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詩歌句誌面

読解なくして論評あらず。

今週の「朝日俳壇」より(2020/5/24掲載)

     高山れおな選

○   口中の金歯銀波昭和の日  (立川市)松尾軍治

 昨今の我が国に於いては、金や銀の入れ歯を嵌めた人を見受ける事が極めて稀になりましたので、掲句の作者は、身近にいた高齢者の金歯・金歯の入れ歯を嵌めていたので、それを昭和時代ならではのシンボル的な光景として、過ぎ去りし昭和の日々を懐かしんでいるのでありましょう。
 ところで、私・鳥羽散歩の幼・少年時、即ち、昭和二十年代は、「自分の父親がステッキを突いて散歩するだとか、中折れ帽を被って役所や会社に通勤しているだとか、金の入れ歯を嵌めているだとか」といった理由で以て、仲間内から尊敬されたり、学校の先生から大事にされたりするような時代でありました。
     父親が眼鏡を掛けてゐる故に学級委員を務めたる彼
 

〇   疫鬼舞ふ祭みな止む列島に  (藤沢市)朝広三猫子

 三席。
 <新型コロナウイルス禍>などの伝染病の流行は「疫鬼」即ち<疫病神>が暗躍している所為であり、この度の<新型コロナウイルス禍>の陰では、さぞかし数多くの疫鬼どもが舞い踊り、暗躍した事でありましょう。
 お陰様にて、昨今の我が日本列島に於いては、会社も学校もデパートも専門店も歯科医院も美容外科医院も幼稚園も保育所も動物園も水族館も博物館も美術館も歌会も俳句吟行も格安一泊バス旅行もバーもスナックも居酒屋も休みであり、遣っているのは火葬場と某新聞社の社員宅の雀荘だけでありました。
     雀卓を検事総長候補者と囲んだ朝日新聞元記者  


〇   今日一日生きし証や春の星  (神戸市)岩水ひとみ

 七席。
 稲畑汀子選の八席入選作と高山れおな選の七席入選作との共選である。
 稲畑選と大串選との入選作が共選入選作となるのはそれ程にも珍しくはありませんが、今や<朝日俳壇>の看板息子の高山れおな選の入選作と稲畑汀子選の入選作とが共選となるのは、十年一度の珍現象でありましょう。
     この長い五月生き抜き迎へたる六月もまた注意肝要



〇  赤よ黄よ家朽ちながら鬱金香  (彦根市)阿知波裕子

 八席。
 「鬱金香」、即ち<チューリップ>が荒廃した屋敷跡に咲いて居る光景は、あの独特の鮮やかな色彩が色彩だけに薄気味悪いものである。
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今週の「朝日俳壇」より(2020/5/24掲載)

     大串章選

〇   風のかたち水のかたちに花筏  (相模原市)松並敏子

 次席。
 掲句の作者は、神奈川県相模原市にお住いの松並敏子さんでありますが、相模原市にお住いの松並姓と言えば、私の歌友の松並善光さんも亦、相模原市の住民であり、松並なる姓は、そんじょそこらに滅多矢鱈に転がっているような有り触れた所為ではありませんから、掲句の作者と私の歌友の松並善光さんとはご夫婦なのかも知れません。
 そんな事はともかくとして、「風のかたち水のかたちに花筏」という一句に見られる、作者の観察眼の鋭さには敬服せざるを得ません。
 川面に散った桜のはなびらが集積して作られる「花筏」は、風が吹けば、その風の指示するままに集積され、水の流れのままに集積されるものであり、掲句の作者は、そうした様子をよく観察されて本句を詠まれたのでありましょう。
     水のまま風吹くままに花筏 東京湾へと流離ひ行かむ


〇   武蔵野の一点となり畑打つ  (さいたま市)齊藤眞人

 三席。
 「武蔵野」の一郭を成す「さいたま市」で、一心不乱に「畑」を「打つ」人は、自らを「武蔵野の一点」と為しているのでありましょう。
     自らを一景となし畑を打てば閑古鳥鳴く大谷口かな  


〇   蜂の巣を軒に許して媼棲む  (前橋市)荻原葉月

 九席。
 去る五月十日付けの朝日新聞・朝刊に掲載された、「朝日歌壇」の<馬場あき子選>の五席入選作は、掲句の作者と同一人物と思しき、前橋市にお住いの荻原葉月さん作であり、その内容は「軒下に足長蜂の巣を許し同士のごとく老い人の棲む」というものでありました。
 朝日歌壇や朝日俳壇に投稿される方々には、同じ短詩形文学という事で、短歌にも俳句にも通じて居られる方々(才人?)が多く、極く稀には、同一作者の作品が歌壇にも俳壇にも入選作として掲載されていた、といった場面も見られるのでありますが、掲句と前掲の一首とは、主題の同一性は勿論のこと、「蜂の巣→足長蜂の巣/巣を軒に許して→巣を許し/媼棲む→老い人の棲む」と、作中の語句の類似性(と云うよりは、同一性)も指摘されるのであり、この両者を入選作として朝日新聞の紙面で拝見せざるを得なかった、私・鳥羽散歩の思いはかなり複雑である。
     軒先に足長蜂の巣の在りて買ひ手付かざる古家なりけり  

今週の「朝日俳壇」より(2020/5/24掲載)

     長谷川櫂選

〇   小心のくせに大の字朝寝夫  (霧島市)久野茂樹

 首席。
 作者は霧島市にお住いの久野茂樹さんであり、久野茂樹さんは男性である。
 ならば、作中の「夫」なる存在は、作者の娘婿を指すのであり、作者の久野茂樹さんは愛娘さん一家を同居させて居て、同居中の愛娘一家の大黒柱たる娘婿(夫)が、人並み以上の小心者のくせに、舅の茂樹さんに隠しもしないで「朝寝」をしているので、それを難じて掲句を詠まれたのでありましょうか?
 その答は<NO>!
 即ち、掲句の作者の久野茂樹さんには、娘婿を難じる気持ちがさらさらに無く、作中の「夫」とは、久野茂樹さんご自身の事であり、掲句は、「愛妻の夫たる自らが、人並み以上の小心者のくせして、この<緊急事態宣言>発令最中に朝寝している夫である事」を、掲句を通じて隠し立てする事無く披歴しているのであり、選者の長谷川櫂氏の寸評には、「妻の目を借りて自分を眺める。世の夫の姿か」と在るのである。
     小心のくせに朝寝する自分、即ち自らを難じた一句!
     仕事せず俳句など詠むこと自体夫としての自覚に欠ける!
     自らを小心者と決め込んで昇進せずに脱サラをした!
     自らを小心者と決め込めばうんと広がる俳句の世界!


〇   頭から腐る憲法記念の日  (福島県伊達市)佐藤茂

 三席。
 五月三日の「憲法記念日」!
 今年の<憲法記念日>は、<コロナ自粛>の最中とあって、例年のそれとは、比較にならないほどにも盛り上がりに欠けた憲法記念日であった。
 福島県伊達市にお住いの佐藤茂さん作の掲句にも、例年に無く盛り上がりに欠けていた今年の<憲法記念日>への無念さが、「頭から腐る」という表現を通して、遺憾なく表現されているのであるが、私・鳥羽散歩は、今年の五月三日付けの「Yahoo! JAPANニュース」に掲載された、武蔵野大学教授・志田陽子氏の論文「憲法記念日に寄せて―憲法制定過程と国民主権、そして『表現の自由』」を読む事を通して、「憲法記念日」が我が国の<国民の祝日>に指定されている意義に就いて考えてみたので、以下に、同論文を、関係者から許可を得ないままに転載させて頂きます。

 筆者がいくつかの大学で担当している授業が、今期は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から「オンライン授業」となった。そこで、この投稿を、筆者が担当するオンライン授業の資料コンテンツとして共有したい。文中ところどころに、「学生の方々は…」という注が入るが、それは、筆者の授業を履修してくれている学生さん向けのメッセージとして読んでほしい。憲法記念日に寄せて、憲法の価値と「表現の自由」の関係について想像を広げる機会にしてほしいと思う。
 そして、こんなスタイルの投稿があること自体に、緊急事態宣言下のリアル感を感じてくれる読者がいれば幸いである。
 憲法とは何か、という問いには、いろいろな角度からの答えがある。学生の方々は、スタンダードな答えを「憲法」の教科書で確認しておいてほしい。ここではそのうちの一つの見方に沿って書いてみる。憲法というのは、始末書や離縁状のようなネガティブなものをベースにして、「これから」に向けた社会の土台ルールを固めたもの、と言える。ネガティブなものも、その後に精錬されて完成したポジティブなルールも、どちらも欠かせない。ネガティブなものがなかったら、ポジティブなものは生み出せなかったに違いないからである。だから、《ネガティブなもの》を「自虐史観」と呼んで否定するのも、《ポジティブなもの》を「お花畑」と呼んで冷笑するのも誤りで、この両方を見ることが、憲法を学ぶことなのだと考えてほしい。
 始末書というのは、第二次世界大戦の責任を問われた日本やドイツなどに当てはまる。1865年の南北戦争終結に伴って奴隷制を廃止したアメリカの憲法修正についても、言えることだろう。
 離縁状というのは、もっと古い1776年の「アメリカ独立宣言」のことである。世界の憲法と人権の歴史の中で、決定的な価値をもつとされているこの文書の中身を実際に読んでみると、「アメリカに対するイギリスの支配はこんなにヒドイ、やってられるか、こんな国王の専制支配とはキッパリ決別させていただく!!」という内容で、当時のイギリスの統治支配を徹底的にディスっている。これがいったい決定的な歴史的価値をもつ文書なのか、と首をかしげたくなる。(※学生の方々は、この文書を、日本語訳でいいので読んでみてほしい。)
  しかし、ここにも「言論の自由」の戦いがあった。当時イギリスの植民地支配を受けていたアメリカ人は、イギリスを批判する意見、とくに「独立」までを明確に言う意見は出しにくく、多くの言論人が匿名で新聞に投書を寄せていた。その中でトマス・ペインが「コモン・センス」を公刊したことで、モヤモヤしていた世論が一挙に独立の方向にまとまっていったのだが、そのモヤモヤから解放された批判のエネルギーが、この文書に凝縮されているのである。なるほど、「批判の自由」を手にした喜びに満ち溢れた文書なのだな、と思って読んでみると、一見粗暴な表現も、感慨深く思えてくる。(学生の方々は、ざっくりでいいのでトマス・ペインの「コモン・センス」について調べておこう。上級者(法学部「演習」の履修者)は、時期がずれてもいいので、一度は中身を読んでみてほしい。)
 しかし、国であれ会社であれ、人間の集団をまとめ上げて共存していくためには、批判・否定のエネルギーだけでは立ち行かない。フランス革命直後のフランスが、「悪者」として名指した王侯貴族を片っ端から処刑していくだけの恐怖政治に陥った経緯が、そのことを物語っている。
 (※この部分は話を要領よく先へ進めるために、大雑把に書いている。学生の方々は、ぜひ、それぞれの国のもっと正確な歴史経緯を調べてほしい。フランス革命後のフランス社会が陥った政治状況については、アンジェイ・ワイダの映画「ダントン」が――恐ろしく暗いですが――参考になる。)
 しかし同時に、フランスもアメリカも、ただ批判のエネルギーをぶちまけるだけではなく、「建国」のために必要な知恵を結集していた。ここで結集した知恵を文書にしたものが「憲法」である。ここにも無数の匿名の意見投書やパンフレットによる「声」が流れ込んでいることは、アメリカ連邦最高裁の判決のなかでも大切な歴史として尊重されている。
 そこでは、どちらの国も、王政・貴族政とはキッパリお別れをして、「平等な」市民が民主主義の国家を作る、との決意を固めている。また、アメリカはイギリス国教とキッパリお別れするという形で、フランスは「どの宗教宗派をとることが国として正しいか」の争いとキッパリお別れをするという形で、どちらも国教を持たない「信教の自由」の国としての原則を固めている。この「固める」作業が、「その原則を憲法に書き込む」という作業なのである。
 そこを確認した後は、たとえばフランスならば、王侯貴族が財産として愛好してきた建物や芸術は、破壊するのではなく市民みんなのものとして引き継ぐ、アメリカであればイギリスの裁判理論は継受する、という姿勢をとっていく。古いものを否定するばかりではなかったのである。
 (※それぞれの話の中身は、「参政権」、「信教の自由と政教分離」、「法の下の平等」の項目で解説する。本稿ではとりあえずサラッと触れて先に進む)。
 このように見てくると、日本だけでなく世界の「憲法」が、「ここには後戻りしない」「これは二度と繰り返さない」というネガティブなものを土台としていることがわかるだろう。人間は、痛い経験をすることで学ぶものなので、国家と人間の関係を定めたルールである憲法も、国家と人間の間の《痛い経験》から作られているのである。その《痛い経験》から組み上げられた《Uターン禁止ルール》と言ってもいい。
 だから14条「法の下の平等」は「貴族制度や差別へのUターン禁止」ルール、18条「人身の自由」は「奴隷制へのUターン禁止ルール」、24条「婚姻の自由」は「強制結婚や政略結婚へのUターン禁止ルール」なのである。この《Uターン禁止ルール》を理解したら、そうではない方向へ進むことに対しては、憲法は開かれている。「表現の自由」も新しい情報テクノロジーが生まれるにつれて、そのテクノロジーに応じた「自由」のあり方が模索されているし、「平等」も、「本当に平等を保障するにはこういう制度が必要」という進歩を重ねている。
 この「Uターンしてはならない事柄」は、国ごとに、経験から来るカラーがある。他の国から見ると「そこまで徹底しなくても」と思うような事柄もありうる。日本にも日本のカラーがある。その中で、やはり「表現の自由」の話をしておかなくてはならないだろう。
表現の力は大きい。一人ではできないことでも、大勢の共感を呼ぶことで実現の可能性は高まる。説得力や魅力のある表現は、そうした潮流を作り出す力を持っている。歴史を見ると、だからこそ、表現者が為政者から注視され、不当な拘束を受けたり殺害されたりするような事件も数多く起きてきた。
 「表現の自由」を保障する国にとって、《二度と起こしてはならないこと》として、日本の国内では、横浜事件、小林多喜二事件、伊藤野枝らが殺害された甘粕事件、などがある。海外では詩人ロルカ(スペイン)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、映画「白バラの祈り」のモデルとなった大学生ら(ドイツ)の逮捕・殺害といった事件がある。(※それぞれについで、学生の方々にはざっくりでいいので調べておいてほしい。映画「白バラの祈り」は現役の大学生が受けた言論弾圧の事例として、一度は大学生の方々に見ておいてほしい作品である。)
 小林多喜二は、格差社会の中の労働者の実情を描き出したことで今でも人気の高い小説「蟹工船」の作者である(戦後二度も映画化されている)。
 彼が警察に任意の呼び出しを受けた後、取り調べ中に死亡した事件は、凄惨をきわめる。遺族と文学者仲間が残した遺体の検分記録は、ここに文字で書くだけでも「閲覧注意」となってしまう内容なので控えるが、勇気のある学生さんは、調べてみてほしい。国家による「取り調べ」がここまで残虐なものになりうる、という事実を垣間見れば、「国がその《実力》をこのように使うことは、二度と許してはならない」ということを理解してもらえるだろうし、そうすれば日本国憲法が31条から40条までで国による身柄拘束を受ける人の権利を細かく保障している理由も理解できるだろう。
 哲学者・三木清の死も凄惨である。第二次世界大戦の最後の時期に、著作の思想内容が政府批判的であるとの理由で治安維持法違反の疑いを受け、豊玉拘置所に拘禁されていたのだが、日本が突然に終戦を迎え、拘置所の職員が拘束中の被疑者の世話をやめてしまった。三木は独房で監禁状態のまま餓死したのである。家族のもとに返された遺体は、これもここには書けないほど「個人の尊重」「人間の尊厳」に反する状態だったことが伝えられている。
 憲法記念日に、「憲法」や「表現活動と法」の授業の最初で、こんなに重くて暗いエピソードを立て続けに読まされて、驚いておられるかもしれない。しかし「憲法」はもともと、よく言われるような「お花畑」ではない。憲法は本質的に、このような《ネガティブなもの》の上に開花した《ポジティブなもの》なのである。
 そして、「なぜ、この条文があるのか」を考えようとすれば、条文のコトバの下に埋まっている《ネガティブなもの》を掘り出さなくてはならなくなる。「《なぜ、この条文があるのか》なんて問うことはしなくていい、とりあえずそこにある条文を覚えればいい」という学び方は、大学生の「憲法」の学び方としては、矛盾になってしまうのでNGである。なぜなら、「これは憲法違反ではないか」との疑問を受けた法律があるとき、「その法律は何のためにあるのか、必要なのか」と問い、論理を見つけることが憲法の学びの作業となるので、「法律は問わず覚えるもの」という姿勢をとることはできないのである。
 そのようなわけで、社会の中の《痛い経験》に向き合うのが、大学レベルの「憲法」であり「表現の自由」だと筆者は思っている。医学を志す人が解剖実習を通過しなければならないのと同じで、法学とりわけ「憲法」を学ぶ人は、国や社会が共有している《痛い経験》を知る必要がある、と思っている。
 こうした数々のエピソードの中でも、長く(2019年まで!)裁判の対象となった事例として、「横浜事件」を取り上げてみたい。
第二次世界大戦中、日本の政治学者でジャーナリストでもあった細川嘉六が、当時の国際政治動向を伝える論文「世界史の動向と日本」を雑誌に掲載したところ、治安維持法に反する政府批判との疑いを受ける。その結果、出版社の社員や、新聞記者、印刷所の写植係に至るまで大量の言論関係者が逮捕された。
 その後、日本は終戦を迎えるのだが、当時の日本政府は、治安維持法によって逮捕・拘禁した人々を終戦後も拘禁し続けていた。先に紹介した三木清は、この時期に死亡している。横浜事件の被疑者については、大急ぎで――「駆け込み」で――有罪判決が出された。
 敗戦後の日本を占領統治していた連合国軍総司令部(GHQ)は、この状況を憂慮し、まだ日本国憲法は制定に至っていない段階だったが、「自由の指令」という命令を発して治安維持法を強制的に廃止し、この法律によって拘禁されていた「政治犯」の即時釈放を求めた。横浜事件で有罪判決を受けていた人々も、この指令によって釈放された。しかし身柄は自由になっても、有罪判決の汚名は残ったままになった。この人々が名誉回復のために国に再審を求めたのが、今、裁判名として言われる「横浜事件」である。
 原告は全員、判決前に高齢のため亡くなってしまったが、遺族が裁判を引き継いで裁判所に再審を求め続けた。駆け込み有罪判決の流れの中で、拷問(暴力による自白強要)により自白を強要された人々もいたという。そうした人々の遺族は、公判を開いた上での無罪判決を求めていたが、裁判所は、裁判当時すでに失効していた法律にもとづいて行われた裁判だったということで、裁判そのものを取り消す「免訴」の判決を出している(最高裁 2008年3月14日判決)。その後、この裁判は遺族によって、2019年1月まで争われている。
 この判決で、1945年当時に有罪判決の根拠となった治安維持法が、廃止前の有罪判決当時、すでに失効していた、とは、どういうことだろうか。
 この治安維持法は、「思想良心の自由」や「表現の自由」や「法の適正手続き」を定めた現在の日本国憲法のもとでは、当然に憲法違反となる内容の法律だと言える。そして、現在の日本国憲法の土台となる基本原理は、日本国憲法の細かい内容が確定し「制定」に至るより以前に、「ポツダム宣言」によって方向が示されていた。その「ポツダム宣言」を、日本政府は第二次世界大戦終了時に受諾している。治安維持法は、日本国憲法の条文が完成する以前に、その基本原理を示した「ポツダム宣言」と両立しえない内容なので、日本政府が「ポツダム宣言」を受諾した時点で失効したと見るべきだ、という解釈がとられたのである。
  ※学生の方々は、ぜひ「横浜事件」および「治安維持法」について調べておこう。上級者(法学部3年生以上の方)は、判決についても見ておこう。筆者は参考資料として、荻野富士夫『横浜事件と治安維持法』(樹花舎、2006年)、奥平康弘『治安維持法小史』(岩波書店、2006年)および2008年から2019年までの新聞紙上での裁判報道を参照した。
 では、その「ポツダム宣言」とはどういうものだったのだろうか。
  日本国憲法は外国から押しつけられたものだ、という声を聞くことがある。これは本当なのだろうか。この話は、憲法記念日に、そして「憲法」の授業の第一回にお話ししておくにふさわしい話だろう。そして、この話は、「表現の自由」とも重要な連環関係にある。
 1945年、第二次世界大戦を終結させるにあたって連合国が日本に提示した「ポツダム宣言」には、以下のような内容が含まれていた。
 ・武装解除と領土の原状回復(日本が他国の主権を無視して拡張した領土から撤退する)
 ・基本的人権の尊重、平和主義、民主主義
 ・責任政治を基本原則とすること
 ・日本国民の自由に表明する意思によって将来の政府を樹立すること
 他に多くの項目があるが、この項目を見るだけでも、現在の日本国憲法の骨組みがおおよそ定められていることがわかると思う。これが当時の国際社会のスタンダードだった。
 これを受諾することは、当時の日本にとって、国家と人間の関係を180°転換することを意味していた。国(=君主)のために人間(臣民)が存在する、という発想から、人間のために国が存在する(国の意思決定者としての君主はもういない)、という発想に変わることを意味するからである。
 これに対して当時の日本政府は、一度は「黙殺」(無視)する姿勢をとったが、その後、2発の原子爆弾を落とされるに至って、これを受諾する。その返答は、「国体(天皇による統治)に関する変更を含まないものとの了解のもとにこれを受諾する」というものだった。これはまるで、「この授業で単位をとるには期末レポートを提出してもらいます」とシラバスに書いてあるのに、「期末レポート課題は課されないとの了解のもとにこの授業の履修登録をする」と言っているようなものである。これで単位をとることは普通、できないだろう。
 しかし、この時点でこれ以上の戦闘は無益だということは、誰の目にも明らかだった。連合国側は、日本には後日必ずポツダム宣言の趣旨を理解させる(その役目はアメリカ)、との申し合わせをした上で、日本の「受諾」を認めることにした。こうして、双方に重大な認識の食い違いが残ったままで、第二次世界大戦は終了する。
 日本政府がどうしても飲むことができなかったのは、武装解除命令のほうではなく、「日本国民の自由に表明する意思」が政府を作る、という考え方だった。この考え方が現在の「国民主権」である。ちなみに、このときの武装解除命令は、どのような戦争でも終結時には必ず敗戦国が受けるタイプのもので、これが現在の日本国憲法9条のもとになったわけではない。9条はこれとは別の筋から、日本側から発案されることになる。
 終戦後、ポツダム宣言の内容に応じた新しい国家ルールつまり新しい憲法を作ることが、日本政府の課題となった。しかし当時の政府は、天皇の統治権(君主主権)を維持して、条文の細部だけを修正しようとしていた。いわゆる「松本案」と呼ばれる案である。この案をGHQはぴしゃりと拒絶した。そして、「期日までにポツダム宣言の趣旨に沿った自主憲法草案が作れないなら、こちらが示したモデル案を直接に国民投票にかける」と厳しく迫った。そのときに示された「モデル案」が、「押しつけ憲法論」の元となった「GHQ草案」である。
 この時の内閣総理大臣・幣原喜重郎は、「未曽有の国難」とのスローガンのもとに、GHQ草案に沿った方向で新憲法の内容を考えるしかない、と説いた。この時の幣原首相の言葉を書き留めたノートが、今では明らかになっている。当時の首相には、天皇に戦争責任を負わせたくない、天皇の命は守りたいという強い使命感があったようである。そのため、天皇の命を守ることと引き換えに、天皇主権から国民主権にシフトすること、天皇は政治的決定に関与しない「象徴」となることを受け入れた。その上でさらに、日本が再び軍事国家化することは決してないことを国際社会に信頼してもらうために、戦争・戦力を永久に放棄することを宣言したい、という案を出したのである。これも幣原首相自身の動機は、天皇の命を守りたいということだったらしい。
 ※この憲法制定過程に関する映像資料としては、NHK『日本国憲法誕生』がある。YouTubeにもアップされているものがある。
 そのもととなった資料は、国立国会図書館「日本国憲法の誕生」(国立国会図書館公式サイト、2003-2004)     https://www.ndl.go.jp/constitution/
 初学者は映像のほうを見てほしい。上級者はぜひ、国会図書館資料のほうも参照してほしい。
 このような経緯でGHQ草案をベースにしたことを、「押しつけられた憲法だ」と見る考え方が日本国内にはある。この状況をたとえて言えば、「この授業で単位をとるには期末レポートを提出してもらいます」とシラバスに書いてあったところ、「期末レポートを提出せよという条件を含まない」との了解のもとに履修登録をした学生がいて、期末評価の時期が迫ってきたので、「とにかくレポートを出せ、今さら単位をとらせない(戦争状態に戻る)ことはできないのでレポート出してもらうしかないんだ、どうしても出せないならこっちで叩き台を作っておいたから、自分で一から書くか、これを叩き台にして書くか決めろよ、ホラっ」と、レポートの下書き案を手渡されたようなものである。
 たしかに、叩き台を手渡された側にとっては、押しつけられたものと感じるかもしれない。しかし、憲法というものは、国家が新しい体制に変わるときには、押しつけられたと感じる側にとっては「押しつけ」なのである。1789年のフランスで、貴族社会を懐かしむ人々にとっては、「平等な市民」という考え方は「押しつけ」だっただろうし、1865年のアメリカで南北戦争に負けた南部白人にとっては、奴隷制の廃止と人種の平等を定めた憲法修正は、「押しつけ」以外の何ものでもなかっただろう。この「押しつけ」に順応して新しい時代を生きることが、当時の南部白人にとってはいかに苛酷なことだったかが、小説および映画「風と共に去りぬ」にはよく描かれている。
 ただし、日本の場合で言えば、「迫られた」「押しつけられた」というのは当時の日本政府にとってのことである。当時、GHQのメンバーは、憲法のモデル案を作成するにあたって、日本の憲法学者たちが自主的に作っていた憲法草案(「憲法研究会」における鈴木安蔵らの草案など)の存在を知り、これを参考にしていたことが証言から明らかになっている。(先に紹介した国立国会図書館「日本国憲法の誕生」およびNHKのDVD「日本国憲法誕生」より)。
 さらに国立国会図書館が明らかにした議事速記録と、これを元にして構成されたNHK制作の映像資料によると、新憲法採択のために召集された戦後最初の国会の小委員会では、委員たちから「自らの意志で決意したと言える文言にしよう」、との意欲を示す修正発言が活発に行われている。こうなると、民主主義の手続として正当な審議、修正、議決が行われたことを無視することはできない。この経緯については、昨日(5月2日)にテレビ放映されたETV特集「義男さんと憲法誕生」でも丁寧に扱われていた。今からでも、見ることのできる人はぜひ見てほしい。 NHK ETV特集「義男さんと憲法誕生」
 世界史のレベルで考えてみると、フランス革命時に生まれた憲法も、アメリカ南北戦争後の憲法修正も、それに反対していた人々からすれば「押しつけ」以外の何物でもないだろう。しかし私たちは、普遍的価値に照らして必要だったと言える場合には、それを覆して元に戻そうとは考えない。
 日本国憲法成立について、仮に「押しつけ」と呼ぶならば、「押しつけられたもの」は第9条(武力放棄)の条項ではなく、国民主権・民主主義だった。そして、俗に「押しつけ」と呼ばれてきた第9条はむしろ、天皇の生命と安全を守るために幣原首相によって発案され、その後、日本の議員たち自身によって、もっと自発的な誇りを感じさせる文章にしようという思いから推敲が重ねられ、今の形になったのである。
 私たちは、自分たちが主権者となった後の今、この原理を「押しつけられたものだから要らない」と言えるだろうか。
 そして最後になったが、ここで前半の「繰り返してはならない表現者の死」の話がつながってくる。
 今、私たちが後知恵で読めば、「ポツダム宣言」の中で日本に迫られた統治原理の変更は、18世紀から20世紀にかけて世界が共有してきた「近代憲法」のスタンダードだったことがわかる。そこに日本の議員たちが「社会権」の発想を入れようと強く主張し、現代憲法の骨格が出来上がってきた。しかし、2020年の私たちはちょっと書物で勉強すればそのように言えるが、1945年当時の人々がそこを理解するのは、容易ではなかったはずである。大戦中、そうしたことを理解できる知識や知力をもった人々が、続々と職を追われ、ひどい場合には先に見たように、命を落としているからである。こういう見せしめ的な失職や暴力があると、社会は萎縮してしまい、自由な言論はほとんど出てこなくなる。
 だから、ポツダム宣言が出された当時、その内容を理解できる者、さらにそれが世界のスタンダードなのだということを理解できる者は、政府関係者の中にはほとんどいなかっただろう。いたとしても、弾圧を恐れ、発言できない心理状態に置かれていただろう。だから、世界から求められている憲法の「キモ」がわからなかったか、わかってもそこに踏み出せなかったのである。
 もしも、この時代に「言論の自由」が確保されていたなら、「ポツダム宣言」以前にその趣旨に近い憲法草案を書いていた研究者たちや、その意義を理解できる政治学、哲学系の研究者、文学者、そして議員たちが知恵を持ち寄ることができていたのではないか。しかしこの時代、それが塞がれていた。人間の身体にたとえるなら、血行が止まっていた。
 そこにバイパス血管を通したのが、当時のGHQの若手メンバーだった。マッカーサーから、短期間で日本の新しい憲法草案を作っておけと言われた若いメンバーたちは、この無理すぎる課題に困惑して、日本の民間草案を探し、参考にしたのである。彼らがやった仕事は、血流が止まって死にかけている人に、外科医が人工血管を作って本人の血を強制的に流したようなものである。これを「押しつけ」と言うべきかどうか――
 もう一つ、これを「押しつけ」と見るのは無理だと考えるべき理由がある。本当に「押しつけ」だったとしたら、人工血管を作って何年も前に止まっていた血を流したところで、反応はないはずだ。しかし上記の速記録から見えてくる議員たちの議論、そして一般社会でも盛り上がってきた関心を見ると、発言者はもともと考えていたことを塞がれて、我慢して黙っていたのだと見るべきだろう。血管をつないだら、堰を切ったように熱い議論が出てきたのは、押しつけられたからではなく、もともと持っていた考えを「もう出しても大丈夫だ」と安心できたからだ、と見るのが自然だろう。
 このような外科手術が必要だったのは、当時の日本の社会と政治過程が「表現の自由」をはじめとする精神的自由が塞がれていたからである。それを取り戻すのに、日本はその後も大変な時間と労力をかけてきた。そして、まだその「自由」は不完全で脆弱なものでしかないように見える。コロナの不安の中で、隣人同士が知恵を出しあうよりも監視しあい、抑えあうような空気が、今また日本社会のあちこちに出てきていることが、たとえば次のように報道でうかがえる。
 自粛ルール守り営業も…いやがらせ相次ぐ(5月1日)
 本当なら今日、筆者は、ある講演会で講師として憲法の話をする予定になっていた。しかしコロナ自粛のために講演会は中止となった。もしも主催者が中止決定をしなかった場合は、筆者自身が、集会中止(無観客講演の配信)か延期を提案していたと思う。 
 しかしここで確認しておかなければならないことがある。
 今、新型コロナウイルス感染拡大防止のために求められている自粛は、人間の密集や不要な外出をなるべく控えるといった、外的な行動の自粛だけで、表現や内面精神への要請や命令は受けていない。それが表現の「萎縮」につながると、社会全体がふたたび血行不良と思考不能の状態に陥りかねない。そこに陥らないために、一人一人が精神の自由を精いっぱい、大切にする必要がある。精神的自由を手放したら、主権者として思考できないからである。
 自由というのは本来は、「大切にする必要がある」などと押しつけがましいことを言う筋合いのものではなく、自然に任せるべきものではある。しかし、緊急事態の中で自粛が「萎縮」に転じる紙一重の状況では、精神の自由を大切にする、という当たり前のことを、意識して言わなくてはならないと感じる。憲法12条はそういったことを指して、「不断の努力」と言っているのだと思う。
 憲法には、それぞれの国の経験に応じて、「ここに戻ってはいけない」という痛みの記憶が織り込まれている。私たちがその記憶を必要に応じて取り出し共有することができるのは、「表現の自由」があるからであり、そこに痛みを感じることができるのは、精神の自由があるからだろう。
 今日、緊急事態宣言下の憲法記念日は、そのことに思いを馳せるのに絶好の機会になったかもしれない。
 (この論説は、志田陽子編『合格水準 教職のための憲法』第1章コラム、および志田陽子著『表現者のための憲法入門』第6章の、エピソードの部分を膨らませて書き下ろしたものです。私のオンライン授業の資料としてこれを読んでくれた学生さんは、文中で示した「自分で調べる」を実行しながら読んでいただくと、読むのに90分程度の時間がかかると思います。文科省では、授業1回について、90分の授業と90分の予習・復習がセットになることを定めています。この文章を、授業前または授業後の90分として位置付けてください。)
 追記 この投稿アップ後に、読者から、小林多喜二の直筆原稿などの公開画像について教えていただきました。この資料は、北海道歴史・文化ポータルサイト「AKARENGA」の中の「芸術・文化」のコーナーに分類されています。この資料が大切に保存されているからこそ、この作家の生命が失われた事件が日本社会にとっていかに深刻な事件であったかも、リアルに知ることができます。文化芸術を大切にすることが、私たちの社会づくりにとっていかに大切かを示す一例としても価値のあることなので、いただいた画像情報を本文中に追加させていただきました。
 以上で以て、転載終り。
 志田陽子先生を初めとした、関係者各位に深く感謝致します。


〇   若いとは柔らかなこと麦青む  (藤岡市)飯塚柚花

 四席。
 然り!
 「麦」のみならず、「若いとは柔らかなこと」であります。
 私たち、若い日本国民は、決して、決して、我が国を<治安維持法下>の我が国にUターンさせてはなりません。


〇   コロナ禍で何かを忘れ春が行く  (筑紫野市)二宮正博

 末席。
 今年の五月の例年に無く長かったことは、決して忘れられません。
 コロナ・コロナで無為に過ごしている間に、私たちは何かを忘れたままに今年の春を空しく消化不良のままに消化してしまったのである。

今週の「朝日俳壇」より(2020/5/24掲載)

     稲畑汀子選

〇   残桜やすこし会はねばなつかしく  (富津市)三枝かずを

 首席。
 「散り残されの桜」を「残桜(ざんおう)」としている点に無理在り。
 また、「少し会はねばなつかしく」という<中七下五>の感情表現に就いては、八十パーセント程度<佳し>として受け入れたい気持ちが無きにもあらずではありますが、だからとて、残りの二十パーセントに目を瞑り、そのまますんなりと受け入れる訳にも行きません!
 何故ならば、「知人同士がほんの数日間合わないでいる裡に、お互いの関係が疎くなったような気がして来て、このまま続け
て会わないでいると、最初から他人でしか無かったような気になったり、また、そうした気持ちになる事を怖れる気持ちは、人間なら誰しも一度や二度、経験しているものであり」、掲句の作者の意図するところも亦、そうした点に在るのかと思われるのであるが、もしも、そうであるならば、そうした細かい感情の襞(綾)を表す言葉として、「すこし会はねばなしかしく」という十二音は、必ずしも適切を得た表現のように思われないからである。
      葉桜や逢ひたき気持ち募り来る  
 

〇   風光る通院といふ外出かな  (藤沢市)小田島美紀子

 七席。
 同じ外出でも「通院」の為のそれであれば、自ずから通常のそれとは異なった気持ちがするものである。
 掲句の作者は、そうした情感を「風光る」という上五の表現に託したのでありましょう。
     通院も外出ならむ風薫る百合ヶ丘駅下車して五分


〇   谷の底より浮かびくるさくらかな  (四国中央市)豊田みゆき

 末席。
 「谷の底より浮かびくるさくら」との、光景の捉え方が宜しい。
     渓底ゆ浮かび来るもの傷心と染井吉野のはなびら五片

今週の「朝日歌壇」より(2020/5/24掲載)「新型コロナウイルス禍」特集(其のⅡ) 

     「新型コロナウイルス禍」特集(其のⅡ)

〇  ひょっとして今年の漢字になるのでは筆順もややこしい「粛」の字  (大和市)春原正彦

 高野選の五席。
     鞭声粛々夜河を渡る
     暁に視る千兵の大牙を擁するを
     遺恨なり十年一剣を磨き
     流星光底長蛇を逸す
 今さら何を馬鹿なことを仰るんですか!
 自粛の「粛」は、彼の御仁が「高級官僚の方々には、公文書の破棄や改竄方を粛々として進めて頂きたい」と仰せられる時の「粛」の字として、我が国民の多くの方々には既にお馴染みの文字ではありませんか!
     宿願の憲法改悪粛々と進めつつあり総理大臣  
     宿願の検事総長就任を果たさざれども自模れり満願


〇  コロナ禍の散歩黄色に癒される菜花、蒲公英、連翹、山吹  (須賀川市)伊東伸也

 七席。
 私、鳥羽散歩の場合は、同じ黄系統でも、菜の花色や蒲公英色や連翹色よりも、<山吹色>の方により多く癒されます。
      山吹の色鮮やかな百両をヨークモックの箱に潜めつ  
      パリトロの箱に潜めし札束にこころ癒されたき日もあらむ


〇  五時間目家庭科はうちの台所ママと作ったいちご大福  (奈良市)山添葵

 同選の末席及び馬場選の九席。
     白玉粉で簡単いちご大福 の作り方
 〇 材料 (10個分)
      いちご  10個
      あんこ  20g×10
      白玉粉  100g
      水     150g
      砂糖    100g
      片栗粉  適量
   〇 手順 
①  苺は洗ってヘタを取る。あんこはラップに20グラムずつ分けておく。
②  苺をヘタ側からあんこで包む。 苺の頭が見えていると可愛く仕上がります。
③  耐熱ボウルに白玉粉と水を入れて混ぜ、砂糖を入れて混ぜる。ラップをして600Wで2分加熱する。
④  この段階では完全に火が通っていません。一度取り出して混ぜ、再び600Wで2分加熱する。
⑤  片栗粉を敷いたまな板などの上に出来あがった餅を取り出し包丁で10等分する。最初にお餅を棒状にすると分け易い。
⑥  苺の頭側から餅で包む。後ろは摘ままぬように餅をくっ付けると綺麗になります。
   ○ こつ・ポイント
 苺をあんこで包む時に苺の頭が出るようにすると、お餅で包んだ時にうっすらと苺の赤色が見えて可愛いです。
      ポイントはつまみ食いなどしないこと!餅のみならず苺も同じ!  
      「葵さん、苺大福作れるの?」「クックパッドを見れば作れる!」
      謂ふなれば苺大福!体重は超五十キロ赤いホッペがとても可愛い


〇  肘と肘触れてまたねと笑い合いふいと真顔でも一度「またね」  (仙台市)佐藤牧子

 永田選の三席。
 「ポスト・新型コロナ禍社会」を先取りしたような作品である。
 「肘と肘」と」を触れ合った程度で笑い合ってサヨナラし、それ以上の関りを持たないようにするのが、<新型コロナウイルス禍>以後の生活の要諦なのであるが、でも、いくら何でも、それではあまりにも愛想が無くてつまんないから、もう一度振り返ってみて、真剣な顔をして「またね」と挨拶して別れるのである。
     感染が怖ひからキスなどしない!握手するのも避けなむ私!
     袖と袖触れた程度で即発の喧嘩沙汰など起るはづ無し 


〇  手短かに夫の容体訊ねつつ着替えを託す病院の庭  (津山市)横林明美

 五席。
 ご夫君の入院先は、かなり小規模な病院でしょうか!
 医師・看護士・事務員合わせて、職員が二十人程度の個人経営の病院のようですが、そんな小規模の病院の方が、案外、患者さんにとっては過ごし易くて、マンモス病院ならばとっくに退院させられるはずの時期が過ぎても、あまりの居心地の良さに、「まだ退院したくない!」などと駄々をこねたりして、粘ってる患者さんが居たりしてね!
     家のこと妻の私に任せても心配ないから入院してて  
     末つ子の入学式もまだだから退院急ぐ必要は無し
     入院中一日当たり二万円!医療保険もたんまり入る!
     日に一度着替へを持つて来るからねお漏らししても構はないから
      

〇  ひたひたとウイルス迫る人間を回覧板がゆっくり巡る  (水戸市)中原千絵子

 六席。
 <新型コロナウイルス>は「ひたひた」として迫って来るが、十万円給付を知らせる「回覧板」は「ゆっくり巡る」のは、本作の作者の中原千絵子さんがお住いの茨城県水戸市に限らず、日本全国共通の事でありましょう。
     ひたひたと潮の満ち行く房総の砂に腹這ひ啄木を読む
     ひたひたとウイルス迫る現実に身を置いてこそ短歌も詠める  


〇  循環器内科医として最前線ぶっきらぼうな生徒でありき  (松山市)宇和上正

 八席。
 診療の最前線に立つ医師に必要なのものは、<頭の良さ>よりもむしろ性格の<優しさと朴訥さ>であり、東大の医学部出といった頭脳の明晰さを要しません。
 従って、件の「ぶっきらぼうな生徒」であった彼などは、患者さんからも看護士さんからも患者さんのご家族からも信頼されているお医者様なのでありましょう。
     タレントの鼻の柱を高くしてお金儲ける美容外科医!
     リッツC!共立はA!湘南及び高須はBで真崎のみS!


〇  参列者マスクを着けてゐざりしを法事ゆ帰り若和尚嘆く  (三原市)岡田独甫

 九席。
 岡山県の新型コロナウイルス感染者数は、2020年5月27日午前1時30分時点で僅か25名であり、しかも、その全員が回復して居りますから、「法事」の「参列者」がいちいちマスクを掛けたりする必要はありませんし、仮に、マスクを掛けた参列者が一人でも居たとしたら、それは死者や喪主に対する面当てとして嫌われることにもなりましょう。
 従って、件の「若和尚」とやらの嘆きは、杞憂に属するものでありましょう。
 <心頭滅却すれば火もまた涼し>と言うではありませんか!
     住職によく似て小物の若和尚葬式饅頭食はずに棄つる!  
     お布施にも新型コロナウイルスが附着してゐる危険性あり!
     法衣にも数珠や下駄にも身体にもコロナウイルス附着してゐむ!
     僧職に在る身としては不心得!彼の若和尚下山するべし!

短歌冒瀆<百首歌へのアプローチ・其のⅨ・ほぼほぼ粟島シリーズ)

⁅001⁆   中学へ通ふ路傍の白壁の崩れの証す島の寂れよ! 

⁅002⁆   芍薬はピンク黄色いは金盞花!フミヤベンチに坐する人無く!

⁅003⁆   ルポールの支配人さんに教ははつてサラダに入れて食するボリジ!

⁅004⁆   粟中の緑青吹きたる水道管!この水飲んで走つた僕ら!
  
⁅005⁆   道端にサクランボなんか生えてゐる!佐藤錦か粟島錦?

⁅006⁆   「あきつしま」鉄骨入りのセメント製!観光客に無視されてんの!

⁅007⁆   粟中が芸術家村に変身し島の再生図らむとせり

⁅008⁆   むらさきに躑躅咲かしめ粟島海洋記念公園に人影皆無 

⁅009⁆   「みんなが賢く行動することが大切です」なんちやつて山中伸弥がなんぼのもんだ!

⁅010⁆   手作りの河豚提灯をぶら下げてビール商ふ島のコンビニ

⁅011⁆   粟島は吾が「日本のエーゲ海」?藤棚の柱がエンタシスだ!

⁅012⁆   粟島に男子と生れ育ちしも北岳だけがマドロスならず

⁅013⁆   藤波は二尺余りの穂を垂れて何を注ぐや花タンポポに?

⁅014⁆   ソ連製<黒い機雷>はボク嫌ひ!ロシア娘の牌乙なら好き!

⁅015⁆   緊急事態宣言解除され<ル・ポール粟島>大賑わいか?

⁅016⁆   海ほたる!逆さくらげと何処か似て!幻想的かつ蠱惑的です!
  
⁅017⁆   藤・躑躅、今を盛りと咲く島に渡れもせずに何が三密!

⁅018⁆   壇蜜と密閉された部屋に居て密接になるのが三密である

⁅019⁆   大漁の鰊網とはよくぞ云ふ大漁だつたら値も下がるはづ

⁅020⁆   正確に云ふと「プリン・ア・ラ・モード」!デザートとしては有り触れた菓子!

⁅021⁆   雄雌が巨体重ねて交尾するザトウクジラのいのち妬まし

⁅022⁆   空高く聳ゆる冨士の大方を隠して高き丹沢の山

⁅023⁆   裾野まで見せたくないと邪魔をする!そこ退け丹沢!富士が見えない! 
 
⁅024⁆   濃く淡く藤の裏葉の影見せて夕霧の恋なほ募り行く 
 
⁅025⁆   届いても掛けたくなくなる頃ほいにやつと届くか<アベノマスク>は 

⁅026⁆   チャドクガが日本全国飛んでいるアベノマスクは毒持つマスク!

⁅027⁆   非正規の夫の帰り待ちながらマスクなど縫ふ貧しい女 

⁅028⁆   入選の気配感じて投じたる短歌一首のもたらす幸よ

⁅029⁆   母の日のプレゼントとしての拍手かな!カーネーションにも勝る嬉しさよ!

⁅030⁆   お互ひに両手を広げ手と手とが触れ合ふことなき距離を保て!

⁅031⁆   「すみませんもつと離れて下さい」と言へばいいのに言へぬレジ嬢!

⁅032⁆   この際は何を言つても無駄である!次の選挙で鉄槌下せ! 

⁅033⁆   音大出!ピアノ講師が関の山!掃いて棄てたい程に山積!

⁅034⁆   美大出は看板描きすら出来もせず鬚を伸ばしてチャラチャラすんな 

⁅035⁆   一日に百首も詠めば短歌とは口から吐き出す唾のよなもの

⁅036⁆   「詳細はホームページ」で読めば良し!それが嫌なら止せば宜しい!

⁅037⁆   余命なき夫をさする吾の手よ!その手を握る夫の熱き掌!

⁅038⁆   戦時中千人針を縫ふ時の女の気持ちになれはしないさ!

⁅039⁆   高額の授業料を掛けたから医師になつたら数奇三昧

⁅040⁆   武蔵野の面影を残す公園に木漏れ日浴びてコロナ忘れよ 
     
⁅041⁆   白樺派・武者小路実篤の名をば戴く実篤公園

⁅042⁆   寂しいと猫を口説けど寂しいと猫は応へぬコロナ禍の夜

⁅043⁆   殊更にコロナ死などと関はらず虚栄心を満たすが葬儀
 
⁅044⁆   鼠から感染したのは往昔の西班牙風邪のウイルスなりき

⁅045⁆   レジ前に透明シートを張り渡し店員守る西松屋さん

⁅046⁆   くぐもるは咽喉に支障が在る所為でコロナウイルスとは関はり無し! 
 
⁅047⁆   賜物の<アベノマスク>に手を加へグリーンに染めた涜職議員!

⁅048⁆   小田急のバスの座席で咳をして吾に話し掛けるな老女 

⁅049⁆   若和尚未だ読経も未熟にて逝くに逝けない極楽である  
     
⁅050⁆   卒塔婆の阿字も書けない若和尚!元住職の死に所無し!
 
⁅051⁆   AIは羽生さんよりも強いのに新型コロナにコロリと負ける!

⁅052⁆   電池切れ!懐中電灯使へない!鍾乳洞内暗闇である!

⁅053⁆   又さんが無人の荒野駆け抜けて行けば薄の穂波輝く

⁅054⁆   雲が行き山が晴れたり「ヤッホー」と呼べば応ふる谺なりけり

⁅055⁆   検察のOB諸氏も権力で権力に負けて採決断念!

⁅056⁆   だうせならジュリーと共に老いぼれて令和の春を迎へたかつた

⁅057⁆   背伸びして詠んだ短歌を背伸びして郵便ポストに投函する子

⁅058⁆   囀りや木の間隠れに子らの居て「荘吉さーん!」と呼んでるみたい

⁅059⁆   花咲くを待つこと出来ず逝きし子の眼鏡の曇り拭ふ初七日

⁅060⁆   「春眠暁を覚えず」吾が夫の永遠なる眠りに就いても構はぬ

⁅061⁆   マスクして今年の春とのみならずこの世の中と別れ行くかな

⁅062⁆   待つ事の祈りに変はり鉦太鼓ジヤガスカ叩いて願ふ父の死

⁅063⁆   芭蕉にも曾良にも逢はず山寺の険しき坂を登つて行つた

⁅064⁆   寒天に卵綴ぢたり春彼岸墓碑を閉ざせる三尺の雪

⁅065⁆   逝く者は逝つて蓮華の座に坐れ吾はしばらく花莚に座す

⁅066⁆   医師で無い子供育てる費用など医師の場合の十分の一以下

⁅067⁆   午前九時<アベノマスク>の届きたりあまり小さく役にたたない

⁅068⁆   本堂が国宝指定の本山寺・四国巡礼七十番札所

⁅069⁆   大同二年、弘法大師建立し平城天皇の勅願寺なり

⁅070⁆   本尊は弘法大師の刻まれた馬頭観世音菩薩像なり

⁅071⁆   開創時、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍とし長福寺と称す

⁅072⁆   本堂はわずか一夜で出来たとふ一夜建立の伝説がある

⁅073⁆   京極氏・生駒氏に依り再興し天保年間本山寺と改称
 
⁅074⁆   初層には明治期作の五智如来(一木造り・彫眼古色)

⁅075⁆   中尊の胎蔵大日如来仏(光背残し焼失せるや) 

⁅076⁆   韓国人観光客の挙り買ふシミ消しコスメ最効の品

⁅077⁆   本文に入力できる文字数は三百字から五百字程度
  
⁅078⁆   反映に存外時間が掛かるかな拍手ボタンの拍手の数字

⁅079⁆   雑多なる品々及び食料の買ひ出し序での観光なりき

⁅080⁆   この秋もイタヤカエデの紅葉し偽金造りの跡地.映えたり

⁅081⁆   等々力のヒマラヤ杉の芽吹くころ円空仏の贋造露見
              
⁅082⁆   赤バスの乗客八人その裡の七人までがマスク掛けてる
             
⁅083⁆   見くびるなハンカチ王子の彼にさへマー君負かした過去が在るのだ

⁅084⁆   五月二日、不要不急の散歩にて先づはコースの下見をせねば 

⁅085⁆   午前中老人力の維持のためドブ板通りの巡回をせむ

⁅086⁆   五月三日、早朝散歩と決め込んで海岸通りを歩いてゐます

⁅086⁆   まう少し早く起きれば良かつたが五時を過ぎたら狸も居ない

⁅087⁆   道沿ひの躑躅は既に終つたが何処の家にもアヤメ咲いてる
  
⁅088⁆   知り合ひに出合へる時も礼したり話したりせずスタスタ歩く

⁅089⁆   生け垣の木通の花が目についた!接写したいがスマホ忘れた

⁅090⁆   ジョギングする人なんかも居たりしてお邪魔虫だと嫌はるるかも
  
⁅091⁆   路地に入りオシッコしたりする時も着替へないからお漏らししない

⁅092⁆   香り佳き難波茨に魅せられてマスク外せば感染するぞ

⁅093⁆   五弁花で黄色い雄蕊が真中に沢山群がり雌蕊を誘惑

⁅094⁆   我が家とは相性悪く咲かぬけど野生化したのはいつでも観れる

⁅095⁆   星型に青紫の花の咲くカンパニュラ・アルペンブルー綺麗!   

⁅096⁆   「薔薇でした!」名前の判らぬバラなれば<プリンセス真子>と勝手に名付く!  

⁅097⁆   あくまでも<プリンセス>です間違へて<不倫せす真子>と呼ぶこと勿れ  

⁅098⁆   公室も品種改良必要だ鳥羽の胤でも飛ばしてやらむ  

⁅099⁆   薔薇の名の<プリンセス真子>まだ在らぬ我が家の薔薇は蟲に食はれつ

⁅100⁆   秘めてなほ薔薇の名前は証さずもやがて暮れ行く中世の秋  

短歌冒瀆<百首歌へのアプローチ・其のⅩ> 

⁅001⁆   午前二時 柱時計のゼンマイのほぐれゆく微かに聴こゆ
     
⁅002⁆   日に一度柱時計の螺子を巻く事が仕事の我が少年時
     
⁅003⁆   きりきりと柱時計の螺子を巻く五分遅れの針進ませて
     
⁅004⁆   時折りは松田さえ子の『さるびあ街』頁捲りて溜息を吐く
     
⁅005⁆   硝子戸の奥に収むる『さるびあ街』松田さえ子の第一歌集
     
⁅006⁆   『さるびあ街』しをりの紐の色あせて松田さえ子としるき著者名

⁅007⁆   昨また三十四名感染し東京アラートいよよ発動!

⁅008⁆   そのかみのフランク永井の持ち歌の「東京カチート」ならぬ<アラート>

⁅009⁆   小池知事<東京アラート>発動し感染防止に余念無き日々

⁅010⁆   安倍総理<九月入学>断念し残り少なき在職の日々

⁅011⁆   アラフォーにして未だ親への甘へ!難しきかな親孝行は!

⁅012⁆   可能ならニオイノンノで除去したい馬の匂ひと菜七子の匂ひ

⁅013⁆   晴れた日も曇つた日にも雨の日も隔てなく遣る壁スクワット

⁅014⁆   注ぎ足しは無用とばかりに缶ビールぐいと空けたりオンライン飲み会

⁅015⁆   三日目も妻を相手の飲み会で四日目以降は独酌になる

⁅016⁆   我孫子市は白樺派の拠点にて健康都市連合加盟都市

⁅017⁆   「黄色人!コロナの元だ出て行け!」とトランプならば言ふかも知れぬ?

⁅018⁆   補聴器も眼鏡も僕は要りません!マスクを掛ける為に在る耳!

⁅019⁆   姑の留守を盗んでケーキなどパクパク食べて肥えた豚嫁!

日本の猪退治をして下さい!猟銃所持者少ない日本!

三密に逆らふデモや講演会!ライン使へば容易に出来る!

一澤の帆布バックを肩に掛けハチ公前のスクランブル往く!

ヨシキリの初音聴きつつ業務終ふ!五月晦日も営業自粛!

ママ以外信じるに足る者あらず!新型コロナウイルス怖い!

藤枝の父と僕とは義理の仲!東京のパパの帰りを待つ僕!

姓名は漢字で確かと書くくせに「じゅく」と書く時ひらがな使ふ!

親方に逆らふ者を殺戮し納体袋に入れて埋めた!

血税の60000000000円費やして花も実も無いアベノマスクだ!

何遍も洗つたマスクで口塞ぎ鼻は塞げず外出をする

若草山 花妻を恋ひ鳴く鹿の鹿煎餅を欲しがつて鳴く

それなのにカッコ付けちやい歌のこと電話で話す紀元節かな

ペンギンがSuicaカードに棲み着いてコロナ禍脱出不能な吾ら!

コンビニのゴミ箱漁る者も居て吾ら庶民が苦しむ失政!

権力を前に研いだりしないけど庶民相手の爪ならば研ぐ!

ラーメンの本場は山形県にして佐野や博多は拉麺未満!

父親が眼鏡を掛けてゐる故に学級委員を務めたる彼

雀卓を検事総長候補者と囲んだ朝日新聞元記者 

この長い五月生き抜き迎へたる六月もまた注意肝要

水のまま風吹くままに花筏 東京湾へと流離ひ行かむ

自らを一景となし畑を打てば閑古鳥鳴く大谷口かな 

軒先に足長蜂の巣の在りて買ひ手付かざる古家なりけり

小心のくせに朝寝する自分、即ち自らを難じた一句!

仕事せず俳句など詠むこと自体夫としての自覚に欠ける!

自らを小心者と決め込んで昇進せずに脱サラをした!

自らを小心者と決め込めばうんと広がる俳句の世界!

通院も外出ならむ風薫る百合ヶ丘駅下車して五分

渓底ゆ浮かび来るもの傷心と染井吉野のはなびら五片

宿願の憲法改悪粛々と進めつつあり総理大臣
  
宿願の検事総長就任を果たさざれども自模れり満願

山吹の色鮮やかな百両をヨークモックの箱に潜めつ
  
パリトロの箱に潜めし札束にこころ癒されたき日もあらむ

ポイントはつまみ食いなどしないこと!餅のみならず苺も同じ!
  
「葵さん、苺大福作れるの?」「クックパッドを見れば作れる!」

謂ふなれば苺大福!体重は超五十キロ赤いホッペがとても可愛い

感染が怖ひからキスなどしない!握手するのも避けなむ私!
     
袖と袖触れた程度で即発の喧嘩沙汰など起るはづ無し 

家のこと妻の私に任せても心配ないから入院してて  
     
末つ子の入学式もまだだから退院急ぐ必要は無し
     
入院中一日当たり二万円!医療保険もたんまり入る!
     
日に一度着替へを持つて来るからねお漏らししても構はないから

ひたひたと潮の満ち行く房総の砂に腹這ひ啄木を読む
     
ひたひたとウイルス迫る現実に身を置いてこそ短歌も詠める

タレントの鼻の柱を高くしてお金儲ける美容外科医!
     
リッツC!共立はA!湘南及び高須はBで真崎のみS!

住職によく似て小物の若和尚葬式饅頭食はずに棄つる!  
     
お布施にも新型コロナウイルスが附着してゐる危険性あり!
     
法衣にも数珠や下駄にも身体にもコロナウイルス附着してゐむ!
     
僧職に在る身としては不心得!彼の若和尚下山するべし!

天災に増される怖さの人災の<アベノマスク>よ<黒木辞任>よ  
     
名付くれば<令和の飢饉>!安倍総理自分の尻は自分で洗へ!

「三時間、君を待ってた!進より」伝言板にチョークで記す!  鳥羽散歩
     
「半日も君を待ってた!もう帰る!」伝言板に怒り心頭!
     
「五時半まで待ったけど!まだ来ない!」男の我慢、限界に達す!
     
「五時からはウイルスの方専用です!花輪焼香一切無用!」

瀬戸内はアジサイ時の我が棲家 観たことも無しスカの紫陽花
そうでした!仰せの如く紫陽花は香りもせずにただ七変化
喜多さんは香りもしない花を見せ正岡子規で逃げを打つのか
君ならで誰とか行かむ温泉に行ける日を待つ游奇痴である
去にし日の那須の宿りの朝食に君と食べにき卵掛けご飯
黄身無くて何が卵掛けご飯かな白身だけなら空気が竹刀
川流を汲めばウイルス飯炊くと薪拾えばまたもウイルス
柴の戸を開けて出づれど室内に籠もれど怖しコロナウイルス
次回また香り映えせぬ紫陽花を口上付きで魅せて下さい
云ふ勿れ野須多留爺などと傘寿にして息災の友有り!
     
骨上げを待つ間聴こへ来る校歌奏ずるハーモニカの音

トランプのジョーカー引いた程度かも!それで死ぬなら死なせて措こう! 
     
星条旗煌めく空の彼方から「トランプ偉大!」と聞こえ来る聲!

しばらくはブログ更新休もうか!コロナウイルス騒ぎ止むまで!  
    
しばらくもブログ更新休めない!アベノミクスを打倒するまで!

検察法改定案の見送りの責任一手に引き受け更迭  

持ち前の貌の悪さが災ひし総理の椅子に座り損ねつ
      
斯くまでもコケにされても未だなほ総理の椅子を狙ふ菅さん

コロナ禍で観光客が訪れず閑古鳥鳴くひがし茶屋街  
     
コロナ禍で観光客も訪れずブリも漁れない能登の藍甕
     
政治家が貌を利かせて走らせた上越・北陸新幹線

初めても二度目も在らぬ歓迎会!空しき聲がハウリングする!  
     
束の間の在社であればオンラインで遣る歓送迎会!
     
飲み物は第三種ビールの金麦で肴は炙つたロシアの鱈子!

レジ前に並ぶ多くの人々の顔を覆へる布製マスク  
     
レジ前を透明シートで覆へるはバイト店員守れる所存

耳にのみ浴びするシャワー!リクシルの極超ミニの最新式型!

湾岸にピースボートの停泊し若き君らの乗船を待つ 

「川崎病、川崎にて発生!」との噂あれども病名の由来は発見者の医師!

晴れて居れば備讃瀬戸の景観が一目瞭然窓側の席
色付きは確かに悪い!でも霧が霧が全てを隠してくれる!
霧が濃く紫雲出山に漂ひて花アジサイと調和して居る!
霧といふ途轍もあらぬ演出家!紫陽花だけを目立たせて居る!
買ひ物をせずに帰れる日だからと何気なく寄る遺跡館なり
写真のみパッパッと撮り直ぐ帰る紫雲出山遺跡館観る価値無くて
紫雲出山の紫陽花たちが待つて居る喜多さんそろそろ渡れ粟島
一昨年の写真など出し喜多さん昨今手持無沙汰か?
奈良国立文化財研究所のお墨付き紫雲出山の弥生の遺跡
城なくて何で己が城の山?苗代さへも在らぬ粟島!
粟島は泡島の転?瀬戸内の海に浮かんだ泡沫ならむ?
許可無しでドローン飛ばせる粟島は世にも稀なる<まほろばの島>
ドローンいま高見島上空飛翔中!喜多さんひたすら眼で追ふばかり!
丸亀に広島在りとは知らなんだ!ピカドン落したアメリカ憎い!
戦国の塩飽水軍拠点地で咸臨丸との関りも在り
浦島太郎伝説の在る粟島で花咲爺さんして居る喜多さん!
粟島でドローン飛ばしてニッポン初の偉業成し得た喜多さんたち!
「似たような写真ばかりですみません」似てるどころか去年も見たか? 

今週の「朝日歌壇」より(2020/5/24掲載)「新型コロナウイルス禍」特集(其のⅢ) 

     「新型コロナウイルス禍」特集(其のⅢ)

〇  藤原定家「明月記」にある赤気想起しコロナから気を逸らす  (京都市)森谷弘志

 永田和弘選の末席入選作。
 方今トレンドの<新型コロナウイルス禍>を題材にして、永田和宏氏を初めとした選者諸氏や朝日歌壇の読者諸氏の度肝を抜くような奇抜な短歌を詠もうとする時は、例えば、それへの対応策を怠り誤ったがために、私たち日本国民を不幸のどん底に引き落とし、我が国の経済に決定的な打撃を与えた自公連立政権やその領袖たる安倍晋三総理大臣閣下を引き合いにするなどの尋常な手段で以てしては、事は決して決して成就しません。
 何故ならば、そうした類の短歌は、日本国内は勿論、広く海外に居住する歌詠みたちに依っても、事が露見する以前から、殆ど無数とも言えるくらいに数多く詠まれ、朝日歌壇に投稿され、そして、その一部は栄えある入選作として、私たち朝日歌壇の読者の前に姿を現しているからであり、今更、そのような有り触れた短歌を詠んで投稿したとしても、朝日歌壇の選者諸氏は勿論のこと、如何なる地方紙歌壇の選者諸氏からも相手にされないに決まっているからなのである。
 然らば、それは絶望的な事であるのか?
 <新型コロナウイルス禍>題材の短歌で以て、世人の度肝を抜くような企てを為すは、今や不可能な事であるのか?
 その答は<NO>、即ち<否>である!
 何故ならば、事を成就せしめざるにも関わらず、未だに是を主題とする短歌を朝日歌壇に投稿して来る、歌詠み諸氏の遣り方は余りにも尋常に過ぎ、永田和弘氏を筆頭にした朝日歌壇の選者諸氏に倦怠感と疲労感を齎すだけの事であり、例え、それがまかり間違って朝日歌壇の入選作として、私たちの前に姿を顕わしたとしても、良識ある読者から侮蔑され唾棄されるだけの事だからである。
 彼ら・コンマ以下の歌詠みたちの手法は、万葉以来の短歌史を逆流させるような性質のものであるが、コンマ以上の歌詠み諸氏が今少し工夫を凝らせば、度肝云々は別としても、私・鳥羽散歩が、狂喜乱舞し歓迎するような短歌を現出せしめる事は、必ずしも難しい事ではありません。
 例えば、<新型コロナウイルス禍>という現実的な問題と対比させて、我が国の歴史文書や古典文学に見られる「天災・人災」などの記事に就いて言及する、といった手法もあり得ましょう。

 例えば、彼の鴨長明の執筆の『方丈記』の序の項。
 即ち、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。」

 また、同じ『方丈記』でも序に続く「安元の大火」の項。
 即ち、「およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。」

 また、同じく「治承の辻風」の項。
 即ち、「また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほどに置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。」

 また、同じく「福原遷都」の項。
 即ち、「又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大かたこの京のはじめを聞けば、嵯峨の天皇の御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく攝津國難波の京にうつり給ひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず。その時、おのづから事のたよりありて、津の國今の京に到れり。所のありさまを見るに、その地ほどせまくて、條里をわるにたらず。北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねにかまびすしくて、潮風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなかやうかはりて、いうなるかたも侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はいづくにつくれるにかあらむ。なほむなしき地は多く、作れる屋はすくなし。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。元より此處に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。道のほとりを見れば、車に乘るべきはうまに乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。これは世の亂るゝ瑞相とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりければ、おなじ年の冬、猶この京に歸り給ひにき。されどこぼちわたせりし家どもはいかになりにけるにか、ことごとく元のやうにも作らず。ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代には、あはれみをもて國ををさめ給ふ。則ち御殿に茅をふきて軒をだにとゝのへず。煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。これ民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。」

 また、同じく「養和の飢饉」の項。
 即ち、「又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、ことごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の邊におほく、うれへ悲しむ聲耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひて、まさるやうにあとかたなし。世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもありくかと見れば則ち斃れふしぬ。ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを賣るに、一人がもち出でたるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、につき、しろがねこがねのはくなど所々につきて見ゆる木のわれあひまじれり。これを尋ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。濁惡の世にしも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りし。又あはれなること侍りき。さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。又(父イ)母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。いかにいはむや、諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしはありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。」

 また、同じく「元暦の地震」の項。
 即ち、「また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。」

 し斯くして、今から八百年前の京都郊外の草の庵に棲息して居た一人の隠者が記した文書に見られる、「人の世の天変地異や人災、天災の記録」を脳裏に置く時、件の「新型コロナウイルス禍」問題のみならず、「モリカケ問題・公文書改竄問題・桜を見る会問題・高級官僚の国会での偽証疑惑問題・検察庁改定法案の流産・黒川前検事長の任期延長と賭博行為とその挙句の辞任問題」などの、安倍政権に関わる諸問題の本質が見えて来るのであり、また、私たち二十一世紀に生きる日本人が抱えて行かなければならない、国際関係を含めた様々な問題や、我が国の政治の真空化(乃至は、極度の混濁化)問題などの本質も見えて来て、あれとこれとを重ね合わせてみる事に拠って、選者の度肝を抜くような傑作さえも詠み得るような可能性さえ現出するのである。

 ところで、掲出の森谷弘志さん作は、「<新型コロナウイルス禍>に自らの懊悩を、藤原定家著の日記『明月記』に登場する<赤気>を<想起し>て<逸らす>事に拠って救済しよう」などとして居て、<昨今の我が国の世相に対する皮肉・風刺>とも<現状肯定を根底にしての戯画>とも解釈し得る作品であり、先刻、私が提唱した「あれとこれとを重ね合わせてみる事に拠って」物事の本質に迫ろうとした作品に類した作品とも解釈し得るのではあるが、殊更に「藤原定家『明月記』」を持ち出して置きながら、下の句を「赤気想起しコロナから気を逸らす」などという、『明月記』に登場する語、「赤気」を食い逃げし、道化的な結末とするのは、あまりにも戴けません。
 そもそも、件の「藤原定家」なる存在が「赤気」なる奇々怪々なる現象にお初に接したのは、建仁四年正月十九日(12044年2月21日)の事であり、和臭漢文で記された彼の日録『明月記』には、「建仁四年正月十九日 天晴(中略)秉燭以後、北并艮方有赤気、其根ハ如月出方、色白明、其筋遙引、如焼亡遠光、白色四五所、赤筋三四筋、非雲、非雲間、星宿歟、光聊不陰之中、如此白光、赤光相交、奇而尚可奇、可恐々々」と記されており、また、その二日後にも、「廿一日 天晴 風烈(中略)秉燭以後、北艮方又有赤気、如隔山焼亡、重畳尤可恐」と記されているのであるが、件の「赤気」なるものは、今日で謂うところの「オーロラ」の事であり、<新型コロナウイルス>などとは、一切関りがありません。
 であるからして、本作も亦、<新型コロナウイルス禍>を題材にしての入選狙いが見え見えの作品であり、斯かる俄か知識に基づいての作品などを、この私・鳥羽散歩が、本気を出して論じたりする必要は、さらさらに認められません。
     天災に増される怖さの人災の<アベノマスク>よ<黒木辞任>よ  鳥羽散歩
     名付くれば<令和の飢饉>!安倍総理自分の尻は自分で洗へ!

今週の「朝日歌壇」より(2020/5/24掲載)「新型コロナウイルス禍」特集 (其のⅠ)

     「新型コロナウイルス禍」特集(其のⅠ)

〇  「五時からはウイルスの方専用です」促され骨抱き斎場を出づ  (朝霞市)青垣進

 馬場選の首席。
 選者・馬場あき子氏の寸評に拠りますと、「作者の御夫君逝去の斎場実景」との事。
 斎場の掲示を作中に用いた点に新味が感じられるが、「御夫君逝去」に関わる葬儀の去就に就いては一切触れて居らず、文意不明瞭の「新型コロナウイルス禍」題材の一首である、と断定せざるを得ません。
     「三時間、君を待ってた!進より」伝言板にチョークで記す!  鳥羽散歩
     「半日も君を待ってた!もう帰る!」伝言板に怒り心頭!
     「五時半まで待ったけど!まだ来ない!」男の我慢、限界に達す!
     「五時からはウイルスの方専用です!花輪焼香一切無用!」
     骨上げを待つ間聴こへ来る校歌奏ずるハーモニカの音


〇  予定せしわが癌手術延期され妻は無言で車椅子押す  (座間市)遠藤覚

 次席。
 これでもか!これでもか!とばかりに、朝日歌壇に押し寄せる<新型コロナ禍>題材の投稿歌!
 今週の馬場選の首席入選作は、前掲の如く、斎場の掲示板に記された文言を採り入れた一首であったが、次席入選作は、
「予定せしわが癌手術延期され」と、自らのプライバシーをあからさまにしてまで入選を狙おうとする作者の飽くなき投稿者魂を発揮された一首である。
 これらの二首は、自らの実体験に取材した作品ではありましょうが、評者の私としては、あくまでも、入選狙いの「際物作品」として、通り一遍の感想のみ記させていただきます。
 即ち、「過ぎたるは及ばざるが如し」と!
     「癌手術延期された!」はよく在るね!災害医療拠点病院!  鳥羽散歩
     癌のみならず手術の延期はよく在る事で珍しからず!


〇  窓々に感謝の声の合唱に仮設病院の医者等拍手す  (アメリカ)大竹博

 三席。
 アメリカさんならではの「感謝の声の合唱」であり、「仮設病院の医者等の拍手」でありましょう。
     トランプのジョーカー引いた程度かも!それで死ぬなら死なせて措こう!  鳥羽散歩
     星条旗煌めく空の彼方から「トランプ偉大!」と聞こえ来る聲!


〇  「しばらくは家で様子をみて下さい」ようすをみつつ逝きし人はや  (前橋市)荻原葉月

 六席。
 なんでこんなにまで、入選狙いの「際物作品」ばかり続くのかな!
 「短歌は他人の不幸を種として花咲く」とは、よく聞く話ではありますが!
    しばらくはブログ更新休もうか!コロナウイルス騒ぎ止むまで!  鳥羽散歩
    しばらくもブログ更新休めない!アベノミクスを打倒するまで!


〇  五兆円軍事費使うこの国で紙のマスクが手に入らない  (神戸市)康哲虎

 同選七席及び高野選六席。
 往年のハードパンチャーも、この度はいささかならず遅れを取ったみたいですね!
 何故ならば、例の<アベノマスク>騒動この方、日本中の薬局やドラッグストアやスーパーには、マスクが山積されていて、来客の誰一人として、見向きもしないような状態になってるんですからね!
 安倍内閣の番頭・菅官房長官は、そうした状態を見て取ってなのか、「安倍内閣の布製マスクの配布は、日本全国のマスク不足を解消し、マスク価格の高額化を停止させたが故に、この度の<新型コロナウイルス禍>解消に多大なる役割りを果たした!」なんて、戯けたことを言ってるんですよ!
 でも、彼・菅義偉官房長官は、この秋の内閣改造で、<安倍お友達内閣>から三行半を食らわされるんですってね!
      検察法改定案の見送りの責任一手に引き受け更迭  鳥羽散歩
      持ち前の貌の悪さが災ひし総理の椅子に座り損ねつ
      斯くまでもコケにされても未だなほ総理の椅子を狙ふ菅さん


〇  コロナ禍で乗客なくても走りだす新幹線の寂しげな貌  (石川県)瀧上裕幸

 末席。
 「新幹線の寂しげな貌」とは、感情移入もいいとこでありましょう!
     コロナ禍で観光客が訪れず閑古鳥鳴くひがし茶屋街  鳥羽散歩
     コロナ禍で観光客も訪れずブリも漁れない能登の藍甕
     政治家が貌を利かせて走らせた上越・北陸新幹線    


〇  初めての歓迎会はオンライン缶開ける音ハウリングする  (熊本市)松野光祐

 佐佐木選の三席及び永田選の四席。
 如何にも作り物という感じのする一首である。
 表現内容の嘘と臨場感の不足をカバーするために用いられたカタカナ語の「ハウリング」が啼いていませんか!
 「ハウリング」とは、「遠吠え」の意!
 熊本市内の何処かからか、葉書十枚の賞品を欲しがって啼く野良犬の遠吠えが聞えて来る。
     初めても二度目も在らぬ歓迎会!空しき聲がハウリングする!  鳥羽散歩
     束の間の在社であればオンラインで遣る歓送迎会!
     飲み物は第三種ビールの金麦で肴は炙つたロシアの鱈子!


〇  レジの向こうにたくさんの手があることをおろがみながら都市に暮らせり  (武蔵野市)田島千代

 六席。
 「おろがみ」が泣かせる六席入選作である!
 上棟式や村の鎮守様の春祭りの場面ならばまだしも、スーパーマーケットでの買い物の場面での「おろがみ」は、いくら何でも酷過ぎはしませんか!
 本作の作者・田島千代さんがお住いの東京都下・武蔵野市は、「おろがみ」などという神憑り的な言葉が未だ健在な集落社会なのでありましょうか?
     レジ前に並ぶ多くの人々の顔を覆へる布製マスク  鳥羽散歩
     レジ前を透明シートで覆へるはバイト店員守れる所存


〇  両耳はマスクの紐に頼られてお疲れさまと長めのシャワー  (東京都)新井将

 七席。
 私たち人間は、耳を二個持っているが故にマスクを掛ける事が出来るのであり、その点に就いては、この度の<新型コロナウイルス禍>に際して、それぞれ二個ずつ備わっている耳に大いに感謝しなければなりません!
     耳にのみ浴びするシャワー!リクシルの極超ミニの最新式型!  鳥羽散歩


〇  ロス沖に停泊待機の病院船赤十字マークに緊張の増す  (アメリカ)ソーラー泰子

 八席。
 病に苦しむ人々を救済しようとして創設された<国際赤十字>及びその象徴の<赤十字マーク>が、今や<新型コロナウイルス>感染を危惧するUSA市民の憎悪の対象化しているのでありましょうか!
      湾岸にピースボートの停泊し若き君らの乗船を待つ  鳥羽散歩


〇  就活も延期バイトもお休みで眠くもなくて雲ばかり見る  (富山市)松田梨子

 高野選首席及び馬場選四席。
 大学の最終学年にもなって、「就活も延期バイトもお休みで眠くもなくて雲ばかり見る」とは、怠慢もいいところである!
 君たち、松田短歌姉妹の詠歌レベルは、未だ小学生時のそれを越えていないんだよ!
     大空を流れる雲を見る暇が在ったら探せ就職先を  鳥羽散歩
     新型コロナウイルス禍に因り日本経済破綻して就職先皆無!


〇  新しい友と先生パソコンの画面で出会う履修説明  (富山市)松田わこ

 同選次席及び馬場選の八席。
 「パソコンの画面で出会う」のは、「新しい友と先生」なのでありましょうか?
 それとも、「履修説明」なのでありましょうか?
     出席時数不足にて一年時の単位習得不可能ならむ  鳥羽散歩
     舌足らず言葉足らずの一首にて敢へて論評するに及ばず


〇  三大のウイルス病を生みし国艦隊連れて尖閣巡る  (西之表市)島田紘一
 三席。
 「三大のウイルス病を生みし国」などと、最初から決め付けてかかってはいけません!
 通常、所謂<三大ウイルス病>、即ち<三大感染症>と命名されている病気は、「エイズ・結核・マラリア」であり、彼の経済大国は、それら三種の感染症の発生地ではありません!
     「川崎病、川崎にて発生!」との噂あれども病名の由来は発見者の医師!


〇  核兵器持つ大国も0・1ミクロンの敵にあたふたしをり  (三原市)岡田独甫

 四席。
 「0・1ミクロンの敵にあたふた」しないで般若湯に酔い痴れているのは、私の知る限りに於いては、三原市にお住いの岡田独甫大和尚ぐらいのものでありましょう。

今週の「朝日歌壇」より(2020/5/24掲載) 改訂版、本日午前十時、本邦初公開!乞うご閲覧!

     佐佐木幸綱選

〇  庭隅の稲荷に上げる油揚夕にはいつも空っぽの皿  (所沢市)横田富江

 首席。
 埼玉県所沢市にお住いの横田富江さんの浪漫精神の発露になる本作!
 作者ご本人としては、件の「油揚」なる植物性タンパクの塊は、お庭の片隅に祀れる<正一位稲荷大権現様の御使者たるお狐さま>が食された、とでも、私たち読者に想像せしめたい場面ではありましょうが、実のところは、長々と続く<新型コロナウイルス禍>に因って、東京都内での段ボール小屋での暮らしが不可能になった路上生活者が、昨今は埼玉県所沢市界隈にも進出したとの噂もありますから、私の想像するところに依りますと、「件の油揚は、新宿や上野での段ボール小屋での暮らしが出来なくなった挙句に、東京都の隠れ都民としてのプライドを棄てて、ダ埼玉県所沢市界隈に進出した路上生活者の口の中に入った」のでありましょう。
     プライドを棄てれば棲める<ダさいたま>!地価も物価も断然廉い!  鳥羽散歩


〇  ストーブの白き煙の三筋立つ今朝は遅霜伊那谷の空  (長野県)北原隆司

 次席。
 アララギ流の近代短歌!
 そのアララギ流の近代短歌でも、取り分けて島木赤彦作の短歌を髣髴せしめる一首である。
     浅間山 黒き煙の三筋立つ!軽井沢賊逃散すらむ!  鳥羽散歩


〇  蓄えの無い人なんと多いこと貯金の好きな国民いずこ  (宝塚市)岸田万彩

 五席。
 本作の作者・岸田万彩さんは、彼の有名な宝塚市にお住いの素封家であり、決して、決して<俄か成金>とか<プチブル>とかではありません!
 でも、いくら何でも「蓄えの無い人なんと多いこと」なんて、私たち貧乏人を馬鹿にしてはなりませんよ!
 そして、それに追い打ちを掛けての「貯金の好きな国民」という言い方には、私・鳥羽散歩は、いい加減にアタマに来てんですよ!
     阪神に巨大地震が再発し財産全てを失ふが佳し!  鳥羽散歩
     宝塚市民を選び感染す新型コロナウイルス発生!


〇  子供らに正義は勝つと教えつつ死を選ばれし赤木氏をおもう  (対馬市)西山悦子

 九席。
 下掲の記事の全ては。ネット上の「文春オンライン」から無断転載させていただいたものであり、これらの記事を下記の如く、無断転載させていただくに際しまして、同記事の関係者の皆様方には、深くお詫び申し上げます。  鳥羽散歩

 「週刊文春」2020年3月26日号に掲載された大阪日日新聞記者・相澤冬樹氏による記事「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。
 「週刊文春」編集部は完売により記事が読めない状況を鑑み、文春オンラインで全文公開する。
 真面目な公務員だった赤木俊夫さんに何が起きていたのか。
 森友問題の「真実」がここにある。
          ◆ ◆ ◆
 手記
     平成30年2月(作成中)
〇はじめに
 私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜残業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。
 これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という。)です。
 本件事案は、今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。
 この手記は、本件事案に関する真実を書き記しておく必要があると考え、作成したものです。
 以下に、本件事案に関する真実等の詳細を書き記します。

     1.森友学園問題
 私は、今も連日のように国会やマスコミで政治問題として取り上げられ、世間を騒がせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という。)を、昨年(平成29年)2月から担当していました。
 本件事案が社会問題化することとなった端緒は、平成29年2月9日、朝日新聞がこの問題を取り上げたことです。
(朝日新聞が取り上げた日の前日の平成29年2月8日、豊中市議が国を相手に、森友学園に売却した国有地の売買金額の公表を求める訴えを提起)
 近畿財務局が、豊中市に所在する国有地を学校法人森友学園(以下「学園」という。)に売却(売買契約締結)したのは平成28年6月20日です。
 私は、この時点では、本件事案を担当していませんので、学園との売買契約に向けた金額の交渉等に関して、どのような経緯があったのかについてはその事実を承知していません。

     2.全ては本省主導
 本件事案の財務省(以下「本省」という。)の担当窓口は、理財局国有財産審理室(主に担当の杉田補佐、担当係長等)です。
 杉田補佐や担当係長から、現場である財務局の担当者に、国会議員からの質問等の内容に応じて、昼夜を問わず資料の提出や回答案作成の指示(メール及び電話)があります。
 財務局は本省の指示に従い、資料等を提出するのですが、実は、既に提出済みのものも多くあります。
 通常、本件事案に関わらず、財務局が現場として対応中の個別の事案は、動きがあった都度、本省と情報共有するために報告するのが通常のルール(仕事のやり方)です。
 本件事案は、この通常のルールに加えて、国有地の管理処分等業務の長い歴史の中で、強烈な個性を持ち国会議員や有力者と思われる人物に接触するなどのあらゆる行動をとるような特異な相手方で、これほどまで長期間、国会で取り上げられ、今もなお収束する見込みがない前代未聞の事案です。
 そのため、社会問題化する以前から、当時の担当者は、事案の動きがあった際、その都度本省の担当課に応接記録(面談等交渉記録)などの資料を提出して報告しています。
 したがって、近畿財務局が、本省の了解なしに勝手に学園と交渉を進めることはありえないのです。本省は近畿財務局から事案の動きの都度、報告を受けているので、詳細な事実関係を十分に承知しているのです。
   (1)国会対応
 平成29年2月以降ほとんど連日のように、衆・参議院予算委員会等で、本件事案について主に野党議員から追及(質問)されます。
 世間を騒がせ、今も頻繁に取り上げられる佐川(前)理財局長が一貫して「面談交渉記録(の文書)は廃棄した」などの答弁が国民に違和感を与え、野党の追及が収まらないことの原因の一つとなっています。
 一般的に、行政上の記録を応接記録として作成された文書の保存期間は、文書管理規則上1年未満とされていますので、その点において違法性はないと思いますが、実際には、執務参考資料として保管されているのが一般的です。
 この資料(応接記録)を文書管理規則に従って、終始「廃棄した」との説明(答弁)は、財務省が判断したことです。その理由は、応接記録は、細かい内容が記されていますので、財務省が学園に特別の厚遇を図ったと思われる、あるいはそのように誤解を与えることを避けるために、当時の佐川局長が判断したものと思われます。
   (2)国会議員への説明
 本件事案に関して、野党議員を中心に財務省に対して、様々な資料を要求されます。
 本省は、本件事案が取り上げられた当初の平成29年3月の時点では、全ての資料を議員に示して事実を説明するという姿勢であったのです。
 ところが、(当時)佐川理財局長の指示により、野党議員からの様々な追及を避けるために原則として資料はできるだけ開示しないこと、開示するタイミングもできるだけ後送りとするよう指示があったと聞いています。(現場の私たちが直接佐川局長の声を聞くことはできませんが、本省(国有財産審理室)杉田補佐からは局長に怒られたとよく言っていました。)
 また、野党に資料を提出する前には、国会対応のために、必ず与党(自民党)に事前に説明(本省では「与党レク」と呼称。)した上で、与党の了承を得た後に提出するというルールにより対応されていました(杉田補佐、近畿財務局楠管財部長などの話)。
   (3)会計検査院への対応
 国会(参議院)の要請を受けて、近畿財務局が本件事案に関して会計検査院の特別検査を、昨年平成29年4月と、6月の2回受検しました。
 受検時には、佐川理財局長の指示を受け、本省理財局から幹部職員(田村国有財産審理室長、国有財産業務課福地補佐ほか、企画課係長)が派遣され、検査会場に同席し、近畿財務局からの説明を本省幹部職員が補足する対応がとられました。
その際、本省の検査院への対応の基本姿勢は、次のとおりです。
 ① 決議書等の関係書類は検査院には示さず、本省が持参した一部資料(2~3分冊のドッチファイルを持参)の範囲内のみで説明する
 ② 現実問題として、上記①のみでは検査院からの質問等に説明(対応)できないとして、田村審理室長が、近畿財務局に保管されている決裁文書等を使用して説明することはやむを得ないと判断して、①の対応が修正された
 ③ 応接記録をはじめ、法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さないこと、検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました(誰から誰に指示がされたかは不明確ですが、近畿財務局が作成した回答案のチェックを本省内関係課で分担され、その際資料は提示しないとの基本姿勢が取られていました)
(注)この時、法律相談の記録等の内部検討資料が保管されていることは、近畿財務局の文書所管課等(統括法務監査官、訟務課、統括国有財産管理官(1))の全ての責任者(統括法務監査官、訟務課長、統括国有財産管理官)は承知していました。
 したがって、平成30年2月の国会(衆・予算委員会等)で、財務省が新たに議員に開示した行政文書の存在について、麻生財務大臣や、太田理財局長の説明「行政文書の開示請求の中で、改めて近畿財務局で確認したところ、法律相談に関する文書の存在が確認された」(答弁)は、明らかに虚偽答弁なのです。
 さらに、新聞紙上に掲載された本年1月以降に新たに発覚したとして開示した「省内で法的に論点を検討した新文書」について、本年2月19日の衆院予算委員会で、太田理財局長が「当初段階で、法務担当者に伝え、資料に気付く状況に至らなかった。法務担当に聞いていれば(文書の存在)に気付いていたはずだ」との答弁も全くの虚偽である。
 それは、検査の際、この文書の存在は、法務担当に聞かなくても、法務担当以外の訟務課・統括国有財産管理官は作成されていることを当然認識しています。これも近畿財務局は本省主導で資料として提示しないとの基本的な対応の指示に従っただけなのです。
 また、本省にも報告され保管されていることは、上記2に記載している本省と財務局との情報共有の基本ルールから明らかです。
   (4)財務省の虚偽答弁
 本省が虚偽の答弁を繰り返していることを再掲しますと、
 上記(1)国会対応、(2)国会議員、(3)会計検査院への対応の全ては、本省で基本的な対応のスタンスが決められました。
 特に、(3)では、本省から財務局に以下の対応の指示がありました。
  ● 資料は最小限とする
  ● できるだけ資料を示さない
  ● 検査院には法律相談関係の検討資料は「ない」と説明する
 この事案の対応で、先の国会で連日のように取り上げられた佐川(当時)理財局長の国会答弁の内容と整合性を図るよう、佐川局長や局長の意向を受けた本省幹部(理財局次長、総務課長、国有財産企画課長など)による基本的な対応姿勢が全てを物語っています。
 (疑問)
 財務省は、このまま虚偽の説明を続けることで国民(議員)の信任を得られるのか。
 当初、佐川理財局長の答弁がどこまでダメージコントロールを意識して対応されていたかといえば、当面の国会対応を凌ぐことだけしか念頭になかったのは明らかです。

     3.財務省は前代未聞の「虚偽」を貫く
 平成30年1月28日から始まった通常国会では、太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです。
 現在、近畿財務局内で本件事案に携わる職員の誰もが虚偽答弁を承知し、違和感を持ち続けています。
 しかしながら、近畿財務局の幹部をはじめ、誰一人として本省に対して、事実に反するなどと反論(異論)を示すこともしないし、それができないのが本省と地方(現場)である財務局との関係であり、キャリア制度を中心とした組織体制のそのもの(実態)なのです。
 本件事例を通じて、財務省理財局(国有財産担当部門)には、組織としてのコンプライアンスが機能する責任ある体制にはないのです。

     4.決裁文書の修正(差し替え)
 本年3月2日の朝日新聞の報道、その後本日(3月7日現在)国会を空転させている決裁文書の調書の差し替えは事実です。
 元は、すべて、佐川理財局長の指示です。
 局長の指示の内容は、野党に資料を示した際、学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。
 佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。
 第一回目は昨年2月26日(日)のことです。
 当日15時30分頃、出勤していた池田靖統括官から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、役所に出勤(16時30分頃登庁)するよう指示がありました。
 その後の3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。
 楠管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村総務課長をはじめ田村国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長に報告したと承知しています。
 美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました。
 楠部長以外にも、松本管財部次長、小西次長の管財部幹部はこの事実をすべて知っています。
 本省からの出向組の小西次長は、「元の調書が書き過ぎているんだよ。」と調書の修正を悪いこととも思わず、本省杉田補佐の指示に従い、あっけらかんと修正作業を行い、差し替えを行ったのです。
(大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています)
これが財務官僚機構の実態なのです。
 パワハラで有名な佐川局長の指示には誰も背けないのです。
 佐川局長は、修正する箇所を事細かく指示したのかどうかはわかりませんが、杉田補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、修正した回数は3回ないし4回程度と認識しています。
 役所の中の役所と言われる財務省でこんなことがぬけぬけと行われる。
 森友事案は、すべて本省の指示、本省が処理方針を決め、国会対応、検査院対応すべて本省の指示(無責任体質の組織)と本省による対応が社会問題を引き起こし、嘘に嘘を塗り重ねるという、通常ではあり得ない対応を本省(佐川)は引き起こしたのです。
 この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、本省主導の事案で、課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です。
 いずれにしても、本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう。
 怖い無責任な組織です。
 〇刑事罰、懲戒処分を受けるべき者
 佐川理財局長、当時の理財局次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部
 担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやることができる役人失格の職員)
 この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。
 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。
 今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)
 家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。
 私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?
 兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。
 さようなら
      (編集部注 明らかな誤字・脱字に限り修正、その他はすべて原文のまま掲載)
     子供らに敢へて正義と言はざるも自死して正義貫かむとす  鳥羽散歩


〇  通販で買った半袖届いたら娘の季節はもう夏になる  (東京都)日野智子

 末席。
 春夏秋冬、季節の巡る速さは、横手市山手地区に建つ、我が旧宅の洋館の屋根の風車の廻るが如し。
     賜物の十万円を手にしたら<アベノマスク>とさよならしやう  鳥羽散歩
     通販で求めしワイシャツ届くころ我が首回り45インチ

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