ
                     
〇  目の裏がかゆくなりたりとおもひしとき突発的にわれ眠りたり

〇  いくたびもアルジャジーラを引用しはてなく伝ふCNNは

山中智恵子第十五歌集『玉蜻』(抄)

〇  湯の峰は空よりゆかむ十津川のあなや吊り橋 空よりゆかむ

〇  今日白露 つゆのたよりにいふべくは萩叢越えてゆきしものあり

〇  あかつきをむつなみすばる西に入り星の出入の風吹きわたる

〇  春さらばきみとつかふか羽子板星 空の真中にかがやきそめぬ

〇  ひめやかに秋霖いつか雨林霖 老いのはてなる虹の夢はも

〇  <泥坊消えて雨の日青し>と附けにけむ桃青若くわれは老いたり

〇  わが心覚ましてゐるはくきやかに稲掛の彼方の昇る三つ星

〇  露の底大空の底邯鄲(かねたたき) 思はれびととつひによばれむ

〇  雁の影大空過ぎて事もなき風の夕暮いかに過さむ

〇  あかときの雨中の村を過ぎゆくと沈むにおそき牛飼座あり

〇  野茨の実火星のごとく点じたる山路ゆかなむ風の夕ぐれ

〇  野分はてわが秋果てぬ唐招のみ寺の柱夕焼くるかも

〇  いづかたに恋ひきこえなむ秋深く邯鄲の鳴く雨のまぎれに

〇  夕焼の大屋根にゐてかちどきす金毛九尾の一尾を立てて

〇  尾のなき馬飼ひしは定家わが猫なべて長大の金の尾もつ

〇  おほみづあをとびたちゆきてひさかたのかつての更地にあそびしをとめ

〇  戦といふふるきもの忘れゆくにヘラクレスとむふ星は残れる

〇  くれなゐの雨はひねもす世を閉し孵りてのちのわが繭の仮死

〇  世の終 時の終のあさみどり夕べの鍋の芹の一茎

〇  あかつきは青き扇のいろの夢ゆめまぼろしの傘をささうよ

〇  秋の日の鶺鴒澄みて石たたく虚無をたたくとたれか見ざらむ (以上「本歌は夢」より)

〇  心の麻を刈るもすずしき夏の日の過ぎゆくものは忘れはてなむ

〇  不意に来て俤顕たすあかねさす昔の夏の夜の蟬の声

〇  アメリカン・ショートヘアーの猫がゆく楡の木蔭に佳きことかある

〇  川欠けのごとくに銀河流れ去り何事もなき秋の空かも

〇  尉鶲翁顔してついばみし千両の実を喰みこぼしたり

〇  こころにはレースを編みて眠りしかひとつの夢のからす瓜の花

〇  天川の吊橋ゆけばまことこれ銀漢までのしろがねの道

〇  空の磁器壊れゆくかなあをあをと心に水のながるるときを

〇  かの星は嘆きのゆゑにかがやくといひ終らぬに霰降りける

〇  薔薇は玻璃に閉ぢて歌へよ 永遠の睫毛の夏を閉ぢて歌へよ

〇  青空のたなびく空を癒えそめて文字游心の日ははるかなり  (以上、「月出帯蝕」より)

〇  玉蜻夕日にむきてこととへば焚きあましたる恋もあるべし

〇  保昌と紫式部あひしことたまかぎる日のおよづれならむ

〇  秋あかねすさべる庭にめぐりあひて訪ふも問はぬもはるかなりけり

〇  忘れてもあるべきものを草ひばり一声なきし夏も過ぎたり

〇  累代の博士の家にあらなくに庭はあれたり紅花の咲く

〇  秋はただ青松虫に澄みわたりいづれの暮か雲を見ざらむ  (以上、「玉蜻」より)

〇  朝月の淡くほのかに消えゆきし人のこころの見せ消ちの文

〇  飛行船ツェッペリンの記憶などはかなき雲のごとく遠のく

〇  初雁の暗き空より陥ちくるを定家の声と思ふつかのま

〇  甲冑を売りて涼しき晩年と夏のみ愛し世に古りゆかむ

〇  <もういいかい><もういいよ>こののちわれら何をしたりし

〇  風ふかき峠をくだりわくらばに秋の螢の迷ふを見しか

〇  中世の風ふくところ秋の庭萩のみ植ゑて十年は過ぎし

〇  無名の琵琶そのかみみやこに在りしことからす瓜の花よりはかな

〇  青き穀物の花咲く野辺に参りなむ 友よみづの上歩まむいつか  (以上、「桃青の夢」より)  

  

「今野寿美第九歌集『雪占』」を読む

〇  跳ね駒、種播き爺の雪占に謎なくて春 大地励ます

〇  愛すべき冥王星の小ささを誰も言はなくなりけり誰も

〇  海の底が見えるまで引いた水のことこどもの目にも世界壊れき

〇  をさなごがきちんと静止するすがた放射線量測らるるため

〇  東京のさくらほころぶ<その日>からもう三週間と思ふその日に

〇  やりすごす春にあらねばこきざみにいかにも耐へてゐるさるすべり

〇  ただ笑ふだけではなくて春の山 のたり(丶丶丶)だけではなく春の海

〇  一太郎は少数派なりそれでいいさうしていつも片隅にゐる

〇  切り売りの噂が迫り収穫を終へたる梅の百本黙然  

〇  梅の木を伐り倒す音この丘のわれらの暮らしのそこまできてゐる  

〇  三十年の平穏揺りあげ梅の木の六十本が倒されにけり

〇  雨ゆゑにブルドーザーが休む日の地表いまだけ本音のにほひ

〇  両の耳出すと涼しい 当たり前がくつがへりたる春ののちいま

〇  気仙沼はカモメ群がる港町にぎりにフカの鰭のるところ 

〇  松原をおびやかしくる水暗しロイター共同tsunamiを写す

〇  出遅れて鳴く蟬たちの八月はそのためにあるかのやうな船

〇  もういいと打ち切つてみてかなしみはそのあとにくる かなかなが鳴く

〇  眠れない夜に聞く蟬それなりにまちがひなく焦つてゐるなり

〇  人はみな心で思ふものにして衿かきあはするときあたたかし

〇  どのやうに見てどこから眺めても桜はつまり その気にさせる

〇  ミサイルも飛んだと後に知らさるるそんな国家でありそれでいい

〇  指先を滅菌ティッシュで拭ふときなぜかめつぽう強気になれる

〇  朝の温泉たまごがふたごそんなことすらとかさへとかだにといふこと

〇  九つづつ作る温泉たまごなり定型くづしがたきは日常

〇  やや邪悪な匂宮に花もたせ女心といふ千年史

〇  少年が俺と言ひ始めるときの小さな芯が母には見える

〇  治るとき痒くなるのは本当でちつとも痒くならないこころ

〇  曖昧な定義によりて「曖」「昧」をやつと加へた常用漢字表

〇  二十九年ぶりの改訂一覧の常用漢字に柿灯りたり

〇  〈世の中〉は男女の仲をいふなりと広辞苑の⑤大辞林の⑥

〇  冬柏(ツンバク)が先か椿が渡つたか 拉致が「ら致」では押しきらるべし

〇  かなしみはもとより忘るべくもなく錘をつけて過去形にする

〇  てのひらに375グラムの百匁とふころあひの嵩

〇  それなのにねえと唄ひし美ち奴知らねど 茂吉愛されてゐる

〇  DNAはまさしく啄木その額(ひたひ)曽孫の少女の元担任より

〇  小石川植物園の池の面にぬぬぬと亀の浮くマイペース 

〇  くつと飲む水は喉(のみと)にしらたまの一月四日つぐみが来たり 

〇  念入りに水浴びてゐるつぐみなりなかば浸りて妄想もして 

〇  よき酒をたいせつに呑む心にはとほき若さや白梅つぼむ 

〇  息の下に「あなたとあなた」それさへも「あなた」ひとりのことにありけめ

〇  二百年くらゐは生きる亀にしてうんざりうんざり浮き沈みせり

〇  薄ら氷の縁(へり)にくちばし差し入れるああこんな一所懸命もある

〇  水仙は立つて年越すならひにて暮らしの外に香をただよはす

〇  学校から〈父兄〉が消えて〈父母〉消えてあたりさはりのなき〈保護者〉会

〇  念入りに水浴びてゐるつぐみなりなかば浸りて瞑想もして

〇  人はみな心で思ふものにして衿かきあはするときあたたかし

〇  皮はぎのつるりと可哀想なるを煮たれば熱いうちにと供す

〇  餌づけまでして撮らむとぞその一羽を囲むは例外なく男なり

〇  夏衣(なつぎぬ)の尾長ゆらりと裾をひき雨のにほひを残して消えぬ

〇  ぬくもりのUSBメモリー手の内にあるは嬉しも今日はここまで

〇  鯖のあをを厭ひたりしがおとなしく食めりこの春ひとりの男

〇  聖書なら持つてゐる開くこともある文語訳であることがたいせつ

〇  「國文學」すでに休刊「解釈と鑑賞」の灯も消ゆる秋なり

〇  校正刷り(ゲラ)の一字に「よろしきにや?」と注ありし「解釈と鑑賞」編集部

〇  桃ひとつをさめて重き身の芯はそのままひやり夜へ傾く

〇  今日いつさいことば発してゐないこと鳥でいい鳥がいいこころをつつむ

「和嶋勝利第四歌集『うたとり』」を読む

〇  平成は昭和の二日酔ひのごと無為の時間に出口が見えぬ

〇  葷酒とふ楽しきことはやめられず味噌をつけては食むエシャロット

〇  人の名は時代をうつすものなれば勝たねばならぬ戦争なれば

〇  にんげんの必死のすがた見せながら25メートル子は完泳す

〇  福島泰樹みたいと妻に疎まれて中折れ帽子もそれつきりなり

〇  ひいやりと朝の空気は黙しをり やあ樅の木よまた会ひに来た

〇  タラップを降り来る四人の法被にて永久に残らむJALといふ文字

〇  五十二で逝きたる父にあと三年かぞへてわれの元旦はある

〇  表情を苦き果(このみ)であしらへた雪だるま おお、それがぼくだよ

〇  『三省堂例解小学国語辞典』子の手を離れわが愛用す

〇  ちちのみの父の背丈は越えたのか越えられぬのか 夏、十四歳

〇  "うたとり〃は美しい声の鳥にあらず報告さるる疑はしい取引

〇  恋人をぼくから奪つた俊介とそれには触れず酒さし交はす

〇  謝罪ならいらぬとなれば出る幕もなく出るとこに出ることとなる

〇  傍聴を出張としてとある日の午後いつぱいを京都にありぬ

〇  業者らは手みやげを提げやつてくる辛き条件つけて総務部

〇  億劫のやうで遠慮もあるやうで調査が心に踏みこめずゐる

〇  27分32秒の攻防 勝者あらざるさみしさを曳く

〇  不作法な振る舞ひだけは気をつけろゆくゆくネットが晒しにくるぞ

〇  出来ること出来ないことを伝へをりこの申し出はマニュアルどほり

「惟任将彦第一歌集『灰色の図書館』」を読む

〇  この部屋に濃霧立ち込めたる朝の空気清浄機の役立たず

〇  最後の力振り絞りたるごと指折り曲げて軍手はありき

〇  窓に星座の映る真夜中を読むわれもいつしか本と変はりて

〇  灰色の図書館訪ふ白髪のホルヘ・ルイス・ボルヘスたちが

〇  ペットボトルもんどりうつて倒れたるもう永遠に夜だ夜だ

〇  缶コーヒーブラックの蓋一捻り「中身が噴き出すおそれがあります」

〇  愛ゆえに女房役と呼ばるるかホームにて待ち構へる捕手は

〇  三つのベースに人満ち風が砂が舞ひ打者、野手、客は投手(ピッチャー)を待つ

〇  三塁線切り裂いてゆく白球を追ふアルプスの二人のゆくへ

〇  試合中生まれたと聞き二リットルペットボトルを持ち上げてみる

〇  ミサイルの飛び交ふ下を鯉幟あぎとふそれを目守るみどりご

〇  おしやべりで猫背のキャッチャー知つてるぜおまへほんとは猫なんだらう

〇  本抜けば向かう側には目がありてわれの背後を覗き込みをり

〇  仕事帰りの人々集ひ帰るまで束の間過ごすコルシア書店

〇  ファミリーレストランにて一人友人と言ふべき本と語らふ時間

〇  沸騰を知らせる湯気が上がるまで俺は薬缶に語り続けた

〇  かなしみをはらみ海文堂書店ブックカバーの帆船進む

〇  待ち切れず河川敷にて本を読む少年のランドセルのみどり

〇  わが眼荒れたる朝食のパンの耳まで青黴に侵されて

〇  本棚の一冊抜けば湿り気のある文字たちが零れてゐるも

〇  日本語学校入学式後の喫煙所HOPEを胸いつぱい吸ひ込んで

〇  書き取りの最中同時に消しゴムを手に取りたるは劉氏と孫氏

〇  手もてカレー食ひしを語る吾に寿司もさうぢやないかと言ふ人のあり

〇  机間巡視のたまゆら窓の外見れば街路樹たちがウェーブしてゐる

〇  漢字を知らぬ人の前にて腕を組むわれは漢字のごと見えるらし

〇  ドミニクのキムを励ます日本語がこの教室の主題歌となる

〇  アジア系、欧米系、アフリカ系の人々と擦れ違ふたまゆら

〇  ああここにも叫び続けるものがゐるほどけつつある靴紐たち

〇  住民は監視カメラに見守られ囚人となり果てたのでした

〇  青野にて首絞めし友鉄槌の木殺し面をわれに向けをり

〇  走る吾のからだは海へ溶けゐつつあらむ播州加古の川沿ひ

〇  遠街(おんがい)の火事にも火災報知器が鳴り響きたる飲食(おんじき)のとき

〇  だしぬけに動き出したる電動の剃刀父の帰宅知らせに

〇  顔面の皺がワイシャツ、背広へとつながる男吊革持てり

〇  ヒマラヤの使用済み切手の上をてんたう虫が登攀してをり

〇  北極星(ポラリス)は四三一光年 この星の百年後の安全

〇  時間を守るひとたち出来事を優先させるひとたち暮すこの星

〇  だしぬけに把手落ちたり虐殺をされしギタリストの手首のごと

〇  城壁の弾痕潜り抜けるたび紋白蝶(もんしろ)白く白くなりゆく

〇  三十九キロ地点周りの声援に靴が「モウダメダ」と言つてゐる

〇  青き闇の砂丘歩めり燃え上がる二瘤駱駝の十四、五頭が 

〇  突風に砂が片眼鏡に当たりレンズが涙流してゐるも

〇  見たこともなき生物か否椅子だ椅子が椅子に座つてゐるのだ

「野樹かずみ第一歌集『路程記』」を読む

〇  永遠の眠りを眠る始祖鳥の夢かもしれぬ世界に棲めり

〇  故郷からわたしから逃れゆく夜の列車にわたしの顔だけ映る

〇  遠ざかる光景ならば愛せるかオペラグラスは逆からのぞけ

〇  ほんとうの地平をみたい 真夜中の冷たい硝子に口紅をひく

〇  花びらはしずかにながれすぎにけり水のおもてのわれを砕いて

〇  どんな深い海峡があっていまわれに隔てられている名もなき故国

〇  かたちなき憧れゆえに漂着の重油に浮かぶ虹を見ている

〇  無心に蟻見いる少年背に落ちる縄目のような木の影知らず

〇  少年の冷たい指が弾くとき和音を拒む弦ひとつあり

〇  生涯の終わりに母が食べのこすマスクメロンの緑の半球

〇  心ならぬ者に口づけされるなら抵抗の悲鳴鋭く 笛よ

〇  月みれば月にむかって伸ばさずにいられなくなるこの手が悪い

〇  鞄には教科書、鉛筆、鉛筆のためらい傷で汚れたノート

〇  水は硝子の器あふれそうで(では叫びたいか では泣きたいか)

〇  誰も見ることなき裏の顔を持つ月球ひとつ抱けりわれも

〇  触れるとき耳朶の冷たさかなしくて口に含めば罪犯すごと

〇  やすみなく地上の冬を育ちゆく木々ありわたしの柩の木あり

〇  冬の河渡りつつふいに声を聞く(生まれる前に死にたかったか)

〇  水底に沈みし大樹いまもなお歌わぬ千の鳥を翔たしむ

〇  無分別な心だろうか口づけをするとき永遠をねだっている

〇  鳩小屋の鳩らになにをうちあけて午後のひかりのなかに笑む母

〇  何げない午後に見かけた陽に灼けた畳の荒野をゆく母の背を

〇  みるうちにわけもなくなみだぐむとおい山のふもとのうすいむらさき

〇  夕闇のもろこし畑の風のなか母呼ぶ声のやがて泣き声

〇  死んでゆく母だけ味方いまは本を読むさえ父に憎まれていて

〇  退屈に寝転んで蹴る地球儀のアジアはわたしの足の面積

〇  火星赤く われは胎児をふとらせる闇を抱えた古代の埴輪

〇  この星にきみ生まれけり水の匂いさやかに立ち上がる秋の朝

〇  みどりごの眠りをいまは抱いてゆく蛍飛び交う銀河のほとり

〇  姉の赤い唇からしずかに昇りゆく婦人体温計の水銀

〇  朝ごとにきみに発見されている世界に一羽の鳥降りてくる

〇  むざむざとさらされて在る憎しみに真白にやわきむくげ花裂く

〇  胸に棲む鳥の羽毛をむしりやまぬわたしをだれか無理矢理とめよ

〇  あこがれの果てのちいさな景色なり誘蛾灯下にちらばる死蛾も

〇  焼き捨てる思い出の品にまぎれて地図帳いまはアジアが燃える

〇  風景の危うくゆれる街をゆく人それぞれの義眼のなかに

〇  ゴム草履パタパタ鳴らし少女らがサンパギータの花売り歩く

〇  こわれそうな小屋から子どもたちにぎやかな音符となってとびだしてくる

〇  ぬかるみのなかのちいさな足あとの水たまりにも浮かぶ太陽

〇  ゴミ山の腐臭きわまるなかに立つ(あるいは心のなかかわたしの)

〇  曲がり角過ぎゆく度にひとりずついなくなっている共犯者たち

〇  行きどまりの壁でわたしの影が待つおまえにつかまるなら仕方ない

〇  いつかいなくなるからいまはいることのやさしさのほかなにもいらない

〇  いつかすべて光の粒子おもいでも路上の砂塵のようないのちも

〇  手を振って駆けてくるたった七歳でレイプに慣らされた子が笑う

〇  ぬかるんだゴミかきわけてゆくどの子もくるぶしまでは汚泥につかり

〇  残飯のなかより拾いしオレンジを分かちあう子ら>ある夜は星を

〇  薔薇いろのゆうぞらのした死んだ子の小さな柩が運ばれてゆく

〇  透かしみる写真のネガにもくっきりとわたしのかたちの欠落がある

〇  地下鉄の轟音として迫り来るおぼえていない過去から闇が

〇  かごめかごめ鬼の子いつまでうずくまる後ろの正面風ばかりなり

〇  雨期あらゆるゴミに残飯と髪の毛が付着している>拾う>よりわける

〇  残飯にまみれたクマのぬいぐるみを子どものために拾う母さん

〇  血液が入ったままの注射器で水鉄砲する 止める大人もいない

〇  ゴミのなかで子らは何かを食べている食べていけないものに決まっている

〇  腐敗する人の子の夢 ゴミ山に数限りない蠅が湧き上がる

〇  あれはどこの野原だろうか千年ののちのわたしが菜の花を摘む

〇  奪われてしまうものならはじめからいらないたとえば祖国朝鮮

〇  豚のほうがいいものを食べているよと言う豚の餌はレストランの残飯

〇  飼っている豚に与える残飯を素手ですくって老婆がわらう

〇  汚れたるビニール紐が足首にからまるいたるところに国境

〇  どんな深い海峡があっていまわれに隔てられている名もなき故国

〇  わが国と呼ぶ国もたずかりそめの胸の大地はいま砂嵐

「栗木京子第三歌集『綺羅』」を拾い読みする

〇  親しげな体温持ちてすり寄れる鬱こそわれの新しき綺羅

〇  噴水の秀先をぬらす雨足の昏さかゆふべ子を呼ぶわが声

〇  フレミングの左手の法則教へむと子の手をとれば親指ほそし 

〇  並びゐるドアというドアわづかづつ反る気遠さで雨のマンション

〇  入口に夫を待たせて靴を買ふ降誕祭の電飾うつくし

〇  人生はたのしと胸にくり返す文章問題解けぬ子とゐて

〇  子に送る母の声援グランドに谺せり わが子だけが大切

〇  要らぬ札つぎつぎと抜き捨ててゆく春の家族のトランプゲーム

〇  地下駅へ深く降りゆく足元に百年前の町の風吹く

〇  十月の跳び箱すがし走り来て少年少女はぱつと脚ひらく

〇  パソコンの横にバイオの薔薇は咲き日々しろがねの水を欲るなり

〇  濡れざればいつまでも雨気はらみゐて傘のうちがは胸のうらがは

〇  左手もて右指にガーゼを巻くときにわが半生のふいに愛しも

〇  布の花グラスにさはに挿し入れてこの世にはなき水をそそげり

〇  さはさはと甕に挿す百合夜の更けにゆるき書体のごとくほどけつ

〇  出奔の夢すてきれず氷るほどつめたきトマト頬ばりながら

〇  舌びらめの半身に胡椒をふりながらのっぺら坊の夜がわれに来る

〇  巻くよりも折るを好めり紙と紙ひらたくさむく身を寄するゆゑ

〇  白薔薇が枯れいそぐ冬誰かわれに最上級形容詞贈りくれぬか 

〇  絹張りの空の蒼さよ耳もとに少女は一生の秘密告げくる

〇  白き傘ほそく巻き締めたたむとき少年たりしわが前世恋ふ  

〇  ふたつ折りになるまで波に揉まれつつ遠ざかる帆を若さと呼ばむ

〇  負け馬に乗り換へほくほく往く生もたのしからむがわれは勝ちたし

〇  捨て印のごとき昼月うかびをりわが生は誰の楔でもなし

〇  美術館倉庫の闇へゆるゆると搬送車入る贋作よ育て

〇  「甘い」とふ活字にしきりに会ひたくて初冬の開架書庫に入りゆく 

〇  発禁書蒐めし棚にたどりつく梅雨明けぬ夜の覚めきらぬ夢

〇  大いなる夜の繭ざくと切り剖く刃はあり寒の稲妻ひかる 

〇  月かげの道あゆみ来てわれは銀ひとは碧のしづくに濡れつ 

〇  身のうちの海に凪ある午後三時方位失せたる帆船うかぶ 

〇  雲疾き九月よ少女は少年と樹液のごとき言葉交はせり

〇  組物の陶器いちまいづつ欠けて妻(め)となり十年こはいものなし

〇  パソコンの横にバイオの薔薇は咲き日々しろがねの水を欲るなり 

〇  出奔の夢すてきれず氷るほどつめたきトマト頬ばりながら

〇  家庭とふ全き真珠の傷いろいろくまなく照らし冬日澄みゆく

〇  春を呼ぶ風吹きすさび人も樹もふと表情をぬすまれて立つ

〇  夕茜褪せゆく空のたづきなさ泣かむとしつつわれは戯けて

〇  転がるは心地よからむ風の坂吹かるる紙にうらおもてあり

〇  アイロンの熱きくちばしワイシャツに押し当て唄ふ<遠くへ行きたい>

〇  薄紙をかざせばたちまち燃ゆる恋ゆめみるのみに一夏また過ぐ

〇  わかき死を見とどけし夜を砂のごとあかりこぼして夫は湯浴みす 

〇  草むらにハイヒール脱ぎ捨てられて雨水(うすい)の碧き宇宙たまれり 

〇  布の花グラスにさはに挿し入れてこの世にはなき水を注げり

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