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詩歌句誌面

読解なくして論評あらず。

今週の「朝日俳壇」より(2020/8/30掲載) 暁闇の小田急線の警笛に夢を破られベッドより出づ!  そのかみのギニアのお笑い・サンコンさん!<視力6、0>とはほんまかいな!  莚より湧く虱と蚤に寢付かれず田毎の月を飽かず見にけり!  キスをする構へだけ見せ手を握ることさへさせぬスナックのママ!  掌中に熟せる一顆の無花果の行乞われの飢ゑを潤ほす!

     高山れおな選

○   今朝走る一番電車爆心地  (高松市)島田章平

 首席。
 「原爆投下後数日で走り始めた路面電車に託された希望を75年後の今朝思い遣る」とは、選者・高山れおな氏の寸評である。
 香川県の県庁所在地・高松市(人口は42万人、高松都市圏の人口は84万人)は、太平洋戦争前には市街地に路面電車としての<市内線>が運行されていて、観光路線としての性格と生活路線としての性格を兼ね備えていた為に利用者も多かったが、戦災で破壊され、そのまま再開されることなく運行が廃止されてしまったのである。
 そして、その後に市内を走る路面電車は無いのであるが、それとは別に、「高松琴平電気鉄道」が、「高松築港駅~瓦町駅~岡本駅間を往復する琴平線」と、「瓦町駅~高田駅間を往復する長尾線」、及び、「瓦町駅~原駅間を往復する志度線」との三路線が、市内の目抜き通りを運行させていて、高松市民及び高松都市圏の住民や観光客の利便に供しているのが現状である。
 察するに、掲句中の「一番電車」とは、高松市内を走る電車、即ち「高松電気鉄道」の三路線の中のいずれかの「一番電車」ではないかと思われ、掲句の作者・島田章平さんは、件の高松電気鉄道のいずれかの路線沿いにご邸宅を構えていらっしゃるのではないかとも推測される!
 私・鳥羽散歩は、今年の六月十七日を以て満八十歳になりましたが、察するに、掲句の作者の島田章平さんは、昭和十五年生まれの私と同年配、もしくは、私よりも二、三歳ぐらい高年齢の鰥夫暮らしのご老人かと思われる。
 ところで、この点は、私自身の経験に照らし合わせてみても納得せざるを得ないのでありますが、私たち高年齢者男性は、総じて<早寝早起き>という習慣を持っていて、自宅から間近い所に鉄道線路が在ったりすると、その線路を走る「一番電車」の走行音や警笛などに、毎朝、耳を澄ましている事がよく在るのである。
 察するに、掲句の作者・島田章平さんにも、私同様の<早寝早起き>の習慣があり、広島に原爆が投下されて七十五年目に当る、今年の夏の八月六日も、夜明け頃から既に目覚めて居られ、往来から聴こえて来る「一番電車」の走行音に耳を澄まして居られたものと思われます。
 そして、瀬戸内海を隔てて高松市の対岸に在る、広島市に原爆が投下された後、数日で走り始めた広島の路面電車が広島市の復興に果たした役割や、爆心地の様子などにも思いを馳せられたことでありましょう。
 戸外から聴こえて来る<高松電鉄>の「一番電車」の走行音を耳にしたという、作者ご自身が体験された身近な事柄を契機として、核禁止問題や平和問題にも思いを馳せられる作者・島田章平さんの、<新型コロナウイルス禍>で逼塞して居られる、今年の夏の暮らしぶりをも窺わせる佳作である!
     暁闇の小田急線の警笛に夢を破られベッドより出づ!


○  ひらめきの前の十秒青林檎  (香芝市)土井岳毅

 次席。
 選者・高山氏曰く、「上五中七と青林檎が比喩の関係。どちらが実か虚か読み手次第」と。
 「どちらが実か虚か読み手次第」とのことでありますが、「ひらめき」は勿論、「青林檎」も作者の脳裏の中の出来事であり、両者ともに、「実」と言えば「実」、「虚」と言えば「虚」の関係を成すものでありましょう。

       青林檎分つ一会の山の友   沢聰
       もぐや直ぐ口に泡立つ青林檎   林翔
       朝夕の青林檎すりみとり妻   梶尾黙
       青林檎夜沼の脣を背に感ず   宮武寒々
       青りんご青田青風岩木山   高澤良一
       青林檎旅情慰むべくもなく   深見けん二
       青林檎機嫌の悪しき妻と居る   矢坂祐一
       青林檎人を迎ふる日の多く   木村蕪城
       十六夜の青林檎なれば自閉的   安西篤
       青林檎汝が口紅のいろにじむ   三谷昭
       高潮に余市の浜の青りんご   石原舟月
       山巓は雲吐きつくし青林檎   愛澤豊嗣
       光点は紅点すところ青林檎   香西照雄
       ひた走る夜汽車歯に酸き青林檎   杉本寛
       お岩木に雲又かかる青りんご   高澤良一
       青林檎しんじつ青し刀を入る   山口誓子
       青林檎ひとの夏痩きはまりぬ   石田波郷
       四方に垂れ草の中まで青林檎   古館曹人
       青林檎むいてかしづく父の酔   前田普羅
       青林檎買へりハイデルベルグ駅   岩崎照子
       青林檎昼寝のちさき掌をはなれ   谷野予志
       青林檎の青さ孤絶の山小屋に   橋本多佳子
       青林檎かじる氷河期のおわり   対馬康子
       失恋や片頬赤き青林檎   中尾寿美子
       つぎの世へ転がしてゆく青林檎   大西泰世
       青林檎イブの歯型の明るさよ   仙田洋子
       長旅の疲れ癒せり青林檎   後藤郁子
       背山より雨走りくる青林檎   小林紀代子
       早き瀬に立ちて手渡す青りんご   山本洋子
       洛陽に陽を追ひ落し青林檎   小檜山繁子
       青林檎氷河の裾にひと夜寝て   村上光子
       晩年のいまが入口青林檎   星多希子
       高空に照り合ふ岳や青林檎   長沼冨久子
       アルプスは疾走はじむ青林檎   熊谷愛子
       若人の宴青林檎火口に落つ   津田清子
       吾子の前風が忘れし青林檎   中嶋秀子
       青林檎初恋日記ひらきけり   仙田洋子
       少女等の男言葉や青林檎   穂坂日出子
       青林檎とふほど若き妻でなし   鳥羽散歩
       酸つぱきも齧つてみたき青林檎   鳥羽散歩


○  野分すぎ五等星まで見えしかな  (丹波市)木内龍山

 三席。
 「満天の星。<五等星まで>の具体が面白い」とは、選者・高山氏の寸評。
 「野分」即ち<台風>が過ぎた後の夜空には、正しくも<満天の星>といった感じの天体ショーが展開されますからね!
 ところで、「肉眼で見える星は6等星まで。これは、古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスが定めたもので、最も明るい星たちを1等星とし、肉眼でぎりぎり見える最も暗い星たちを6等星として、その間を6段階に分けました。1段階で明るさの差は約2.5倍、1等星は6等星の約100倍の明るさとなります。1等星から6等星までの星の数は全天で8600個。一度に見える星の数は、地平線より上半分の約4300個となる計算となります。実際には地形や建物、雲の状況によって見える星の数はもっと減ります」との事である。
     そのかみのギニアのお笑い・サンコンさん!<視力6、0>とはほんまかいな!


○  枕よりわくみんみんに寝付かれず  (秩父市)猪野幸夫

 四席。
 「ミーンミンミンミンミンミー…」という鳴き声がよく知られている<ミンミン蟬>の鳴き声を寝床の中で聴いていて、「枕よりわくみんみんに根付かれず」と詠んだのであるが、「枕よりわくみんみん」が一句の眼目である。
     莚より湧く虱と蚤に寢付かれず田毎の月を飽かず見にけり!

 
○  朝食のいちじく濡れて皿の上  (岸和田市)大内純子

 五席。
 朝一番に裏庭の木から捥ぎ取って来て、皿の上にのせた無花果!
 その無花果は、朝露に濡れたままの完熟した無花果なのである!
     掌中に熟せる一顆の無花果の行乞われの飢ゑを潤ほす!


○  夕立の構へだけして地の燃ゆる  (高知市)和田和子

 八席。
 「夕立の構へだけして地の燃ゆる」如き黄昏になってしまった、という事はよく在ることでありましょう。
 現に、今日、八月晦日の川崎市多摩区などは、朝八時過ぎに入道雲が湧いて、今直ぐにでも一雨来そうな気配を示していたのであったが、午後二時になった現在も一向に降りそうになく、洗濯物が物干し竿に縛られながらも翩翻と翻っているのである。
     キスをする構へだけ見せ手を握ることさへさせぬスナックのママ!
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『見沼田圃の畔から』から

一首を切り裂く(100:好)

(みつき)
    好きという理由ひとつで結ばれて今年も同じさくらを見てる
 「さくら」が「好きという理由ひとつで結ばれて今年も同じさくらを見てる」というわけですか。
 本作の作者<みつき>さんと相手の方とは、きっと、「花見同好会」とかいうサークルに加入されているお仲間なんでしょうね。
 と、言うのは、あまりのご夫婦仲のよさに嫉妬している鳥羽省三の悪質な冗談でした。
 「さくら」は、大阪造幣局のくぐり抜けですか。
 それとも、祇園の枝垂れ桜。
 或いは岐阜の山奥の薄墨桜。
 もしくは千鳥が淵の堀に傾れて咲く桜。
     〔答〕 かくありし時の挙句に結ばれて角館にてさくら見ている  
 「かくありし時」の意味を、さまざまにお考え下さい。

(ひいらぎ)
    好きなとこ嫌いなとこも思い出になれば全てはただ美しい
 それが、時間というものに必然的に備わっている、<浄化作用>というものでありましょう。
     〔答〕 嫌なこと水に流して隅田川今日も明日も海へ注げる  

(斗南まこと)
    たまになら夢に見ていいその時はあなたの好きにしちゃってもいい
 斗南藩の藩主様ともなれば、「夢」にまで認可権をお持ちなんですか?
 <まこと>なんですか?
 斗南は、薩長との戦いに敗れた末にやっと辿り着いた最果ての地なのですから、せめて、夢ぐらいは自由に見させてやって下さいませ。
     〔答〕 夢は夢 誰に遠慮が要るものか 好きなお方と共に見なさい   

(蓮野 唯)
    戻りあう好意互いに受け止めて今は一児の親をする仲
 「親をする仲」という表現は、少しばかり苦しい。
 でも、「戻りあう好意」を「互いに受け止めて」「今は一児の親」となったのは大変お目出度いことです。
 あの工藤公康投手も、元の古巣の西武ライオンズにカムバックしましたし。
    〔答〕 許し合う心ここらで発揮して鳩山兄弟政界再編  

(花夢)
    ずっと好きでいるのもなにか省エネのように感じて過ごす休日
 「ずっと好きでいるのもなにか省エネのように感じて」というのは、実に素晴らしい表現です。
 かく持ち上げる私も、本作に接してみて初めてこの表現の素晴らしさに気付き、これ一つをとってみても、花夢さんは立派な表現者なのだと、今さらのように納得しました。
 そうですね。
 冒頭の「ずっと」の意味を<継続的に>と解釈すれば、その「ずっと」を止めて、<継続>を解消した途端に、止めた人間は、ものすごく膨大なエネルギーを消費することになります。
 例えば、それまで延々と続けて来た「好き」と「好き」との関係を解消して、一挙に「嫌い」と「嫌い」の関係になだれ込んだ時には、皿が飛ぶやら、襖が破れるやら、お互いの心身が傷付くやらで、それこそ目も当てられない結果となり、お互いにへとへとに疲れてしまい、その挙句に、それを通じて消費したエネルギーの補給にも、莫大なお金を要します。
 また、その反対に、それまで、人知れずに地下水の流れるが如くに続けて来た、ごく淡白な「好き」と「好き」との関係を解消して、濃厚な「好き」と「好き」との関係に入ったときも、同じように膨大なエネルギーとお金とを消費することになりましょう。
 先ず、途切れ無しに掛け合うケータイの通話料の支払い。
 そして、毎晩支払うモーテル代。
 さらには、あの「くみつほぐれつ」する時のエネルギー消費量もばかにはなりませんよ。
 みんな疲れることばかりで、みんなお金の掛ることばかりなのです。
     〔答〕 休日は遠く離れて好きのままキスもしないで居るのがステキ  

(ほたる)
    問われれば蕾のひらくようにして“好き”を咲かせてしまう、そのたび

 花夢さんと違って、<ほたるさん>ぐらい純情になれば、「“好き”を咲かせてしま」っても、何も危険なことはありません。
 何しろ、未だ「蕾」のままですからね。
     〔答〕 “好き”咲かせ“機雷”は閉じておきましょう 争いごとは“嫌い”ですから  

(今泉洋子)
    竈猫の話弾みて猫好きの親子の夜はしんしんと更く
 作中の「竈猫」とは、冬の夜に、飼い猫が、火を消した後もまだ温みの残っている竈の中に潜り込んで一夜を過ごす現象や、そのようにする猫を指していう言葉である。
 だが、日常生活の中でこの言葉を用いることはほとんど無く、主として、俳句の季語として用いられるのであるが、家庭での暖房様式の変化に伴って、今となってはその季語も、季語ならぬ死語となってしまった。
 そこで私は、自分自身の勉強の為にもと思って、「竈猫」を季語とした俳句を探索し、以下にそれを提示した。
       銀猫も竈猫となつて老ゆ      山口青邨
       鳴くことのありてやさしや竈猫    々
       竈猫けふ美しきリボン結う      々
       かまど猫家郷いよいよ去りがたし  鈴木渥志
       何もかも知つてをるなりかまど猫  富安風生
 俳句の季語としての「竈猫」は、読んで字の如く<かまどねこ>と読むのが通常であるが、使われる場面に応じて<かまねこ>と読んだり、<へっついねこ>と読んだりもする。
 本作の場合は、これが「竈猫の」として、一句目に用いられているから、作者としてはおそらく、「かまねこの」と読ませたいのであろう。
 東京に遊学している息子が暮れの休みに久しぶりに帰省した。
 この息子は、夫と同じように、すこぶる付きの猫好きである。
 そこで、猫好き同士の二人は、さっそく熱燗徳利を抱えて暖炉の側に寄って、竈猫の話に熱中し、眠ることも忘れてしまったようだ。
 冬の夜はしんしんと更けて行く。
 けれど、彼ら二人の竈猫を巡る話題は尽きようにもない。
 格別嫌いというわけでも無いが、特別な猫好きでもない作者は、久しぶりに帰って来た息子と夫を放ったまま、自分一人だけで眠りに就くわけには行かない。
 特に、今年の秋口から晩秋にかけて、作者は詠歌の取材と称して、関東・関西を股にかけて遊び回って居ただけに、余計に気が咎めるのである。
 そこで作者は、そっと書斎に入って行き、自分専用のパソコンを開いてみた。
 そして、かねてよりやたらにコメントを寄せて来る、あの歌好きの爺さんのブログを立ち上げてみた。
 すると間も無く、パソコンの画面に現れ出たのは、あの「見沼田圃の畔から」の記事。
 その記事の中程に、「(今泉洋子)竈猫の話弾みて猫好きの親子の夜はしんしんと更く」とある。
 いけない、いけない。
 この悪口だらけの記事を、今見てはいけない。
 これを、今読んでしまったら、私はきっと卒倒してしまい、可愛い息子と夫に、明日の朝食べさせる、お雑煮も作れなくなってしまうから。
     〔答〕 <かまねこ>と<かまとと>の違いも知らぬから「一首を切り裂く」難渋してます  

(千坂麻緒)
    お互いに好きだったことお互いに子どもだったね 東京にいます      
 つまり作者は、「あなたがわたしを好いていた原因や、わたしがあなたを好いていた原因は、わたしたち二人が、まだ子供で、幼稚だった点に存在する」と言いたいのでしょう。
 したがって、本作は、短歌スタイルを騙っての一種の去り状、即ち、離縁状、絶縁状に他ならない。
 創作の動機が極めて不純であるが、第五句の「東京にいます」がなかなか宜しい。
     〔答〕 「東京にいます。けれども好きでない。わたしをあきらめ結婚しなさい」  


一首を切り裂く(099:戻)

(西中眞二郎)
    久々に帰り来し娘(こ)が若き日に戻りて一人オルガンを弾く
 「オルガンを弾く」が宜しい。
 「弾く」のが「オルガン」であるから、「若き日に」を「稚き日に」としても面白いかとも思われますが、「稚き」を「わかき」と読ませるような小細工はしたくないのでしょう。
 それが節度というものでありましょうから。
     〔答〕 連休で帰省した子が大阪の土産だと言い<たこ焼き>呉れた  

(梅田啓子)
    棕櫚の木を凌霄花の登りゆく戻れぬことを知るよしもなく
 いがいがの「棕櫚の木を凌霄花の登りゆく」風景は、何かの諭しかとも思われます。
 「蟷螂の斧」ともう一つ、<無謀な試み・はかない抵抗>を意味する格言が在りましたが、そちらの方は、差別語を含んでいるので死語扱いとなっています。
     〔答〕 冬富士に挑める右京とその徒党帰れぬことは知るよしもなく  
 あれもまた、チーム全体の能力を考えれば、<無謀な試み>であった、としか言えませんね。
 
(じゅじゅ。)
    沈丁花香る一条戻り橋 夕陽とともにあなたを待って
 わたしは「あなたを待って」いるのだが、「夕陽」は何を待っているのでしょうか?
   ① わたしと「ともにあなたを待って」いる?
   ② 自らが落ちて行くのを待っている?
  「②」の場合は、文脈の上では、落ちて行くのは「夕陽」だけであるが、現実には、<わたし>もまた、「夕陽とともに」堕ちて行くことになるかも知れません。
 「沈丁花」という花の名も、「一条戻り橋」という橋の名も、何か不吉で暗示的です。
     〔答〕 行くもならぬもどるもならぬ戻り橋去るもさらぬも地獄直行  
 
(minto)
    連休に戻れることを楽しみに励みゐるらむひとり居の子は
 それが<親心>というものでありましょうが、「親のこころ子知らず」という諺もありますから。
     〔答〕 連休に戻ると言ひし一人児に逢って<みんと>ぞ出迎へにけり  

(佐藤羽美)
    細長いため息をつき拝み屋は本の綴じ目に戻っていった
 本作については、作者の佐藤羽美さんが、自らのブログに、次のようなコメントを寄せて居られました。
 よって、それを引用して、観賞文に替えさせていただきます。
  「099:戻」の歌は、京極夏彦著の小説『百鬼夜行(京極堂)シリーズ』の主役と言っていい、京極堂こと中禅寺秋彦をイメージして詠みました。
 この人と一緒に暮らすってどういう感じですか、千鶴子さん。
 と私は尋ねたいです。
 すんごい神経質で皮肉を言われそうだけど、しかったら優しかったで、ちょっといやかもしれない。
 羽美さんの解説文中の「すんごい神経質で」が、とても印象的でした。
     〔答〕 京極堂・中禅寺明彦すんごくて本の綴じ目に戻してやった  

(流水)
    終バスの灯が暗闇に溶けてゆく戻らぬものは優しく残る
 この一首を読んで、「溶暗」という舞台用語を思い出しました。
 「溶暗」とは、照明などが次第に「暗闇に溶けてゆく」ことを指す言葉でありましょう。 
 そう、「暗闇に溶けて」行って、永久に「戻らぬ」灯の記憶は「優しく残る」ものです。
     〔答〕 「戻らぬ」の一言だけを書き置きて消えにし兄の記憶が優し 

 
一首を切り裂く(098:電気)

(近藤かすみ)
    なよたけのフィラメントもてエジソンは点しそめたり電気のひかり
 「なよたけ」は、<弱弱しい竹>の意。
 「トーマス・エジソンの発明した電灯のフィラメントには、その<なよたけ>が使われているから、我が日本国は、トーマス・エジソンの電灯の発明にも大きく貢献したのだ」と言うのが、私の小学時の担任の芳賀先生の口癖でありました。
 芳賀先生のお話は、それだけで終わらず、「だから君たちも頑張って、エジソンみたいになれ」という落ちがついておりました。
     〔答〕 エジソンになれぬ男がノラになれぬ女くどいて設けた世帯 

 (本田鈴雨)
    家出してナースとなりし電気屋のむすめよ帯電しやすき母よ
 たった一人の跡取り娘なら、「帯電しやすき母」の気持ちも理解できます。
     〔答〕 帯電をし易き母の楽しみは夫のアース目指す放電  

(花夢)
    いつか孵化するだろうにくしみを電気毛布であたためている
 二句目の字足らずは、「するのだろうか」とすれば簡単に解消するのだ。
 些細な努力を惜しんではいけませんよ。
 才能は十分過ぎるくらいあるのですから。
     〔答〕 些細なる努力惜しみて流したる水子短歌の悲しみを知れ  


一首を切り裂く(097:断)

(西中眞二郎)
    晴れ渡る空真っ二つに断ち割って飛行機雲は西へと走る
 先日、初詣の帰りに、久しぶりに「飛行機雲」を見ました。
 その飛行機雲は、晴天の底のずっとずっと手前に浮き下がっているような感じで、なんだか元気無く、 大空を「真っ二つに断ち割っ」た感じではありませんでした。
 その日のお天気具合とか、空気の澄み具合とかによって、一筋の飛行機雲から感じられるイメージもいろいろと異なるものですね。
 その日、私の見た飛行機雲は、短歌に詠めそうな感じではありませんでした。
     〔答〕 ふらふらと空に下がれる飛行機雲もっとしゃきっとしてはくれぬか  

(梅田啓子)
    そこだけが騒めき断たれゐるごとし落合監督坐るベンチは
 そこの辺りが中日の不人気の理由なんでしょうか?
 かと言って、監督を立浪和義に替えても、中日は勝てないし、不人気な点も同じことでしょう。
 要するに、中日は名古屋限定の永遠なる不人気球団なんですよ。
 いっそのこと、三重や岐阜などの近隣の地方都市と協力して、自由契約必至のおんぼろ選手やプロ球団入りを狙っている若手選手ばかりを集めた地方リーグを作って、中日はその盟主になればいいと思うのですが。
     〔答〕 其処だけで崇めて居てもつまらない立浪和義賞味期限切れ  
 とは書きましたが、実を申すと、私は落合監督の大ファンで、中日というチームそのものも、口で言うほどには嫌っていないのです。
 巨人は勿論のこと、中日以外のセリーグ各球団は、あの広島も含めて全国区的人気を得ようとしているのです。
 そうした中にあって、唯一、中日だけが地域限定の人気上昇を目指しているのは、今後のプロ野球発展のためには、極めて意義のあることです。
 米大リーグの各球団は、あのヤンキースも含めて、地域チームに徹しております。
 名古屋という土地は、人口からしても経済力からしても、中日ひとチームを支えるのに、十分過ぎるものを備えています。
 東京や大阪は複数チームを抱えている。
 札幌、仙台、千葉、広島、福岡は、人口の面でも経済力の面でも、プロ野球球団を抱えるには不足な面がかなりある。
 横浜は、東京とほとんど変わり無い。
 故に、残るのは名古屋だけ。
 あとは中日経営陣の斬新な企画力と、落合監督の一念発起が待たれるのみです。
     〔答〕 監督の落合博満孤高にて選手・コーチが敬遠してる  

(羽うさぎ)
    ためらいも憂いも愛も伏せたままメールは縁を一撃で断つ

 ケータイという、先端機器が本質的に備えている、非情さに着目している。
 冒頭を「ためらいも」としたのが大変良かった。
     〔答〕 プッシュ一閃、愛憎を断つケータイのメールに敵う通信は無し  

(野州)
    堅茹での男はいつも濡れてゆく差しかけられた傘を断る
 もう半世紀近くも前の話です。
 その頃、学生であった私は、ダブルスクールとして、東中野の日本文学学校にも通っていた。
 梅雨酣の頃、授業を終えて帰宅を急いでいた午後九時過ぎに、突然雨が降って来た。
 あまりに急なことなので、傘も差さずに歩いていた私に、後ろから走って来た何方かが傘を差し掛けてくれたのである。
 見ると、その人は同じ日本文学学校の学生で、頭もなかなか切れそうで、メガネを掛けてはいるが容貌も申し分が無くて、私が普段から、「こんな女性とお付き合いが出来たなら、私の貧しい青春にも薔薇の花が咲いたようになるのに」と思っていた女性なのだ。
 思いもしなかった幸運に、私はすっかり舞い上がってしまい、有り難うの一言も言えずに、無言のままの相合傘で駅までの道をうきうきしながら歩いた。
 そして、あろうことか、東中野の駅に着くや否や、その女性にひとことの言葉も掛けずに、改札口への階段をつかつかと駆け上がって行ったのだ。
 改札をくぐった瞬間、私は「しまった」と思ったが、それからでは取り返しのつくことでは無かった
 さだまさしの歌『主人公』の一節に、「<或いは><もしも>だなんてあなたは嫌ったけど/ 時を遡る切符があれば/欲しくなる時がある/あそこの別れ道で選びなおせるならって」と言うのが在る。
 私にとっての「あそこの別れ道」とは、あの東中野駅の、改札口への上り階段のことなのかも知れない。
 その後、良き伴侶を得て、二児の父、二児の祖父となった私ではあるが、時折り、「あそこの別れ道で選びなおせるならって」思わないわけでも無い。
 さだまさしの『主人公』の歌詞は、その後、「勿論/今の私を悲しむつもりはない/確かに自分で/選んだ以上精一杯生きる/そうでなきゃ/ あなたにとても/とても/はずかしいから」と続く。
 誤解の無いように、この際、申し述べて置くが、「そうでなきゃ/あなたにとても/とても/はずかしいから」と、私が思う時の「あなた」とは、東中野駅の階段下に放置して来てしまった、あの女性のことでは無く、私の愛妻のことである。
 と、ここまで書いてきたが、私は突然、腹が立って来た。
 その理由は、本作中の「堅茹での男」とは、私のことでは無いか、と思ったからだ。
 本作の作者の野州氏よ、あなたはCIAか何かに依頼して、私の事績を克明に調査したのではありませんか?
 だとすれば、あなたは卑怯者だ。
 一体全体、私は貴方に何をしたと言うのだ。
 ただ、貴方のあまり上手くもない歌を、一所懸命にに誉めただけではないか。
 それなのに、貴方はこんなに卑怯なことをする。
 こうなったら、出る所に出て、一挙に始末をつけましょう。
     〔答〕 とかなんとかおっしゃってとどのつまりの時間稼ぎをしちゃった私  

(emi)
    週末はひたすらスープを煮込みます沈めた言葉の断片溶いて
 「週末はひたすらスープを煮込みます」という上の句には、それほどの疑問点もない。
 もし、あるとすれば、それは,副詞「ひたすら」に関することであり、本作の話者は何故、スープを煮込むことなどに、「ひたすら」打ち込んでいるのか、ということぐらいである。
 だが、その答は、上の句を「ひたすら」凝視しているぐらいでは得られない。
 その答を得るためには、下の句を見なければならないし、下の句の中でも、特に「沈めた言葉」を凝視し、その意味を真剣に考えなけれならないのである。
 しからば、「沈めた言葉」とは何か?
 言葉を沈めるとは、どうすることか?
 私見ではあるが、言葉を沈めるとは、言いたい言葉を言わないままで済ませることである。
 私の連れ合いの言い分では無いが、言いたい言葉を言わないままで済ませると、ストレスがたまる。
 その、たまったストレスを解消するために、本作の話者はスープを煮込むことに「ひたすら」熱中するのである。
 スープを煮込むことに限らず、何かに熱中することは、ストレス解消の為に役立つ。
 かくして、当初はいとも容易く解答が得られると思っていた、上の句の叙述から感じられた疑問点は、実は、下の句の叙述と密接な関わりがあるのであって、下の句の叙述に関わる疑問点が解けると、上の句の叙述に関わる疑問点も、自然と氷解してしまうのであった。
 本作を一定のレベルに到達した作品として評価するためには、そうした、下の句と上の句との密接な関わりに気付かなければならない。
     〔答〕 平日は言いたいことも言わないでストレスばかり溜めて居ります   

(岡本雅哉)
    断れない理由がふいに浮かんでは断る理由をかき消していく
 事は単純明解。
 この作品の話者にとっては、「断る理由」よりも「断れない理由」の方か重要なのだ。
 つまりは、断ることが出来ないのだ。
     〔答〕 最初から断る気などないのなら断るそぶりを見せちゃいけない  

(村本希理子)
    ぱつつんと断つタイミング計りをり タテイタにミズのセールストーク
 本作の話者は暇人。
 持て余している暇の解消策として、サプリメントを売りつけに来たセールスマンのトークを、買うはずも無いのに、さも買いたそうにして聴いていたに違いない。
 だが、その目的は十分に達成された。
 今こそ、「ぱつつん」と音立てて、「タテイタにミズのセールストーク」を遮断しなければならないのだ。
 だが、「断つタイミング」を「計りをり」などと言うのは、「断つ」ことが出来な時にいう口実なのだ。
 かくして、歌人・村本希理子さんは、あのサブリメント<香潤>を一年分も買わせられる結果となった。 
     〔答〕 立て板に流れる水は断たれない断とうとすれば溢れ出るだけ    


一首を切り裂く(096:マイナス)

 大変残念なことであり、大変寂しいことでもありますが、観賞の対象となる作品は一首もありませんでした。
     〔答〕 読むに足る短歌無き夜は楽天家われも陥るマイナス思考  鳥羽省三


一首を切り裂く(095:卓)

(中村成志)
    手遊びの花占いの花びらのごとく欠けゆく円卓の席
 人望の無い部長の送別の宴席の円卓から次々と去って行く同僚社員の有様を、特に批判視するでもなく、ただ茫然と眺めているのである。
 「手遊びの花占いの花びらのごとく」という表現から推してみるに、「欠けゆく」のは、主に女性社員、しかも比較的に若い女子社員なのでしょう。
     〔答〕 手遊びに摘まれた花もありましょう鼻を明かしてやれと逃亡  

(髭彦)
    円卓の歴史彩る騎士たちよ中華料理よ回転寿司よ
 巡る歴史、巡る円卓、巡る回転寿司でありましょうか。
作者は、かつて高校で歴史教師をなさっていた方。
 趣味傾向から推すに、日本史の教師ではなく、世界史の教師であったと思われる。
 連想の展開過程を想像してみると面白い。
 作者の目の前に、今、一冊のテキストが置かれている。
 それは、西欧、中世社会の出来事を写真や絵図を中心にして解説した瀟洒な書物である。
 その書物に載っている絵図は、騎士たちが一堂に会しての円卓会議の風景を描いたものである。
 その騎士たちの円卓会議の絵を見たことから、作者・髭彦氏の旺盛な想像力が刺激され、やがて彼は、先月、横浜の中華街で、円卓を囲んでの小宴の有様を思い起こし、その後、その帰途に立ち寄った、東京神田の回転寿司屋で食べ損なった上トロ寿司へと、彼の想像は馳せて已まないのであった。 
     〔答〕 円卓に並ぶ海老チリ・青椒肉絲(チンジャオ)に歴史教師のお腹ぐうぐう  
         円周を成して流れる寿司皿に今しも髭が手を差し伸べた           

(五十嵐きよみ)
    枕辺に残すほどではないメモを走り書きして食卓に置く
 「○○を冷蔵庫から出してチンして食べてね」といった程度の内容のメモか?
     〔答〕 オムレツはチンして食べて わたくしは今日も「指輪」を聴きに行くから  

(都季)
    続かないラリーの隙間を埋めていく卓球台を転がる笑い
 「卓球台を転がる笑い」が、ピンポン玉の転がる様子と、その周囲の有様を想像させて面白い。
     〔答〕 温泉の一夜泊まりの卓球の転がる玉に転がる笑い  

(美木)
    食卓の醤油を使い切るまでの長さで一人になったと感じ
 キッコーマンの例の小瓶に入った醤油を「使い切るまで」の時間の長いこと。
 我が家の別居中の息子などは、「あまり長く使っていないと腐ってしまうから勿体ない」と言って、行きつけの回転寿司屋の小袋に入ったヤツを持って来て使っているようだ。
     〔答〕 面倒だ勿体無いを口実にお風呂もたまに沸かすだけだね  

(ほたる)
    教わったうちのひとつが左手のブラインドタッチで電卓を打つ
 一首の意を正確に辿って行くと、「(かなり遅めの寿退職をしたお局さんからは、お小言と一緒に、実に多くのことを教わったが、)教わったうちのひとつが左手(の指を全部用いての電卓)のブラインドタッチで(あった。)(そこで、今朝は、教えてくださったお局さんの新妻ぶりを想像しながら、)電卓を(教わったブラインドタッチで)打つ」ということになる。
 それを一首にまとめてしまうのだから、ほたるさんの詠歌力(うたよみじから)はすごい。
     〔答〕 教わった場所の多くは給湯室 お湯沸かしつつ上司の悪口  

(近藤かすみ)
    永遠に触れらるることなきままの√キー持つCASIO電卓
 四句目は、「るーときーもつ」と読むのか?
 「√キー」を「持つ」のは「CASIO電卓」だけですか?
     〔答〕 永遠に見ること出来ぬ我が背中 このごろ妻が洗ってくれる  

(HY)
    初志貫徹手段選ばす貫いた江川卓のそれも人生
 江川卓の「空白の一日」は、あまりにも有名である。
     〔答〕 初志貫徹できずに負けることもあるそれでも江川は先発投手


一首を切り裂く(094:彼方)

(夏実麦太朗)
    そのかたち自由自在に変えながら空の彼方へ行くレジ袋
 「レジ袋」は「そのかたち」を「自由自在に変えながら」「空の彼方へ行く」のではなくて、<自由自在に変えられながら>空の彼方へ行くのである。 
 その昔は、材料がポリエチレンであることから<ポリ袋>と呼ばれていた例の「袋」の呼び名が、昨今では、「レジ袋」と呼ばれるようになった。
 つい最近、私が、この袋のことを、レジ袋では無く<ポリ袋>と呼んだら、「そんな言い方をしたら、警察官が持っている袋と間違われるから、ここは偏見を捨てて、ポリ袋と呼べよ」と嗜められた。
 そういうことですから、「レジ袋」という、この呼び名は、このまま定着してしまうに違いない。
 材料がポリエチレンでなくなっても、呼び名を変更する必要が無いからでもある。
 ところで、昨年辺りは、エコ社会に対応するためにレジ袋の廃止運動が盛んに行われような気配を見せていたのだが、いつの間にかその運動も凋んでしまった。
 作中の「レジ袋」の行方も気になるが、<レジ袋廃止運動>の行方はそれ以上に気になる。
     〔答〕 そのかたち勝手気ままに変えられて風に漂うレジ袋かも  

(小早川忠義)
    出会ふ前のまたは離れてしまひたる友とは何の彼方にをらむ
 「離れてしまひたる友」は、今はともかく、離れる前には紛れも無い「友」であったのだが、「出会ふ前」の「友」は、まだ出会っていないのだから常識的には「友」とは言えない。
 それなのに「友」と呼んでいるところに、本作の作者のロマンティズムが認められる。
     〔答〕 山の穴 山のあなたの空遠く 未だ出会わぬ友が住むのか  
 拙作の冒頭の「山の穴」については、今さら解説を要さないであろう。
 
(佐藤羽美)
    彼方まで気球観測しておりぬ妹に深い渓谷のあり
 作中の「妹」の胸の中に存在する「渓谷」は深くて広い。
 故に、妹は「彼方まで気球観測して」いるのである。
 気宇壮大は、何も男子の気構えの大きさだけを形容する語句ではない。
     〔答〕 彼方までアドバルーンなどぶち揚げて誰の渓谷覗くのか鳥羽   

(虫武一俊)
    彼方から髭のひとりも現れてあきらめなさいと言ってくれぬか
 「髭のひとり」の誰彼を、いろいろと詮索してみるのが面白い。
 髭と言えば、大国主命の髭、聖徳太子の髭、明治天皇の髭、伊藤博文の髭。
 彼らは、髭の所有者なるが故に紙幣の図柄となっているのだ。
 髭の彼らを図柄とした日本銀行券は、「鳩山くん、マニフェストの実現は、もうあきらめなさい」と言ってくれるのだろうか?
     〔答〕 髭立てず腹も立てずに鳩山の由紀夫は何時まで持つのだろうか  

(振戸りく)
    此方から彼方に変わる瞬間の場所と時間を教えてください
 私の連れ合いは、夜遅くまでテレビを観ていたりしている時、時計が十二時を回ると、「ああ、もう明日になってしまった。いや、間違った。今は今日であって明日ではない。私たちは明日という日に巡り会うことが、永久に出来ないのだ」などと言って洒落めかす。
 そう、我が連れ合いの言うが如く、「明日」は「今日」を基準としての「明日」であって、今日になってしまえば、それは明日では無いのである。 
 それと同じように、「彼方」は「此方」を基準としての「彼方」である。
 故に、「彼方」に行ってしまえば、其処は「此方」であって「彼方」ではないのである。
 だから、此方と彼方の境目となる「場所」や「時間」を特定することは永久に不可能である。
 ところで、昨今の世間では、<元カレ>という変な言葉が跳梁跋扈している。
 その<元カレ>とは、<現役の彼氏>に対しての<退役の彼氏>を指して言う言葉であろうが、そもそも、彼女の対象者であるところの男性は、あくまでも<彼氏>であり、世間には、<現役の彼氏>の略語としての<現カレ>と言う言い方は無いから、それと相対的な関係になる<元カレ>という言い方は成立しないはずである。
 成立しないはずの言葉<元カレ>を成立させるために、世間の馬鹿どもは、その相対語として、最近、<今カレ>という、<元カレ>に更に輪を掛けたようにして意味不明な言葉を急浮上させ出した。
 自分の居る時間軸が常に<今日>であるように、彼女と相対する者は、常に<彼>ないし<彼氏>である。
 だから、<今カレ>とか<元カレ>とかいうような言葉を、何の疑問も無しに使っている者は馬鹿としか言えない。
 仮に、<カレ>という言葉の対義語がどうしても欲しいのならば、それは、<元カレ>では無くて<非カレ>であろうか。
    〔答〕 今日明日の狭間と言うと思い出す江川卓の空いた一日   

(五十嵐きよみ)
    忘却の彼方ですけどリカちゃんと昔はおなじ年齢でした
  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用であるが、「リカちゃん(Licca-chan)はタカラ(現タカラトミー)製の着せ替え人形玩具。フルネームは香山リカ(Licca Kayama )。日本人らしい身長や顔立ちで、親近感が沸くように作られている。累計出荷数は5000万体を超える」、「誕生日:5月3日/年齢:11歳(小学5年生)/血液型:O型」である。
 本作の作者の五十嵐きよみさんが、「リカちゃん」と「おなじ年齢」であったのは、一体、何年前のことであろうか。
 <十年ひと昔>という言葉が在るが、その言葉に従えば、五十嵐きよみさんは、ひと昔やふた昔では無い、ずーっと、ずーっと昔のことを話しているのである。
 ことの序でに、例の知ったかぶりで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から仕入れた知識を披瀝すると、日本人とフランス人との間に生まれたハーフとして設定されたリカちゃんは、当時、ハーフの少女タレントとして人気絶頂だった、高見エミリさん、現在の鳩山エミリさんをモデルとして設定されたのだそうだ。
 だとすれば、現役宰相の実弟の鳩山邦夫氏は、友だちの友だちがアルカイダだったり、お母さんから数億円を貰ったり、奥様がリカちゃん人形のモデルだったりして、現代、類い希な幸せ者であろう。
     〔答〕 往年のリカちゃん人形のモデルさん今の首相の義理のいもうと  

(近藤かすみ)
    雲間より光の降りて山の端の彼方に見ゆる天使の梯子

 五十嵐きよみさんがリカちゃん人形を語れば、近藤かすみさんは「天使の梯子」を語る。
 共に、叶わぬ夢を語りたくなるようなご年配であられましょうか?
 でも、「雲間より光の降りて」来ることもありましょうから、今年一年、またがんばって下さい。
 近藤かすみさんが撤退してしまえば、「題詠2010」は闇夜になりましょうから。
     〔答〕 闇を行く想いしながら歌を読む時折り出会う秀歌頼みて  

(蓮野 唯)
    鼻先で閉じた扉が語ってる心はとうに彼方へ去った
 こちらは、リカちゃん人形とも天使の梯子とも、縁もゆかりも無い蓮野唯さんの作品でありますが、少々意味の解り難いところが在ったとしても、それは尻取り短歌のせいでありますから、勘弁していただきましょうか。
 それにしても、その「先」で扉を閉じられるくらいの「鼻」とは、一体どんなに高い鼻なんでしょうか?
 その正確な寸法は分かりませんが、そんなに高い鼻の持ち主だから、貴女は彼に逃げられるんですよ。
 「心はとうに彼方へ去った」などと、ふて腐れて居ないで、そんな鼻などは自分でへし折って、大急ぎで彼を探してきて、もう一度彼とやり直しなさい。
 決して、諦めてはいけません。
 彼は案外近くにいるのですから。
 目と鼻の先に。
     〔答〕 鼻先で笑っていても泣いているとうの彼方に去った心が  

(今泉洋子)
    瑠璃色の空の彼方にむなしさをひとつおきさり闌けてゆく秋
 こちらの作者は、お年も欲望もお忘れになられたお方の作品である。
 でも、ご本人のご力量から推してみて、いかにも投げやりな作品と思われ、「題詠」全盛の新古今時代に紛れ込んだような感じが致します。
     〔答〕 投げ遣れば実も蓋も無きダイエーの特価売り場に買ふ物のなし  

(ほたる)
    彼方より空耳がしてスキップで渡る横断歩道の鍵盤
 しんがりは、お年に不足(?)のほたるさん。
 だんだら模様の「横断歩道」をピアノの「鍵盤」に見立てたのが、この作品の手柄でしょう。
 それで以って、初めて、「スキップで渡る」という表現も生きて来るのである。
 意識したり計算したりしないで、そうした効果的な表現が出来る所に、本作の作者の強みがある。
     〔答〕 彼方には蛍狩りの児まっている摑まえられて一夜光りな  
         蛍狩りは子供では無く大人にて尻を剥かれて光らせられた
 

一首を切り裂く(093:鼻)

(桑原憂太郎)
    シラカバの花粉の舞ひし学舎で生徒の嘘を鼻が感じる
 「シラカバ」が出て来ると、山の分教場みたいですが、それは評者の不勉強。
 最近は、都会の学校の校庭などにも白樺が植えられています。
 教育予算の削減続きの今日では、教室や職員室のサッシもガタピシ。
 そのガタピシの学舎の窓から、その季節になるとシラカバの花粉が舞い入って来る。
 本作の作作者・桑原憂太郎教諭は、そのシラカバの花粉にやられて苦しんでいる。
 時折り、くしゃみなどもするから、生徒達から、句洒魅先生なとどという風流なニックネームなども奉られている。
 その句洒魅先生の鼻が、生徒のついた些細な「嘘」を感受したのだ。
 「一昨日、僕が遅刻したのは、通学に使っているチャリンコがパンクしていたからだ」と言った白場香くんの言葉は本当はウソで、「彼は、通学の途中で有馬記念の馬券を買いにいったのだ」と。
     〔答〕 くしゃみして生徒のウソを感受して実に多忙な先生の鼻  

(西中眞二郎)
     けだるさは鼻風邪程度のことなれど そを口実に会うを断る
 「けだるさは鼻風邪程度のことだけどそれを理由に会うの断る」とすれば、<しなやか>な口語短歌になるんだけど、それをそうしないで、「けだるさは鼻風邪程度のことなれど そを口実に会うを断る」と、口語と文語の折衷体にしてしまうのは、西中眞二郎氏独自のご理論有ってのことだろうとはお見受けするが、少し<したたか>さをも感じます。
     〔答〕 したたかを装ってするしなやかさ西中短歌の神髄見たり  

(理阿弥)
    革命の二百年記に歌はるる仏蘭西国歌(マルセイエーズ)が今朝の鼻唄
 こちら、理阿弥氏の作品は文語短歌ではあるが、使用している言葉が言葉だから、何の抵抗も無く、口語派にも受け入れられるであろう。
 「今朝の鼻唄」が「仏蘭西国歌(マルセイエーズ)」であるところに、本作の作者・理阿弥氏の教養と情熱が感じられる。
     〔答〕 鼻唄に「花街の母」歌ひつつ寅年初めの連休に居り  

(伊藤夏人)
    鼻息を感じる程に近付けたそこで一気に行くべきだった
 ボクシングの内藤選手の反省の弁ですか。
 それとも、・・・・・・・・。
     〔答〕 鼻息を感じる程に近づけてそこで肘鉄喰らわす女  

(五十嵐きよみ)
    鼻と鼻こっそり合わせてみたかった従兄をまねて従兄の犬と
 詩人の<まどみちお>氏が、百歳のご高齢に達せられたとかで、松の内のNHKテレビに出ておられましたが、この一首を読み、先ず、最初に思ったのはそのことでした。
 「鼻と鼻こっそり合わせ」となると、ぞうさんとぞうさんとの象舎でのご挨拶みたいですね。
 でも、それを童話的世界に止まらせずに、「鼻と鼻こっそり合わせてみたかった」としながらも、すぐさま、「従兄をまねて」と、少し隠微な味わいを添える。
 そして最後に、「従兄の犬と」と、ウルトラW級の捻りを入れるところなどは、さすが五十嵐きよみさん。
 私如き凡才の及ぶところではありません。
 脱帽。
     〔答〕 くちびるを耳に近づけ伝へたし不倫の味も幽かに在ると  

(近藤かすみ)
    鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア
 インターネツト・サーフィンをしていると、実に多くの<脂取りの紙>に出会いますが、その一つに次のような商品がありました。
 「あ-7.リトマス的あぶらとり紙」 <レギュラーサイズ(左)>寸法:72×100ミリ 入り数:50枚 価格:350円(税抜き)
 <ビッグサイズ(右)>寸法:100×100ミリ 入り数:50枚  価格:380円(税抜き)
 吸って、判定して、笑顔になれる。
 あぶらを吸うことによって浮き上がる隠れキャラ(全60種類)の数で皮脂量をチェック。
 小学校の理科の時間にタイムスリップしたような リトマス感覚で…。
 あぶらを取るのが楽しくなります。

 私は、脂取りの紙を使ったことがないから解りませんが、脂取りの紙の広告に必ず書いてある「<レギュラーサイズ(左)>・<ビッグサイズ(右)>」などの「左」「右」には、どんな意味があるのでしょうか?
 どなたか、ご存じの方ご教授下さい。薄謝は<作品のべた褒め>。
 ところで、脂取り紙の<脂を取る側の紙面>は、本作では「黒」と特定していますが、黒に限らず、緑、ピンク、純白と、さまざまな色の品が在ります。
 それは只の装飾で、効能には関係が無いのでしょうか。
 この点についても、何方かご存知の方のご教授を請う。薄謝は<作品の添削及び改作>。
 そろそろ本題に戻りましょう。
 体から分泌される脂肪は、何も「鼻のわきの毛穴」からだけ分泌されるわけではないでしょうのに、本作の作者は、分泌する箇所を敢えて「鼻のわきの毛穴」と限定している。
 その理由は、お題「鼻」にあるとも思われますが、それ以外の理由として、「鼻のわきの毛穴の脂を取る」と述べることによって、熟年女性の醜悪な面貌を連想させる効果があるとも思われます。
 つまり、本作の作者・近藤かすみさんは、「肉を斬らせて骨を斬る」という捨て身の戦法に出たわけでありましょう。さすがだ。
 それから、もう一点。
 下の句の、「黒き紙売るドラッグストア」もなかなか上手い。
 このドラッグストアでは、脂取り用の黒い紙に限らず何でも、白いお粉なども密かに販売しているように見受けられます。
 脂取り用の黒い紙や白いお粉を売っていそうなドラッグストアと言ったら、渋谷ではあの店。
 そうそう、近藤かすみさんは東京住まいではなかった。京都住まいだった。
 上方の人に箱根の関所の外側の話をしても、なんのことやらお解りになられないでしょう。
 ものの序でにもう一言。
 つい先ほど、私は本作について、「下の句」という言葉を使いましたが、その点については、「本作は、その重みの全てが、末尾の『ドラッグストア』に係って行く句切れ無しの作品だ。鳥羽の短歌知らずにも程がある」などとお思いの方も、きっといらっしゃることでしょう。
 でも、それはその方の認識不足です。
 「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア」というこの一首は、実は、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ」という上の句と、「黒き紙売るドラッグストア」という下の句から成る、二句切れの作品なのです。
 それなのに、これを、麺棒のようにやたらに長い<句切れ無し>の作品と誤解している人は、「取るといふ」の「いふ」の終止形が、連体形と同形であることを忘れているのです。
 もう少し詳しく説明すると、この一首の話者は、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ」という所で少し立ち止まり、自分とは異なって、生まれつきの脂性体質のために「鼻のわきの毛穴」からいつも「脂」を吹き出しているような女性の顔を想い浮かべ、それから徐ろに視線をスクランブル交差点の向こう側にやる。
 すると其処に、彼の有名なドラッグストア<KS>があった。
 そこで、「鼻のわきの毛穴の脂を取るといふ黒き紙売るドラッグストア 」という一首全体の構想が纏まるのである。
 先ほどの説明を訂正するようではあるが、「取るといふ」の「いふ」は、終止形とも取れるが、連体形とも取れる。 だから、この一首は、「取るといふ」の所で、切れるようにも見えるが、切れずにその後に係って行くようにも見える。
 つまり、この一首は、<二句切れ>のように見せかけた<句切れ無し>の作品、<句切れ無し>のように見せかけた<二句切れ>の作品なのである。
     〔答〕 醜悪な女性の顔を強調し脂取り紙を黒と決め付け  

(村本希理子)
    鷲鼻の父魔女鼻の母にして小さき鼻の三姉妹われら
 「鷲鼻の父」「魔女鼻の母」とあるから、本作の作者・村本希理子さんのご両親は、原っぱ系ではなく、ヨーロッパ系の顔立ちをした、その昔の美男美女であったことでしょう。
 その美男美女のご両親から産まれて、「小さき鼻の三姉妹われら」。
 作者は、「三姉妹われら」を「小さき鼻の」と言っているだけで、特別な醜女と言っているわけではない。
 つまり、作者たち「三姉妹」もまた美人なのだ。
 「鷲鼻」と「魔女鼻」を父母として産まれ育った、「小さき鼻の」美女「三姉妹」。
 わーい、これは小説のテーマにだってなるぞ。『若草物語』みたいな。
     〔答〕 鷲鼻も魔女鼻もみな欧州系ヤマトンチュウは鼻が低過ぎ    

(佐山みはる)
    目鼻立ち整ひしをとこ懐に黒皮かぼちゃまるまる抱けり
 「まるまる」の位置が大変宜しい。
 副詞「まるまる」を、この位置に置くことによって、「まるまる」とした「黒皮かぼちゃ」の形状のみならず、「目鼻立ち整ひしをとこ」の、「まるまる」とした風姿面貌、そしてその「をとこ」の「懐」の温かさまで解るのだ。
     〔答〕 目鼻立ち整はざりし鳥羽くんが半額弁当抱きてうろちょろ   
 
(ほたる)
    限界で溢れてしまう泣くことは鼻の奥だけなら許されて
 「題詠2009」に参加された<艶色四人熟女>、即ち、五十嵐きよみさん、近藤かすみさん、村本希理子さん、佐山みはるさんの後ろに配置すると、この頃は少し薹が立ち気味ではあるが、本作の作者<ほたる>さんの、ご年齢や作品の若さと清楚さとが強調される。
 それにしても、インターネットは便利だ。
 だって、インターネットで短歌を詠んだり、論じたりしている限り、ご本人のご年齢は勿論、ご容貌も、ご体重も、何もかも、少しも判らないんですからね。
 実物の<ほたる>さんは、本名・山中熊子、年齢・七十五歳、体重・75㎏、趣味は餅搗きだったりして。
 それは冗談、冗談、冗談、冗談ですよ。
 それと無く気品の漂う作品を見れば、この鳥羽省三には、何もかも一目瞭然ですよ。
 「限界で溢れてしまう」のは涙。
 決して、涎や鼻水ではない。
 「泣くことは鼻の奥だけなら許されて」ということは、ほたるさんはご両親から、「女はひと前で涙を流して泣いてはいけない。泣く時は、人に隠れて、鼻の奥だけで泣け」と、厳しく躾けられたわけである。
 素晴らしい。
 このご両親在りて、この娘在り。
 でもねー、ほたるさん。ご理解あるご主人でしたら、必ず、こうおっしゃると思いますよ。
 「ほたるー、泣きたい時は俺の胸にすがって泣けー。激しく声を出して泣いていいから」と。
 なんだか、倉本聰作のドラマ『北の国から』みたいになってきたから止めよう。
     〔答〕 泣く時は俺の胸にて思い切り涙流して声張り上げて  

今週の「朝日歌壇」より(2020/8/23掲載) 微笑める姿の愛しさ!終末を知りて撮られし在りし日の妻!  コロナ禍を非現実だと思いたくなつているのも吾らの現実!  突としてパネリストAが消へ失せて黒枠の中が灰色になる!  身の厚さ薄さ如何に関わらず国産ウナギはとても美味しい!  あまりにも貧乏臭くて泣けて来る!あの日あのカフェの椅子での吾ら!  生命は尊いなどと謂ふ勿れ!正しく尊い生命なれど!  札束で解決するのは容易いが娘としての気持ちは如何?  棺桶に両足突つ込み死んだのち誰を相手の感想戦だ!  親離れ出来ぬ我が子を歌に詠む令和二年の教育ママゴン!  日産のブルーバードが好きだつた!トヨタのコロナは大嫌いだつた!

     永田和弘選

○  終末の近づく妻を撮りければ頬に指あてほほゑみ呉れし  (浜松市)松井恵

 首席。
 「哀しい歌だ。遠くない別れを意識しつつ、奥さまの最後の微笑みは美しかっただろう。そのさり気ない所作にすべての感謝と愛情が籠っていた筈である」とは、選者・永田氏のいかにも永田氏らしい寸評である。
 写真を撮る夫と撮られる妻!
 撮る夫も撮られる妻も、その写真が如何なる意味を持つ写真なのかを知っている!
 撮られる妻は、撮る夫の哀しい気持ちをそれとなく知っているが故に、敢えて「頬に指あてほほゑみ呉れ」るのであり、撮る夫は、撮られる妻のそんな気持ちを知っているが故に哀しいのである。
 また、選者の永田和宏氏にとっては、この写真撮影の場面での夫と妻の気持ちが、自らの体験を通して手に取るように解るから、「哀しい歌だ。遠くない別れを意識しつつ、奥さまの最後の微笑みは美しかっただろう。そのさり気ない所作にすべての感謝と愛情が籠っていた筈である」などと述べられるのである。
永田氏の仰る「哀しい歌」
 
     その橋は、まこと、ながかりきと、
     旅終りては、人にも告げむ、

     雨ながら我が見しものは、
     戸倉の燈か、上山田の温泉か、

     若き日よ、橋を渡りて、
     千曲川、汝が水は冷たからむと、
     忘れるべきは、すべて忘れはてにき。   『千曲川』 津村信夫作

     微笑める姿の愛しさ!終末を知りて撮られし在りし日の妻!
     微笑は忘るるべきか忘れずも!愛しき妻の最期の写真!


○  「本当なら今ごろは」ってみんな言う本当なんてどこにもないのに  (東京都)上田結香

 次席。
 「非現実的なコロナ禍で、言葉の本来の意味を迫られる」とは、選者・永田氏の寸評。
 それにしても、本作の作者の現状認識はあまりにも厳し過ぎる!

     「本当」がこの世にほんとに無いのなら僕は今日から不真面目に遣る!
     コロナ禍を非現実とする永田氏に現実の意味吾は問はなむ!
     コロナ禍を非現実だと思いたくなつているのも吾らの現実!


○  縦長の枠に囲われオンライン遺影にかも似るパネリストたち  (横浜市)折津侑

 三席。
 この狭いパソコンの画面にパネリスト全員の顔を押し込めなければならないのですから、必然的に、縦長の黒枠に囲われた顔!恰も、出征兵士の遺影のような顔になってしまうのですよ!
     突としてパネリストAが消へ失せて黒枠の中が灰色になる!


○  厚き身を我に盛りつけ身の薄き鰻を妻は「美味しい」と食む  (観音寺市)篠原俊則

 四席。
 旦那様の常日頃からの躾の宜しきを得て、斯くも時代遅れの家父長的な事態が現出したのでありましょうか?
     身の厚さ薄さ如何に関わらず国産ウナギはとても美味しい!


○  深い琥珀色のアイスティを前にあの日窓際の椅子にあなたはいた  (横浜市)近藤泰夫

 五席。
 「<深い琥珀色のアイスティを前>にして<窓際の椅子>に座っていた」なんて、記憶の中の一場面とは言え、あまりにも月並みで、且つ、貧乏たらしい青春ではありませんか!
 その発想たるや、実に昭和三十年代以前の月並み短歌的なものではありませんか!
     あまりにも貧乏臭くて泣けて来る!あの日あのカフェの椅子での吾ら!


○  ALS嘱託殺人耳にして怒りきれない自分に不安  (大阪市)石田貴澄

 六席。
 そうなんですよ!
 「ALS患者を嘱託殺人容疑で医師二人が京都府警に逮捕された」というニュースを耳にしても、「怒り切れない自分」は、この令和の世の中には、日本全国の至る所に居るんですよ!
 また、そんな自分に不安を感じているのも確かなんですよ!
 なにしろ、こんな世の中ですからね!
     ASL嘱託殺人耳にして怒り感じる事など異常!
     生命は尊いなどと謂ふ勿れ!正しく尊い生命なれど!
 

○  東京の姉に助けを求めるもリモート介護はさすがに出来ない  (広島市)堀真希

 七席。
 高齢者の母と同居している妹から母の介護の手助けを求められた「東京」在住の姉!
 その姉がいくら気丈で元気だからと言っても、広島と東京都の間の距離差を以てしては、さすがに手助けは出来ないのである!
 この際、この難問のより現実的にして具体的な解決法を、私・鳥羽散歩が提示しますと、東京の姉と広島の妹との双方が案分のお金を出し合って、両者の中間の何処か!
 例えば、和歌山県辺りの介護施設に母親の介護方を依頼すれば、万事解決するのかと思われますが、それでは駄目なのかしら?
     鳥羽さんは横から出て来てバカを言う!娘としての気持ちの問題!
     札束で解決するのは容易いが娘としての気持ちは如何?
 

○  わが棺を蓋いてのちに人生の感想戦をしたきものなり  (八尾市)水野一也

 八席。
 時ならぬ将棋ブーム、藤井聡太ブームに沸く、借金塗れのコロナ大国ニッポン!
 そう言えば「感想戦」なんちゅう珍奇な言葉もいつの間にか一般化してしまいましたね!
     棺桶に両足突つ込み死んだのち誰を相手の感想戦だ!


○  月曜は曲がり角までおむかえにきてと言う子の駈けてくる夏  (奈良市)山添聖子

 九席。
 週の初めの月曜日から、あの「曲がり角までおむかえ」に行ってたら、子供はなかなか親離れをしません!
 ママから見れば、いくら可愛いからと言っても、山添そうすけ君は小学校一年生なんですよ!
 しかも、集団登下校の一員なんですよ!
 もしかしたら、ママの聖子さんの方が<子離れ>出来ないのではありませんか?
     親離れ出来ぬ我が子を歌に詠む令和二年の教育ママゴン!


○  コロナてふ自動車走る昭和あり新型コロナ発売待ちし  (福岡市)前原善之

 末席。
 「コロナ」は、トヨタ自動車が1957(昭和32)年から2001年(平成13)年までの44年間生産し販売していた、モデル11代の歴史を持つ小型乗用車であり、ボディタイプはセダンが基本で、タクシーにも採用されました。
 コロナはサラリーマンの所得がどんどんあがり、高速道路が整備されたことで訪れた60年代のマイカーブームに爆発的にヒットし、国内販売台数1位を記録したこともありますし、その後も大衆車、ファミリーセダンとして安定した人気を博したコロナは、実は海外で初めて販売されたトヨタ車です。
 1960年代から1970年代、コロナの競合車種は日産自動車のダットサン・ブルーバードでありました。
 このブルーバードとコロナが繰り広げた熾烈な販売合戦が「BC戦争」と呼ばれるものであり、トヨタ自動車は勿論のこと、日本の自動車業界全体にとって、コロナは欠かすことのできなかった愛すべき名車といえるでしょう。
 コロナなくして、トヨタ自動車の、否、日本の自動車の歴史は語れません。
 福岡市にお住いの本作の作者・前原善之さんは、その昭和の名車・コロナの新型が発売されるのを心待ちにしていた過去を持つ、カーマニアなのでありましょう。
     日産のブルーバードが好きだつた!トヨタのコロナは大嫌いだつた!

今週の「朝日歌壇」より(2020/8/23掲載) 象潟や今は昔の名を捨てて「にかほ市」などと成り果てにけり!  普段から火遊び慣れし子らにして大人になれば不倫もしなむ!  明け方に失語症病む妻の手が吾のハジャマの釦を外す!  アベちやんに<Go To トラブル>嗾けた小池都知事と官房長官!  鵙の巣に托卵された郭公は鵙の雛より早く巣立ちす!  ほぼ家で過ごしたからに来春は覚悟の上の就職浪人!  ハローならぬ「村のアイドル・春男くん!」いつも元気でハローと挨拶!  石塚くん!二十歳過ぎればただの人!彼の頭の七割は<性>!  エクレアが好きで2個2個否3個!食べてニコニコ笑う妹!

     高野公彦選

○  誕生日祝う歌声ハミングでロウソク8本団扇で消した  (草加市)大原悦子

 首席。
 「コロナ禍のもと、そっと行う誕生パーティー。火は息で消さずに団扇で」とは、選者・高野氏の寸評。
 ロウソク8本を団扇で消したなんて、それはそれはお手柄でした!
 でも、団扇で消したりすると、お部屋のカーテンなどに炎が飛んで行き、大火になったりする怖れがありますから、子供の火遊びは禁物です。
      通常は息を吹きかけ消すべきを団扇で消したお孫さんかも!
      普段から火遊び慣れし子らにして大人になれば不倫もしなむ!


○  蕉翁も嘆きてあらん最上川さみだれあつめ暴れ川となる  (下野市)若島安子

 次席。
 「芭蕉の名句を踏まえ、最上川の洪水災害を詠む」とは、選者・高野氏の寸評。

 尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。都にも折〃かよひてさすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
          涼しさを我宿にしてねまる也
          這出よかひやが下のひきの声
          まゆはきを俤にして紅粉の花
          蠶飼する人は古代のすがた哉  曾良
 山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にて、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすすむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巖を重て山とし、松柏年旧土石老て苔滑に、岩上の院〃扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
          閑さや岩にしみ入蝉の声
 最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければとわりなき一巻残しぬ。このたびの風流爰に至れり。最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。こてんはやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをやいな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
          五月雨をあつめて早し最上川
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊にをゐて誹諧興行。
          有難や雪をかほらす南谷
 五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里山の神社と有。書写、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。出羽といへるも鳥の毛羽を此国の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山湯殿を合て三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にしてめで度御山と謂つべし。
 八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道ひかれて、雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に□れば、日没て月顕る。笹を鋪篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば湯殿に下る。谷の傍に鍛治小屋と云有。此国の鍛治、霊水を撰て爰に潔斉して劔を打、終月山と銘を切て世に賞せらる。彼龍泉に剣を淬とかや。干将莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の哥の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍利の需に依て、三山順礼の句〃短冊に書。
          涼しさやほの三か月の羽黒山
          雲の峯幾つ崩て月の山
          語られぬ湯殿にぬらす袂かな
          湯殿山銭ふむ道の泪かな  曾良
 羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
          あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
          暑き日を海にいれたり最上川
 江山水陸の風光数を尽して今象潟に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて、其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して、雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて雨の晴を待。其朝、天能霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり。神功后宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。比處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関路をかぎり、東に堤を築て秋田にかよふ道遥に、海北にかまえて浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
          象潟や雨に西施がねぶの花
          汐越や鶴はぎぬれて海涼し
 祭礼
          象潟や料理何くふ神祭  曾良
 みのゝ国の商人低耳
          蜑の家や戸板を敷て夕涼
 岩上に雎鳩の巣をみる
          波こえぬ契ありてやみさごの巣  曾良 

     象潟や今は昔の名を捨てて「にかほ市」などと成り果てにけり! 


○  明け方に認知症病む夫の手が吾のふとんを掛けくれるなり  (高槻市)竹中史子

 三席。
 「病んでも優しい夫」との、選者・高野氏の寸評には失笑を禁じ得ません。
     明け方に失語症病む妻の手が吾のハジャマの釦を外す!


○  四連休ダブルバインドに戸惑へり外出控へよ旅行には行け  (長野県)小林正人

 四席。 
 フリー百科事典『ウイキペディア』の記するところに拠ると、「ダブルバインド(英: Double bind)とは、ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること」を指して云うとか!
     アベちやんに<Go To トラブル>嗾けた小池都知事と官房長官!


○  何日も子を置き去りに巣を空ける生き物ありや人間以外に  (横浜市)毛涯明子

 五席。
 「托卵」という遣り方もありますから、「何日も子を置き去りに巣を空ける生き物ありや人間以外に」などと一概に言えません!
     鵙の巣に托卵された郭公は鵙の雛より早く巣立ちす!


○  ほぼ家で過ごす4回生の夏 友達もみな「慣れたよ」と言う  (富山市)松田梨子

 六席。
 ところで、就活の件は如何相成っているのでありましょうか?
     ほぼ家で過ごしたからに来春は覚悟の上の就職浪人!


○  部活動休止のかくも長ければダイヤモンドは草地に還る  (横浜市)白鳥孝雄

 七席。
 入場者定員が5000名のところを3000名足らずの試合も在ったりするのである。
     阪神が斯くも弱くて甲子園!元の草地に還るのである!


○  見つからぬ職を探して今日も行くハローワークのハローの軽さ  (東京都)平井節子

 八席。
 「ハロー」とは、「<こんにちは!>、<もしもし!>といった意味での英語の挨拶の言葉」てあり、本作の作者・平井節子さんが仰るが如く「軽さ」が持ち味の挨拶語である。
 「ハロー」は花王の歯磨剤と歯ブラシの登録商標であり、<ガードハロー>や<ハローハブラシ>などとして使われている。
 また、「ハロー!プロジェクトは、<アップフロントプロモーション>をはじめとするアップフロントグループ系列の芸能事務所に所属する女性アイドルグループ・女性タレントの総称であり、過去には松浦亜弥、後藤真希なども所属していた。
 「花王のハロー」にしろ、「ハロー!プロジェクト」にしろ。「ハロー」という挨拶語の軽さに着目してのネーミングでありましょう。
     ハローならぬ「村のアイドル・春男くん!」いつも元気でハローと挨拶!

 
○  2波が来た東京のパパは帰れないぼくの頭の半分はパパ  (藤枝市)石塚文人

 九席。
 「石塚さんは小4」と寸評に在り!
 「ぼくの頭の半分はパパ」とは、簡にして要を得たる表現である。
     小4で「2波襲来」と判るなんて天才かもね石塚君は!
     石塚くん!二十歳過ぎればただの人!彼の頭の七割方<性>!


○  妹の口のまわりはネコのひげエクレア食べてにこにこしてる  (向日市)望月和奏

 末席。
 「望月さんは小3」と寸評に見ゆ!
     エクレアが好きで2個2個否3個食べて!ニコニコ笑う妹!
     妹は小3だからエクレアを毎日3個食べて宜しい!

今週の「朝日歌壇」より(2020/8/23掲載)  ゴッホ描く『馬鈴薯を掘る二人の農婦』!『オランダはみどり』貧しい緑!  球磨川の七月豪雨を切つ掛けに波紋広がる治水対策!  いつもより空いた小樽行き列車から「鰊御殿」が見えるだろうか?  四月から店で働く谷ちやんはGRUのスパイなのかも!  テーマこそ深刻なれど『黒き雨』本質的にはエンタメなのだ!  クレイダーマン聴くなんて苦々し!浪花節でも聴いて居なさい!  宇陀に棲み女人高野の石楠花を詠まぬ作者は偏屈者だ!  君が遣れ!僕は遣れない殺せない!ニワトリだつて生きる権利が!  怨念を込めて編んだるセーターで山本寛斎ブランド紛ひ!

     佐佐木幸綱選

○  時を経て『オランダはみどり』を読み返す靖子の歌集命の歌集  (本庄市)中川郁江

 首席。
 選者・佐佐木幸綱氏の曰く、「安楽死が合法化されているオランダでネーダーコールン靖子さんが日本人では早く安楽死を選択したのは一九九七年だった」と。
 歌集『オランダはみどり』の著者「ネーダーコールン靖子は、福岡県宗像市生まれ。宮崎大学教育学部を卒業後、1972年にオランダに渡り、ロブ・ネーダーコールンと結婚。1979年からアムテスルダム日本人学校の音楽教師に就く。1982年<オランダ歌句会>が結成され、朝日歌壇に投稿を始める。1992年に甲状腺ガンの転移再発で手術を受けるが、回復の見込みが絶たれ安楽死を希望。同年9月17日永眠。享年52歳」との事。
        ゴッホ描く『馬鈴薯を掘る二人の農婦』!『オランダはみどり』貧しい緑!

     座すことの叶う日ふたたび来ることを祈りて入りし三たびのオペ室  ネーダーコールン靖子
     何を流して欲しいかと息子の吾に聞く音楽のことらし吾が葬送の
     吾が裡に裁ちたき布あり還るべき故のなければ天の羽衣
     否定することなく生きたる青春の置き土産なり孤独というは
     ミルクなど買い来たる朝この程度の健康ください明日もと祈る
     吾が胸に長き黒髪あずけくるわが娘の秋の哀しみ深く  


○  四月から店で働く谷ちゃんのマスクの下の素顔は知らず  (伊勢原市)丸山貴

 次席。
 選者・佐佐木氏の寸評に曰く、「四月から会っているのに一度も素顔を見たことがないという嘘のような人間関係」と。
 「マスクの下の素顔は知らず」とは、誇張しての表現でありましょう。
 ところで、件の「谷ちゃん」とは何者なのかな?
 下手すると、夜中にお店の金庫を破って、納税する為に横浜銀行伊勢原支店から融資された<現金・2000000円>を拐帯して逃走するかも知れませんよ!
     四月から店で働く谷ちやんが何故か外さぬアベノマスクを!
     四月から店で働く谷ちやんに秘密あるらし素顔を見せぬ!
     四月から店で働く谷ちやんに殴打されたり店長・吾は!
     四月から店で働く谷ちやんはGRUのスパイなのかも!


○  いつもより空きたる列車の小樽行き対岸の風車くっきりと見ゆ  (札幌市)伊藤哲

 三席。
 東京や横浜などの本州からの観光客がほとんどいないという事ですから、新千歳空港発・札幌経由小樽行きの「快速エアポート」はガラ空きなのかも知れません!
     「いつもより空きたる」どころかガラ空きで途中駅での乗降客無し!
     いつもより空いた列車の小樽行き銭函駅で下車をしようか!
     いつもより空いた小樽行き列車から「鰊御殿」が見えるだろうか?


○  濁流が川幅拡げ散歩道消えゆくさまを見る橋の上  (中津市)瀬口美子

 四席。
 中津市にお住いの瀬口美子さんは、この度の豪雨禍の折りに半世紀に一度しか見られない珍しい風景に出会ったんですね!
 本作の表現からも読み取れますが、この度、瀬口美子さんが出会われた光景は、往年のテレビドラマ『岸辺のアルバム』に描かれた、1974年9月2日に多摩川の堤防が決壊して19棟の家屋が崩壊・流出した光景さながらのものでありましょう。
      逼り来る濁流に屋根やアンテナにしがみ付き助けを求む!
      球磨川の七月豪雨を切つ掛けに波紋広がる治水対策!
      濁流で堤防二箇所決壊し八千草薫不倫に悩む!
      多摩川の堤防二箇所決壊し一家離散の憂き目に遭ひぬ!


○  村じゅうがタバコ栽培に明け暮れしむかし顕ち来る ふかき朝霧  (神栖市)山上ふみ子

 五席。
 「村じゅうがタバコ栽培に明け暮れしむかし」が、確かに我が国の農山村でもありました!
 でも、それはあくまでも昔物語であり、今となっては、喫煙者は極道扱いですからね!
     村じゆうの若者たちが都会へと憧れ出でて今も帰らず!


○  『黒き雨』よりも『荻窪風土記』がほんとうは好き今日鱒二の忌  (水戸市)中原千絵子

 六席。
 「『黒き雨』よりも『荻窪風土記』がほんとうは好き」!
 是って、本当に実感の籠もった表現ではありませんか!
 『黒き雨』は、テーマはともかくとして、言わば井伏流の<エンターテインメント>であって、井伏文学の本流に位置するものではありません!
 井伏文学の本流は『荻窪風土記』以外の何物でもありません!
     テーマこそ深刻なれど『黒き雨』本質的にはエンタメなのだ!


○  コロナ禍にかぶさり霖雨のにがにがしクレイダーマン聴いてねむらう  (防府市)藤田淳子

 七席。
 田舎者のくせしてカッコ付けちゃって!
     クレイダーマン聴くなんて苦々し!浪花節でも聴いて居なさい!


○  くすみたる紫陽花垂れる名刹に今朝も変はらぬ勤行の声  (宇陀市)池永肇志

 八席。
 奈良県宇陀市の名刹と云えば、人も知る<女人高野の室生寺>でありましょうが、室生寺を象徴する花は石楠花であり紫陽花ではありません。
 でも、室生寺の嵤域はあの通りの広さですから、あの古刹の何処かに紫陽花の一株や二株は咲いているに違いありません。
 でも、でも、「今朝も変らぬ勤行の声」という本作の下の二句に留意すると、件の「くすみたる紫陽花垂れる名刹」とは、室生寺以外の寺!
 室生寺と比較にならない程の小さくて無名の寺!
 拝観料などは払わずに境内にずかずかと入って行けるような寺なのかも知れません!
 否、否、定めしそうであるに違いありません!
     宇陀に棲み女人高野の石楠花を詠まぬ作者は偏屈者だ!



○  君がやれ僕はやらない夫が言うニワトリ丸ごと送られてきて  (北海道)森起美恵

 九席。
 いくら北海道でも「ニワトリ」を「丸ごと」送って来る「君の」の実家の方に無理があるので、「夫」をきつく責めないで欲しい!
     君が遣れ!僕は遣れない殺せない!ニワトリだつて生きる権利が!
     鶏の生殺与奪の権能を振るふ蝦夷地の森起美恵さん!


○  セーターに希望も編みき内職のあの虹色は寛斎のいろ  (成田市)鈴木喜代子

 末席。
 フリー百科事典『ウィキペディア』の記するところに拠ると、「山本寛斎(1944年2月8日- 2020年7月21日)」は、「日本のファッションデザイナーのイベントプロデューサーである。寛斎スーパースタジオ会長。太田プロダクション所属。通名で、やまもと寛斎と表記することもある。神奈川県横浜市生まれ。岐阜県立岐阜工業高等学校を経て、日本大学文理学部英文科中退。1971年、日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催したことでも知られる[3]。このロンドンのショーがデビューとなり、1974年にパリコレクション、1979年にはニューヨークコレクションに参加。フランス・パリ、イタリア・ミラノ、米国・ニューヨーク、スペイン・マドリードなど世界各地の主要都市に「ブティック寛斎」を出店しファッションデザイナーとしての地位を確立した。ほかにタレントや俳優としての活動や、観光立国懇談会(VISIT JAPAN)、2005年<日・EU市民交流年海外事業>など、各種日本政府諮問事業の委員なども務めた。幼少期に両親が離婚、3人兄弟で父方に引き取られ高知県に移る。しかし父親の育児放棄により児童相談所に収容される。その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた岐阜市に落ち着く。この間、高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになった。そのうちに中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシンを踏むようになり、のちにお針子を目指すようになった。そのきっかけとなったのが、映画『太陽がいっぱい』のファッションセンスに惹かれたからであった。 また、応援団長となり、さまざまな応援の振り付けを考えるようになった。高校へ通う折、建築科に通いたかったもののその学校にはなく、建築科と課程が同じだろうと思って土木建築科に通った。[ 実際に通ってみると、建築の基礎となる土木工事に関するものが中心とする課程で、かつ現場では賄いのおばさんしかいなかったので、挫折する経験をした。ある時、電信棒に貼ってあった第2回日本アマチュアシャンソンコンクールのポスターを見て、これに応募。[3]オクターブ違いの「愛の讃歌」で出場するも結果は鐘一つだった。この時の優勝者が加藤登紀子で、のちに所属事務所との縁で彼女と一緒に仕事することになり、『あの時寛斎さんが受からなくてよかったね。だから今、私たちの舞台に来て、挨拶ができるようになりました』と感謝されており、以後親しい友人となっている。大学進学のため、上京。横浜で洋裁教室をしていた実母と再会し、ここで装苑賞の存在を知り応募に至る。その後コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いた後、1971年に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立した。同年、ロンドンで、日本人初となるコレクション 『Kansai in London』を実施した。1973年には、デビッド・ボウイのステージ衣装も手がけ、1975年にはパリで既製服のコレクションを発表した。また、山本は2010年に開業した日本の京成電鉄・成田スカイアクセスの新AE形の車輌デザインを担当したが、車体色の選定は候補の7色を直接車両に塗って行ったという。2020年3月31日、急性骨髄性白血病との診断を受け治療中であることを公表した[9]。同年7月21日、急性骨髄性白血病により死去した。76歳だった。娘・山本未來が『父、山本寛齋は去る7月21日、私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました』と報告した。異母弟は俳優の伊勢谷友介。32歳年下であり、娘で女優の山本未来よりも2歳年下である。複雑な家庭環境であり、原因は父親にあった。自由奔放で女性関係にだらしなく、何度も育児放棄された。時にはまだ中学生の山本に店を任せたまま女性の元へ走った。山本は寂しく辛い思いを経験したため「父のような男にはならない。結婚したら妻と子供を命懸けで守る。」と決めていた。娘の未来が誕生した際に、デザイナーとして挫折を経験し、貧しい生活の頃であったため、希望を託す意味で「未来」と名付けた。また、娘の未来を溺愛しており、結婚式では娘だけではなく、(娘婿であった)椎名桔平の衣装もデザインしており、かつ結婚式のプロデューサーを務めた。<歌舞く>をテーマにした独特な衣装を手掛けており、洋服ながら着物のような柄を取り入れたり、仏像から影響を受けた立体感のある服をデザインしている。筆で習字のように描いたデザインも特徴の1つであり、世界各国での人気も高い。独特な衣装が多いが、一般に販売される服は一色だけで纏めたシンプルなデザインのカクテルドレスなども販売されている」との事である。
     怨念を込めて編んだるセーターで山本寛斎ブランド紛ひ!
     そうと信じて編んだのに寛斎の紛ひ物とは信じらんない!

今週の「朝日歌壇」より(2020/8/23掲載)  尿失禁・勃起障害のリスクをも緩和するとふダヴィンチ手術!  アルバムを焼却すれば戦争が消滅するとは限らぬだらう!  安倍さんの後釜に取り入らむとし身震ひをせる陣笠議員!  シガラミを全て断ち切り新機軸打ち出すべきだ!松田わこさん!  「さいたま市桜環境センター」に直に持ち込み焼却すべし!  市民にはそれぞれ二本の足あれど客足伸びぬ松山三越!  若き日の鳥海山の羚羊の吾も早晩特養入りか?  嘴太の一番鴉の鳴き声に耳を澄まして待つ釈放の日!  郭公も托卵くらいはするけれど虐待放置はしないと思ふ!

     馬場あき子選

○  前立腺癌の吾のオペをロボットのダビンチと医師がタグ組んで終える  (いわき市)守岡和之

 首席。
 「今日の先端医療の体験者の感慨。結句に用いた<終える>に安堵と感嘆の思いがこもる」とは、選者・馬場氏の寸評。
 「ダヴィンチは、手術を<支援>するために開発されたロボットです。ロボットというと、<医師の代わりに手術を行ってくれる>というイメージがありますが、実際は、医師が操作して動かします。医師の意図通りに正確に手術を行う。それがダヴィンチの役割です。ダヴィンチを使用すると、拡大した視野の下で操作を行えるため、人の手よりも正確で細かい動きが可能です。そのため、従来の手術よりも出血量を減らせます。また、手術後の機能温存が期待できるというメリットもあります。前立腺癌の手術には、手術後に尿失禁や性機能障害(勃起障害)のリスクがあるのですが、ダヴィンチ治療では、そのリスクを下げ、機能を温存することが期待できるのです。ダヴィンチが支援するのは<腹腔鏡手術>です。そのために必要な3つの装置がセットになっています。一つ目の装置は、医師が操作するロボットアームがある<ペイシャントカート>です。二つ目は、医師が着席して操作を行う<サージョンコンソール>。三つ目は手術をサポートするスタッフのためのモニターがついた<ビジョンカート>です。<腹腔鏡手術>は、従来のお腹を開けて行う手術<開腹手術>とは異なります。お腹に数カ所の小さな穴を開け、そこから内視鏡や鉗子、カメラを入れて手術を行います。そのため<開腹手術>と比べると傷が小さく、入院期間も短いなどのメリットがあります。ダヴィンチは、この<腹腔鏡手術>を支援する装置です」とのことである。
 ところで、「手術支援ロボット<ダビンチ>を使った内視鏡手術に対する健康保険の適用範囲が2018年4月から一気に広がる。これまでは、前立腺癌と腎臓癌の手術だけだったが、新たに、胃癌や肺癌といった患者の多い病気の手術を含む12件が適用対象として承認されたため。心臓外科分野の弁膜症患者に対する僧帽弁形成術がその中に入ったのも注目点の一つだ。『今回、心臓の弁形成術にも保険が認められたのにはびっくりしました』。金沢大医学部教授時代の2005年、国内で初めてダヴィンチを使った心臓手術(冠動脈バイパス術)を手掛けた日本ロボット外科学会理事長の渡邊剛ニューハート・ワタナベ国際病院総長は、驚きと喜びを隠さない。ダヴィンチは米国で開発され、1999年に販売が始まった。最新機器は第4世代だ。手術する医師は患者から離れて座り、内視鏡の3次元(3D)画像をモニター上で見ながら、ロボットアームの先に付けた鉗子などを遠隔操作する。手ぶれの補正機能も付き、習熟すれば精緻な操作が可能だ。厚生労働省によると、国内の医療機関には昨年9月時点で約250台普及している。今、最も利用されているのは前立腺がんの手術だ。保険が使えるようになった時期も2012年度と一番早い。『もともとは心臓の冠動脈バイパス術のために開発したと開発者が話しているが、今、世界で最も多いのは前立腺や婦人科の手術。場所が骨盤の奥なので、既存の内視鏡手術だと難しいが、ダヴィンチによって、より安全にできるようになった』と渡邊総長は説明する。日本ロボット外科学会によると、泌尿器科でのダヴィンチ手術件数は15年に年間1万件を突破。『前立腺全摘術ではほぼ100%ロボットを使う』という病院も増え、先に普及した米国の後を追うように、前立腺癌手術の標準的な術式になってきた。16年度には、腎臓癌の部分切除術にも保険が認められた。既存の内視鏡手術よりも<根治性、腎機能温存の面で良好な結果が得られた>として承認された。今回、18年度の診療報酬改定に合わせて保険適用が認められた12件は、胃癌や食道癌、大腸癌といった消化器外科から、肺癌などの胸部外科、子宮体癌、膀胱癌のような婦人科・泌尿器科、心臓外科まで幅広い領域にわたる。心臓外科では、冠動脈吻合(ふんごう)術は今回の保険の対象にはならないものの、『最もロボットが得意』と渡邊総長が話す心臓弁膜症の僧帽弁形成術や三尖弁形成術に保険が使えるようになる。そして社会復帰できる―。一般にダヴィンチ手術のメリットとして強調されるのは、さまざまな意味で患者の負担が軽くなる手術の<低侵襲化>だ。医師の立場からは、既存の内視鏡手術と比べて内視鏡の操作性が高い、手術箇所の立体的な視野が得られる、座ったまま手術できるので負担が軽減される、といった利点が挙げられる。一方で、医師の手先に鉗子の感触が伝わらないという<弱点>を指摘する声もある。いずれにせよ、安全性の担保は医師らの技術習熟が大前提となり、緊急時に開胸・開腹手術に移行する態勢を取れることなど、実施できる術者・手術チームや施設の基準も定められている。心臓外科でダヴィンチ手術を実施している医療機関は今のところ、ごく一部だ。渡邊総長は、保険適用を受けた今後の普及について『胃癌と大腸癌は多くの施設がダビンチ手術の実施に向けて手を挙げており、急拡大する可能性があるのに対し、心臓の弁形成術はスタート時点で実施できる医療機関は限られ、ゆっくり広がっていく』との見方を示す。渡邊総長らのチームは、これまで450人以上の患者にダビンチ手術を行ってきた。2月時点で集計・公表された446件の手術の内訳をみると、最も多いのが今回、保険が使えるようになる僧帽弁形成術の187件だった。僧帽弁形成術は、左心房と左心室の間にある僧帽弁の閉まりが悪くなり、血液の逆流が起きる「僧帽弁閉鎖不全症」などが対象。進行すると心不全につながる怖い病気で、高齢化の中で患者が増えている。厚労省医療課によると、ダヴィンチ手術への保険適用に際し、前立腺癌や腎臓癌は既存技術と比べた<優越性>を認められたのに対し、今回の12件は<既存の技術と同程度>との判断が承認の根拠になった。その背景には『保険が認められないと、ダヴィンチ手術の高額な費用がネックとなって症例数が増えず、<優越性>についての科学的根拠を確立するのも難しい』という議論もあったという。今後も有効性や安全性の検証を積み重ねていく必要がある。心臓手術の費用は、術式や入院日数などさまざまな要因によって異なるが、病院によって1件当たり300万円から1000万円までさまざまだという。保険による患者負担の大幅な軽減で、ロボット支援手術の普及にどこまで拍車がかかるかが注目される」との事である。
     尿失禁・勃起障害のリスクをも緩和するとふダヴィンチ手術!


○  アルバムに軍服の父ある限り戦争はまだ生きているなり  (大和市)二界友里子

 次席。
 「<軍服の父>、今日からみれば異様な感がある服装の父。戦争とは何だッたかを思うのであろう」とは、選者・馬場氏の寸評。
 「アルバムに軍服の父ある限り戦争はまだ生きている」とは、神奈川県大和市にお住いの本作の作者・二界友里子さんなりの<戦争観>でありましょうが、「生物が存在する限り戦争は無くならない」とするのは、私・鳥羽散歩の<戦争観>である。
     アルバムを焼却すれば戦争が消滅するとは限らぬだらう!


○  暁に殻脱ぎすてし蟬ひとつ世に出るものの身ぶるいを見す  (仙台市)沼沢修

 三席。
 政治家や芸能人や芸術家や詐欺師といった著名人みのならず、「蟬」もまた「世に出るものの」一つであり、「世に出るもの」が世を出ようとする時は「身ぶるい」を見せるのでありましょう。
     安倍さんの後釜として世に出むと身震ひをせり菅官房長官!
     安倍さんに禅定せられ世に出むと身震ひをせり岸田政調会長!
     安倍さんの後釜に取り入らむとし身震ひをせる陣笠議員!
     


○  スティックが弾くパックの音響くアイスリンクの熱い青春  (富山市)松田わこ

 四席。
 アイスホッケーの試合に取材した作品かと思われるが、私は寡聞にして、本作の作者・松田わこさんがお住いの富山県内でアイスホッケーの試合が行われた、という情報に接したことがありませんから、本作が、アイスホッケーが現実に行われている「アイスリンク」での実見体験に基づいての作品であるか否かに就いては、確かな事は判りません。
 本作の作者・松田わこさんは、これまでは、ご自身や実姉・梨子さんの動向を主とした、家庭内のあれこれに取材した作品を多く詠み、彼女のそうした傾向の作品は、朝日歌壇の四選者から高く評価されて来たのであるが、作者自身の気持ちとしては、其処に何か満ち足りないような何かが感じられていたのかも知れません?
 本作は、そうした松田わこさんが、自らを拘束して来たシガラミを断ち切り、己が歌風に新機軸を打ち出そうとする意欲を見せようと試みた作品のようにも思われますが、皮相的な見方をすれば、こうした傾向の作品は、才女・松田わこさんの行く手に仕掛けられた陥穽なのかも知れません?
     シガラミを全て断ち切り新機軸打ち出すべきだ!松田わこさん!


○  亡妻の衣類ビニール袋に十三箇所定の場所にゴミとして出す  (さいたま市)石塚義夫

 六席。
 「所定の場所にゴミとして出す」という、下の二句に万感の思いが込められた一首である。
     「さいたま市桜環境センター」に直に持ち込み焼却すべし!
     「バイセル」に通話料無料の電話して安心価格で売却しなさい!


○  客足は伸びねど一応客足のありて早朝子は出勤す  (松山市)宇都宮朋子

 七席。
 作者のお気持ちは充分に解りますが、「客足は伸びねど一応客足のありて」という、曲折した表現には、問題無しとしません。
 人数はともかくとして、お店に訪れる買い物客の方々には、それぞれ二本ずつの足がありますから、その点を見て取っての「一応客足の在りて」なのでありましょうか?(などと、冗談交じりの皮肉を言いたくなりました!)
     市民にはそれぞれ二本の足あれど客足伸びぬ松山三越!


○  若き日の短距離走者特養の白きズックを母は愛せり  (佐渡市)小林俊之

 八席。
 「若き日の短距離走者」の御母堂様も「特養」で暮らす身の上となってしまっては、哀れなる事この上なしでありましょう。
 その御母堂様が<陸上スパイク>ならぬ「白きズック」を「愛せり」とは、聞くも涙の物語でありましょうが、でも、<白きスニーカー>など言ってカッコ付けたりしないで、「白きズック」とした点が、せめてもの救いでありましょう。
     若き日の鳥海山の羚羊の吾も早晩特養入りか?


○  案外に澄む声を出す嘴太の一番鴉獄舎の夜明け  (ひたちなか市)十亀弘史

 九席。
 満期出所も間近に迫ってると聴いて居りますが、本作の作者の十亀弘史さんは、相も変わらず水戸刑務所の獄舎の中で、件の「嘴太の一番鴉」の鳴き声に耳を澄ましていらっしゃるのでありましょうか?
     嘴太の一番鴉の鳴き声に耳を澄まして待つ釈放の日!


○  托卵を終えて葦原サッと発つ郭公一羽何食わぬ顔  (五所川原市)戸沢大二郎

 末席。
 「何食わぬ顔」が、「托卵」を事とする「郭公」にとてもとても相応しい感じがして、とてもとても宜しいではありませんか!
     郭公も托卵くらいはするけれど虐待放置はしないと思う!

今週の「朝日俳壇」より(2020/8/23掲載)

     高山れおな選

○   クーラーの中の静かな心かな  (横浜市)込山正一

 首席。 
 「冷房機の擬人化だろう。粛々と風を吹き出す<静かな心>」とは、選者・高山氏の寸評。
 折りが折りだけに我が部屋に「粛々と風を吹き出す<クーラーの中の静かな心>」には、いくら感謝しても感謝し切れるものではありません!
     クーラーの中の静かな心こそ部屋の熱さを冷まして呉れる!


○   蟻の列木橋の裏側へまはる  (東京都)望月清彦

 次席。
 「小さな意外性の面白さ」とは、選者・高山氏の寸評。
 掲句の作者の望月清彦さんは、「蟻の列」は「木橋」の表面を渡って向こう側に在る蟻の巣に入って行くに違いない、と思っていたのであったが、彼の予想に反して、蟻の列は木橋の表面を渡ることなく、裏側にまわって行ったのでありました!
 もしかしたら、蟻たちはただ単に己が巣に蚯蚓の死骸を運ぶだけではなく、遠回りをすることに由って、自らの運搬能力を高めようとしていたのかも知れません!
 だとしたら、是は「小さな意外性の面白さ」どころでは無くて、「途轍もなく大きな発見」なのである。
     蟻たちは木橋の表面渡らずに裏側渡つて蚯蚓を運ぶ!


○   蜂の巣の修羅の巷を観て飽かず  (洲本市)高田菲路

 三席。
 「無我夢中の蜂たち、見入る人も夢中だ」とは、選者・高山氏の寸評。
 「蜂の巣」が「修羅の巷」に例えられるものならば、「昨年七月の参院選広島選挙区をめぐる買収事件で、公職選挙法違反の罪に問われた前法相で衆院議員の河合克行被告(57)と妻で参院議員の杏里被告(46)」の昨日から東京地裁(高橋康明裁判長)で行われている初公判の場での胸中は、一体全体、何に例えたら宜しいのでありましょうか?
 また、近々に迫った安倍晋三総理大臣退陣を前にしての有象無象の輩の胸中なども何に例えたら宜しいのでありましょうか?
     蜂の巣をつつくような騒ぎにて有象無象の輩の去就!


○   羅や長寿の耳にマスクかけ  (東京都)竹内宗一郎

 五席。
       うすもののみえすく嘘をつきにけり  久保田万太郎
       羅の折目たしかに着たりけり  日野草城
       羅を着て月光に逆らへり  齋藤愼爾
       羅の喪服北鎌倉に降り  松本進
       羅に汗さへ見せぬ女かな  高浜年尾
       羅のおゐどに二枚足の裏  茨木和生
       羅の肩にひとすぢ折目かな  長谷川櫂
       羅やところどころの糸太く  長谷川櫂
       羅をゆるやかに著て崩れざる  松本たかし
       羅を着ても子供にまつはられ  波多野爽波
       うすものや司法解剖跡見えず  荻田恭三
       羅や語らひて知るひとの数寄  荒井正隆
       うすものの僧の啣へし銀煙管  佐川広治
       羅を着て祗王寺に用のあり  後藤比奈夫
       迎火を焚いて誰待つ絽の羽織  夏目漱石
       絽の喪服涙通さむばかりにて  草間時彦
       うすものに風あつまりて葬了る  長谷川双魚
       うすもののひとを攫ひし夜風かな  岸田稚魚
       羅の人すんなりと寺に入る  波多野爽波
       羅や形見ともなく着る淋し  長谷川零餘子
       羅の胸に懐紙の透き見ゆる  高浜虚子
       羅に螢のやうな子を宿し  眞鍋呉夫
       羅や子をなさざりし身をつつみ  貞吉直子
       羅の端坐みづうみよりしづか  ほんだゆき
       羅や欲捨ててより生き易き  古賀まり子
       翅たたむごと羅をたたみけり  平井千代子
       うすものの透けて回転ドアのなか  中村祐子
       被てみたきもの羅の緋の僧衣  正木ゆう子
       羅を着ていちにちを虚に徹す  平井さち子
       羅の亡き師に近くある日かな  野澤節子
       羅を著て見すかさる思ひあり  森カヅ子
       羅に恙を堪へて生きにけり  高橋淡路女
       なすことも派手羅の柄も派手  杉原竹女
       羅ぬぐ纏ひし闇を脱ぐやうに  野澤節子
       四面楚歌羅に身を透かせゐて  毛塚静枝
       羅の袂に触れし女鹿かな  阿部みどり女
       羅を花のごとくにたたみけり  岡田幸子
       羅の痩身の意志かがやかす  柴田白葉女
       羅の寂びさながらに生かされて  原俊子
       うすものの袂長くも人送る  文挟夫佐恵
       羅の大きな紋でありにけり  本田あふひ
       うすものの起居藻に似て廓守  熊谷愛子
       絽羽織の幇間の居る都電かな  都筑智子
       羅や細腰にして不逞なり  鈴木真砂女
       懺悔せる身を羅に包みをり  鹿喰悦子
       一周忌家紋消ぬがの羅に  赤松けい子
       羅や人悲します恋をして  鈴木真砂女
       羅や化粧してわが心閉づ  古賀まり子
       羅や花火見に立つ裾さばき  吉屋信子
       羅を着てお点前の美しく  石川梨代
       羅の躾をおろす子の喪服  三宅スミエ
       羅の二月堂僧杉間より  赤松けい子
       羅の喪服に紅き隠し紐  品川鈴子
       羅や水中深く塔揺らぎ  児玉輝代
       うすものの袖の香れり魂迎  伊藤京子
       羅に旅の著崩れ見せざりし  山田弘子
       羅に母のつけたる折目かな  影島智子
       羅に秘めた恋あり絹の糸  清水三千代
       羅に角ばりて茶の師匠くる  山辺浩子
       羅のうしろ鏡も既に寡婦  殿村菟絲子
       羅に着痩の腕通しけり  百瀬美津
       羅に包まれてゐし悲しみも  稲畑汀子
       羅に衣通る月の肌かな  杉田久女
       羅に不貞の相の美しや  吉屋信子
       羅の肩をおほへる稲光  中村汀女
       羅の裾ひるがへし不倖  岩坂三枝
       羅の女となりて旅始め  林真砂江
       羅にそひて夕透く芦の丈  野澤節子
       羅の商人通る日本橋  阿部みどり女
       羅を風がよろこぶ水の際  飯村愛子
       逢へどもう藍の羅応へなし  野澤節子
       羅や人悲します恋をして  鈴木真砂女
       羅に包みきれざる好奇心  山田弘子
       羅を裁つや乱るゝ窓の黍  杉田久女
       羅の仏下ろしに畏まる  高澤良一
       羅にすけて尼僧の香袋  椎橋清翠
       羅に天女の壁画舞ひをさむ  原裕
       羅や母とて女ざかり経し  上田五千石
       羅に女の息のかよふらく  上村占魚
       夏袴羅にしてひざ正し  高濱虚子
       羅や樓の独居雲四隣  松根東洋城
       羅のひと墓原に唄ひをり  日原傳
       羅着て大正の歌唄ひけり  津上清七
       羅を着て遠方の不幸かな  長谷川双魚
       羅を着て蜉蝣のごとくゐる  森澄雄
       羅に余命も透きて母の影  井上蒼月
       羅の膝に手を置き鬼貫忌  森澄雄
       羅に動きて見ゆれ水の色  藤井紫影
       羅の女の堕つる地獄かな  尾崎迷堂
       羅に透く鰐皮の阿弥陀経  穴井太
       うすものや白くまくんの風涼し  鳥羽散歩

今週の「朝日俳壇」より(2020/8/23掲載)  気温差に寄り添ふ町の歳末はツリーが氷り冬ほたる飛ぶ!  夕立に拾ひし俳句を見失ふ!逃がした魚はとても大きい!  豪雨止み二時間のちの出水禍は当り前田の三度笠だぜ!

     稲畑汀子選

○   雨止みて二時間経ちし出水禍に  (浜田市)田中静龍

 首席。
 「雨が止んで二時間経ってからの災害に、言葉を失った作者。人知が及ばぬ自然の怖さが描けた」とは、選者・稲畑氏の寸評。
 「人知が及ばぬ自然の怖さ」とは、安倍政権一流の逃げ口上であり、豪雨による出水は、「天災」と云うよりも凡才閣僚の政策ミスによる「人災」と云うべきではありませんか!
      豪雨止み二時間のちの出水禍は当り前田の三度笠だぜ!


○   夕立に拾ひし俳句見失ふ  (東京都)大木瞳

 四席。
 時ならぬ「夕立」に「俳句」を拾うことはよくあるが、そうして出来た俳句の大半は、数刻後には「見失ふ」のである。
     夕立に拾ひし俳句を見失ふ!逃がした魚はとても大きい!


○   標高に寄り添ふ暮し夜の秋  (京都府京丹波町)本谷眞治郎

 五席。
 掲句の作者・本谷真治郎さんがお住いの京都府船井郡京丹波町は丹波高地を控えた高地に在り、真夏の夜間の気温の低さと涼しさには定評がある。
 隣接する京都市内の気温と比較すれば、五度以上の気温差がある場合も多く、残暑最中の八月中旬でも「夜の秋」を実感できるとの事である。
      気温差に寄り添ふ町の歳末はツリーが氷り冬ほたる飛ぶ!

       中年や独語おどろく夜の秋  西東三鬼
       夜の秋木曾福島の灯の見ゆる  田中冬二
       ひとの手のつめたき記憶夜の秋  木下夕爾
       土に鳴くものとわれとの夜の秋  木下夕爾
       夜の秋や轡かけたる厩柱  飯田蛇笏
       灯の下の波がひらりと夜の秋  飯田龍太
       乙女らにひとつの鏡夜の秋  飯田龍太
       幼子のいつか手を曳き夜の秋  飯田龍太
       大木の風はたと止み夜の秋  飯田龍太
       何気なく灯に近づきて夜の秋  飯田龍太
       香奠にしるすおのが名夜の秋  飯田龍太
       妻死後を覚えし寝覚夜の秋  能村登四郎
       涼しさの肌に手を置き夜の秋  高浜虚子
       火をさつととほす肴や夜の秋  太田寛郎
       トランプのジャック振向く夜の秋  高澤良一
       サイダーのうすきかをりや夜の秋  日野草城
       うつつ寝の妻をあはれむ夜の秋  臼田亞浪
       名曲いま潮満つごとし夜の秋  楠本憲吉
       西鶴の女みな死ぬ夜の秋  長谷川かな女
       雨ならぬ葉ずれの音や夜の秋  下村梅子
       夜の秋の水は空より明るくて  文挟夫佐恵
       取り落す銀のスプーンや夜の秋  三橋迪子
       夜の秋の平家におよぶ話かな  大峯あきら
       オペラ座の裏窓ひらく夜の秋  市ヶ谷洋子
       夜の秋の吾が前うしろ隙多し  つじ加代子
       夜の秋の長き廊下を人来たる  石塚秋竹女
       右のもの左へ積みて夜の秋  小檜山繁子
       焚火して山の湖夜の秋  下村梅子
       身のうちを水の音して夜の秋 林享子
       物思ふよすがの湯浴み夜の秋  手塚美佐
       遠き灯はつねに郷愁夜の秋  柴田白葉女
       お茶碗の唐津でありし夜の秋  黒田杏子
       かくし貼る膏薬にほふ夜の秋  菖蒲あや
       海わたる魂ひとつ夜の秋  桂信子
       家ぬちの物音ばかり夜の秋  星野立子
       山風が残してゆきし夜の秋  星野椿
       地球儀の裏も人栖む夜の秋  小櫃きよ
       付下げの躾ひきぬく夜の秋  毛塚静枝
       涼しさは淋しさに似て夜の秋  藤松遊子
       夜の秋の臼をつく音誰か死ぬ  加倉井秋を
       雨だれの間遠になりぬ夜の秋  増田龍雨
       親牛に飼葉つぎたす夜の秋  宗像夕野火
       爪を切る音より夜の秋が来る  犬塚南川
       夜の秋やどうと倒るる紙角力  磯貝碧蹄館
       涼しさを添へてもの言ふ夜の秋  森澄雄
       家かげをゆく人ほそき夜の秋  臼田亞浪
       カンテラを提げ河原湯へ夜の秋  福田蓼汀
       宿はづれ急に山路や夜の秋  松本たかし
       夜の秋赤鉛筆が見当たらず  高澤良一
       カンテラを提げ河原湯へ夜の秋  福田蓼汀
       夜の秋暦に遅速ありにけり  河野南畦
       産土神の上蠍座の夜の秋  町田しげき
       花火揚がるは島の港か夜の秋  中拓夫
       河童子落月つるす夜の秋  飯田蛇笏
       桑畑の闇を風過ぐ夜の秋  河野南畦
       山荘の遠き厠や夜の秋  五十嵐播水
       霊人も愛人に似る夜の秋  攝津幸彦
       歳時記の表紙藍鉄夜の秋  高澤良一
       白き糸針に通して夜の秋  工藤義夫
       客のある山の庵の夜の秋  高浜虚子
       高原に山雨到れば夜の秋  高濱年尾
       亭に居る女一人や夜の秋  野村泊月
       通りゐる子供の声の夜の秋  森澄雄
       まろび寝の小さき母や夜の秋  福田蓼汀
       繋ぎある筏に濯ぐ夜の秋  原田青児
       脚長き銀の燭台夜の秋  櫛原希伊子
       足のある影絵の魚夜の秋  二村典子
       翻る蔓草しろし夜の秋  中村やす子
       鯛飯の鯛の骨抜く夜の秋  梶山さなゑ
       風音は数幹の竹夜の秋  阿部みどり女
       原稿紙の枡目二百に夜の秋  河合澄子
       夜の秋の鍵鎖す音を憚りぬ  西村和子
       夜の秋灯なき葭倉匂ひけり  伊藤京子
       笑はせて帰る息子や夜の秋  影島智子
       さそり座に欅が触れぬ夜の秋  及川貞
       夜の秋の鮎の歯白し皿の上  野沢節子
       手花火の香の沁むばかり夜の秋  中村汀女
       いづこへか下る石段夜の秋  千葉皓史
       風通る所に身を置く夜の秋  高澤良一
       恍惚と船を見てゐる夜の秋  佐川広治
       麦稈を音させて折る夜の秋  内藤吐天
       おほははの昔話や夜の秋  福田蓼汀
       夜の秋蹠拭けばこころ足る  永井龍男
       生恥の秋夜の厠往復す  岩田昌寿
       粥すゝる杣が胃の腑や夜の秋  原石鼎
       攻窯に残す一灯夜の秋  林十九楼
       夜は秋や雨音深き楢柏  臼田亜浪
       雄物川夜は秋涸の瀬を鳴らす  皆川白陀
       粟島に波濤打ち寄す夜の秋  鳥羽散歩
       粟島のいずみ涸れたり夜の秋  鳥羽散歩
       粟島に今も人棲む夜の秋  鳥羽散歩


○   土用芽を摘むも未来へつなぐこと  (姫路市)黒田千賀子

 六席。
 「土用芽」とは「樹木などで、夏の土用のころに二次的に伸長する芽」」の事であり、この時期に伸びた果樹などの新芽は、徒長枝となり樹形を乱したり、果物の生育の妨げとなったりするので摘むことが多い。
 従って、「土用芽を摘む」事は、正しくも「(果樹農家の経営を)未来へつなぐこと」なのである。

       土用芽の星のごとくにつらなれる  山口青邨
       どうだんの刈込み土用芽浮べたり  高濱年尾
       土用芽の手折りたくなる薄みどり  高澤良一
       土用芽の吹く盆栽を軒下に  川崎栗堂
       土用芽の赤く伸びたる楓かな  佐藤芙陽
       土用芽や天にもありし雨疲れ  大牧広
       土用芽や宙にとどまる微塵光  下村槐太
       土用芽の照りかがやきて人逝けり  佐々木六戈
       土用芽のわけてもばらは真くれなゐ  篠田悌二郎
       土用芽やたしかに生きる樹を廻る  阿部みどり女
       まぼろしや土用芽現に胸突く径  赤城さかえ
       雨の中土用芽しるき梛大樹  柿沼常子
       土用芽の伸びて気だるき昼下り  武田光子
       土用芽の伸ぶにまかせて憂しとせず  高木晴子
       色浅き土用芽風になぶらるる  品川てい
       まろまると刈り土用芽を待つ茶山  新田千鶴子
       土用芽の中の山椒の芽を摘まな  戸井田和子
       土用芽の日ぐれは紅くよみがへる  草村素子
       詩の話などせよ樟の土用芽に  榎本好宏
       人悼むこと土用芽に触るること  石田勝彦
       土用芽にうすくれなゐの走りけり  脇祥一
       土用芽につきし小さき蕾かな  高瀬初乗
       土用芽のくれなゐ赤彦歌碑の前  池上樵人
       土用芽や原爆知らぬ子の背丈  下村ひろし
       時差疲れ癒ゆ土用芽のくれなゐに  吉田明
       土用芽や手品師の引く赤き領布  平井照敏
       土用芽や温泉町つづきに垣低く  木村蕪城
       土用芽や遠くたしかに雷ひとつ  細川加賀
       土用芽をしかと見てをり死が近し  風見潤
       土用芽に梯子掛けても届かざり  鳥羽散歩
       土用芽にしよんべん引つ掛けてやれ  鳥羽散歩

今週の「朝日俳壇」より(2020/8/23掲載)  あの夏の日の丸の波のまにまにミンダナオ海溝に眠れる従兄!  そんなにも偉いお方が俳句詠み朝日俳壇に投稿するとは!  ご亭主は屋根師で大の遊び好き!他所の女に抱き付いて寝る!  「棺」には価格差在るが「柩」には価格差はもち貴賤も在らぬ!

     長谷川櫂選

○   終戦忌白木の箱にして柩  (岐阜県揖斐川町)野原武

 首席。
 「棺という白木の箱。戦争を納めるかのように」とは、選者・長谷川氏のややポイントをずらしたような寸評である。
 「白木」とは「樹木の皮を剥ぎ、削っただけで何も塗ってない木」のことであるから、作中の「白木の箱」とは、低価格で質素な「柩」ならぬ「棺」を指して云うのでありましょう。
 ところで、下掲の記事は『終活JP』に記載されている「棺」に関する記事である。
 「棺とは遺体を納める入れ物のことで、遺体が入る前の状態を<棺>といいます。しかし棺に遺体が入った状態は<柩>と書きます。どちらも同じ<ひつぎ>という読み方になりますが、遺体を入れる前と後では書き方が異なるので注意してください。ちなみに棺を英語で表すと<coffin>と書きます。棺を選ぶときには、故人の身長を考慮します。大きな身長の人が小さな棺に入ってしまったら、体が折れ曲がってしまいますので、そんなことがないように注意しましょう。基本的に故人の身長よりも<10~15㎝>ほど大きなサイズの棺を選ぶようにします。遺体は死後硬直によって、つま先がピンと張ってしまうので、棺にはある程度の余裕がなければいけません。棺のサイズは<尺>で表示されています。30㎝で1尺になるので、成人の棺は一般的に<6尺>もあれば問題ないでしょう。ただ先ほども言ったように、故人の体のサイズに合わせて窮屈にならないようにサイズを選んでください。棺には遺体を入れますが、一緒に<副葬品>を入れることがあります。副葬品というのは、死後の世界でも故人に『楽しく暮らしてほしい』という思いを託して、遺体と一緒に棺の中に入れるもののことです。一般的には故人が<愛用していたもの>や<好物の食品>などを棺に入れることが多いです。実例としては、故人がよく着用していた<洋服>や好きだった<お菓子>や<本>などを入れることが多いです。<副葬品として棺に入れてはいけないものもある>。実は副葬品は、なんでも入れていいというわけではありません。副葬品は遺体と一緒に火葬場で焼かれるものなので、<ライター>などの燃やしたときに危険なものは、副葬品にはしないようにしましょう。また<プラスチック・金属・皮革>なども副葬品には相応しありません。
ちなみに副葬品の種類に関しては、各自治体で<公害>などの観点から入れてはいけないものが決められているケースもありますので、火葬をする場所の自治体に予め確認をしておくといいでしょう。棺には大きく分けて4つの種類があり、それぞれに価格も異なります。そこで、棺の種類とそれぞれの価格相場をご紹介しますので、参考にしてみてください。子供のために作られた棺というのは、サイズが小さいですし<子供専用>で作成されているものがほとんどです。子供の年齢や体の大きさなどによって<1~4尺>ほどのサイズが用意されています。また、赤ちゃんのために棺の中が<ベッドのよう>になっているものや、天使や動物などの可愛らしい模様が施されている棺もあるので、子供らしさを感じさせることができます。子供用の棺は平均して2~5万円程度で販売されています。基本的に棺というのは<桐>を素材にして作られることが多く、価格相場は2~10万円ほどになります。木製の棺では、使用する木材の種類や彫刻の有無などによって価格に大きな変動があります。質素な棺であれば最低価格で用意ができますが、木材に<ヒノキ>や<モミ>を使用した棺になると30~200万円という高額になります。棺にこだわりを持ち、金銭面で余裕があるという場合には木材や彫刻に力を入れる人もいます。組み立て式の棺というのは、たった一人でも簡単に組み立てることができます。折り畳むことができるので、生前から自宅で保管をしておくという人が組み立て式の棺を使うことがあります。組み立て式の棺は意外と安く、価格相場は2~3万円になります。布張りの棺というのは、木製の棺に『絹・綿』などの布を貼りつけたものです。布を貼りつけるだけで、棺のイメージがとても温かみを持ったものになります。最近では、故人のイメージや好みなどに合わせて布を選んであげることができるので、布張りの棺を選ぶ人が増えています。布の種類などによって金額に変動がありますが、相場価格は2~10万円となります。棺には色々な種類があり価格も様々あります。ただ故人を納めるものであり、故人の好きだった副葬品なども入れるものになります。ですから、故人の趣味嗜好やイメージなどを考えながら、故人が喜びそうな棺を選んであげるのが遺族のできることです。また、葬儀に参列した人が棺を見て故人のイメージに合っていると思ってくれたら、それもまた嬉しいことです。棺は火葬場で遺体と一緒に焼かれてしまいますが、故人が最期に過ごす場所でもありますので、後悔のないように選びましょう」との事である。
     「棺」には価格差在るが「柩」には価格差はもち貴賤も在らぬ!


○   あの夏の万歳を背に帰らざる  (福知山市)森井敏行

 次席。
 「万歳で送ったのは国民。二度とないとは限らず」とは、選者・長谷川氏の寸評。
 私・鳥羽散歩の記憶の底にも、万歳三唱し日の丸の旗を振って出征兵士の従兄を見送った光景が未だに焼き付いております。
     あの夏の日の丸の波のまにまにミンダナオ海溝に眠れる従兄!


○   杉皮を敷きて屋根師の三尺寝  (神戸市)内田あさ子

 六席及び高山選の七席。
 「杉皮を敷きて屋根師の三尺寝」とは、よく詠んだものである。
 察するに、掲句は、作者・内田あさ子さんの記憶の中に在る、昭和三十年代以前に於ける屋根葺き職人たちの杉皮屋根を葺いている光景に取材して詠んだ一句でありましょう。
     ご亭主は屋根師で大の遊び好き!他所の女に抱き付いて寝る!


○   近づけばまた不知火の遠ざかり  (大阪市)上西左大信

 末席。
 「八朔のころ。今も見えるだろうか」とは、選者・長谷川氏の寸評。
 「不知火」とは、「有明海と八代海の沿岸で真夏にみられる光の異常屈折現象。海上の漁火が実際の数よりもずっと多く明滅し,また横に広がってみえる奇観を呈する。これは夜になって干潟と海面の温度に差が生じると,その上の空気の密度も異なり,微風があると密度の異なる空気の小気塊が湾内を満たし,それらがレンズと同様の作用をして,光が不規則屈折をするために起こる」との事である。
 ところで、「電話帳に掲載されている情報によると、<上西>という姓(苗字)の人は全国に約13,000人程おり、全国で<1,353番目>に多い名字となっています。<上西>の読み方については、一般的に<うえにし>の他に<かみにし・じょうにし,・うわにし>とよみます。日本全国で見ると、<上西>さんは主に<大阪→北海道→奈良→和歌山→兵庫>の順に多く分布しているようです」との事である。
 インターネットから得た情報に拠りますと、本作の作者の上西左大信さんは <大阪府大阪市天王寺区悲田院町8番22号ニッセイ天王寺ビル6階>所在の「上西左大信税理士事務所」の所長をお務めのご様子で、自社の所長職の他に、「日本税理士会連合会・税制審議会専門委員、公益財団法人日本税務研究センター常務理事、総務省・償却資産課税のあり方に関する調査研究委員会委員(以上、現任)、中小企業庁・事業承継協議会(相続関連事業承継法制等検討委員会)委員、政府税制調査会・専門家委員会特別委員、税理士試験(第61回・第62回・第63回)試験委員、中小企業政策審議会臨時委員、政府税制調査会特別委員、法制審議会民法(相続関係)部会委員、日本税理士会連合会・調査研究部特命委員」等などの、数多くの公職にお就きのようにも見受けられますが、私などとは異なり、斯くもご多忙でお偉い方が俳句を詠まれ、朝日俳壇に御投稿なさるところに、朝日俳壇の奥行きの深さと、作者ご本人の教養の幅の広さが感じられるのであり、その論評に当る私・鳥羽散歩は、この際、襟を正してその任に当るべきかと覚悟している次第であります(なんちゃったりして!)。
     そんなにも偉いお方が俳句詠み朝日俳壇に投稿するとは!

今週の「朝日俳壇」より(2020/8/23掲載)  南部鉄・風鈴の音に耳澄まし老残一人秋涼を待つ!  柿の木坂・マダムロタンで求めたる赤ちやんベッドも断捨離をせり!  「吾輩の青春語彙を暴露す」と云つてはみたが月並みだなあ!  東京は一大歓楽境にして有象無象が夜遊びに来る!  コロナ禍はこの際付け足し!この夏の旅行に被りたかつた帽子!  あまりにも安直過ぎるヨミなれば選者としての寸評たり得ず!

     大串章選

○   八月や日に日に空の恐ろしく  (岐阜県揖斐川町)野原武

 首席。
 「核爆発の恐怖。1945年8月6日広島に、9日長崎に原子爆弾が投下された」とは、選者・大串氏の寸評でありますが、思うに、「日本との戦争を一日も早く終わらせるために」との名目で以て為された、アメリカ合衆国による広島・長崎への原爆投下が選者の大串章氏の寸評の中では、「核爆発の恐怖」などと一般化されているのであり、こうした表現は、本来は<敗戦記念日>というべきを<終戦記念日・終戦忌>とするのと軌を一にした表現でありましょう。
 また、掲句の作者がお住いの岐阜県揖斐川町が、町の中心を揖斐川が流れている点や、両白山地南西部の越美山地の能郷白山、三周ヶ岳、花房山、小津権現山や、伊吹山地の伊吹山、金糞岳、貝月山、池田山などの山岳に囲まれている点などに留意すれば、台風襲来が予測される八月の豪雨や山崩れなどに拠る被害の巨大さも、野原武さんをして「八月や日に日に空の恐ろしく」と詠ましめた要因の一つでありましょう。
      ご本家の豊年満作嬉しいと広く大きな心を持とう!


○   玉砕を辞書で引く子や終戦忌  (橿原市)上田義明

 次席。
 「太平洋戦争に於ける日本軍部隊の全滅ひいては戦争の無惨を知ってほしい」とは、選者・大串氏の寸評。
 「<ひいては>とは<=>即ち等号」でありましょうが、「太平洋戦争に於ける日本軍部隊の全滅」と「戦争の無惨さ」とは、必ずしも<等号>で以て語られるような性質のものではありません!
     あまりにも安直過ぎるヨミなれば選者としての寸評たり得ず!


○   叶はざる旅空港の夏帽子  (大田原市)森加名恵

 三席。
 「コロナ禍による航空機の運航中止が相次ぐ」とは、選者・大串氏の寸評ではありますが、件の大串氏の寸評は、あまりにも浅読みに過ぎましょう。
 何故ならば、掲句は、「コロナ禍による航空機の運航中止が相次ぐ」事を慨歎した一句と言うよりも、むしろ、「この夏に被る事が叶わなかった夏帽子への郷愁」を述べようとした一句であるからである。
     コロナ禍はこの際付け足し!この夏の旅行に被りたかつた帽子!


○   東京は一大孤島大暑来る  (三木市)内田幸子

 四席。
 決して決して、「東京は一大孤島」ではありません!
 何故ならば、東京都と川一つ隔て、数多くの頑丈な鉄橋で結ばれた向こう側には、と神奈川県や千葉県や埼玉県があり、また、東京都と山一つ隔てた向かい側には山梨県が在るからであり、それらの橋を渡ったり山を越えたりして、日本全国の方々が新型コロナウイルスに感染するのも恐れずに、この夏も東京観光に遣って来たからである。
     東京は一大歓楽境にして有象無象が夜遊びに来る!


○   曝書して青春の語彙よみがへり  (東京都)望月清彦

 五席。
 真に恥ずかしながら、この機会に、我が「青春語彙」の中の幾つかを紹介させていただきますと、「蹉跌・反逆・抵抗・引き籠り・黙視・だんまり・ずる休み・堕落・逃避・僻み・悔恨・苦渋・デカダン・ヒロポン・にこにこポン・裏日本・無頼派・新戯作派・太宰・織田作・安吾・左利きコンプレックス・容貌コンプレックス・パンドラの篋………………」等など、さまざまでありましょう。
     「吾輩の青春語彙を暴露す」と云つてはみたが月並みだなあ!


○   来し方を揺らし籐椅子ゆらしけり  (鹿児島市)青野迦葉

 七席。
 「来し方」と言われれば、私・鳥羽散歩は、朝日俳壇の入選常連作家の一人である、掲句の作者・青野迦葉さんの俳人としての「来し方」に思いを致さねばなりません。
 あれは何かの間違いであったに違いありませんが、朝日俳壇の投稿作家としての青野迦葉さんにとっての平成二年は、必ずしも順境を在った「来し方」とは言えません!
 そんな順境ならざる「来し方」も含めて、掲句の作者の青野迦葉さんは、「籐椅子ゆらし」ながら、自らの「来し方を揺らし」ていらっしゃるのでありましょう。
     柿の木坂・マダムロタンで求めたる赤ちやんベッドも断捨離をせり!


○   風鈴の身近となりし余生かな  (八代市)山下しげ人

 八席。
 然り!
 私・鳥羽散歩は、馬齢・八十歳にして初めて、我が家の軒に吊るされた、南部鉄製の「風鈴」の音色に耳を傾けるようになりました! 
     南部鉄・風鈴の音に耳澄まし老残一人秋涼を待つ!

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Author:鳥羽散歩
卑しくも<詩歌ブログ>を名乗る以上は、イラストやカラー写真で以て読者に取り入ろうとしてはなりません。ましてや、田舎町の安手のレストランで食べた料理のカラー写真で以て読者を幻惑させようとするのは論外です!当ブログは、カラー写真やイラストの類の夾雑物は一切無しの<詩歌ブログ>です。

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