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今週の「朝日歌壇」より(2018/8/26掲載・そのⅠ)                      斉藤に大石・福井!早大の三羽鴉の実力の程! 

2018.08.31(21:15) 252

〇  九条がほんとに邪魔になるだろう高価な「イージス・アショア」を買えば  (千葉市)佐々俊男

 「日本国政府は、昨年十二月に<陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)>を二基、導入することを決定し、その後、具体的な構成品の導入の検討をも進めていて、この七月末には、構成品中の要とも言うべき<レーダー>を<MDA(米国ミサイル防衛庁)>提案、<ロッキード・マーチン社>製造の<LMSSR>にする事に決定した」との事である。
 「「イージス・アショア」導入に要する費用は、四千五百億円ともそれ以上とも言われていて、青天井、底無し沼の如き様相を呈しているのである。
 また、その二基の配備基地に就いても、「安倍政権及び防衛相幹部の胸中には、安倍総理の選挙区の山口県内の自衛隊駐屯地、及び、菅官房長官の出生地の秋田県内の自衛隊駐屯地に設置する」との想定が、既に為されているのであるが、両県共に地域住民の反対運動が展開されているのであり、特に秋田県に於いては、殿様知事とのニックネームを持つ佐竹敬久知事までが、去る六月二十一日に、「地上配備型迎撃システム<イージス・アショア>の陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備に関連した政府の防衛政策を、『ちぐはぐでデリカシーがない。強引で不愉快だ』」などと批判したので、慌てふためいた安倍総理は、自らの代貸し格の菅義偉官房長官を現地に派遣して、陸上配備型迎撃ミサイルシステム<イージス・アショア>を秋田県に配置する事の意義とその必要性とに就いて、地元住民らに理解を求める為の講演会を開くなどのテイタラクなのであります。
 そうした雑事はともかくとしても、地上配備型迎撃システム<イージス・アショア>の導入に就いては、その導入時に、「五千億円余りの現金をポンとアメリカ人の懐に突き付ければそれでお終い」という訳では無くて、「イージス・アショアの導入=日米安保体制の恒久的な存続」という方程式になっているので、この問題のややこしさは、将棋界のニュー・プリンスこと、藤井聡太七段でさえも、到底解くことが出来ない詰将棋的な様相を呈しているのである。
 永田選の首席。

     安倍三選!即、邪魔者扱ひされむや菅義偉氏!超田舎者!  鳥羽散歩
     知り過ぎた者は即ち除かれむ!菅義偉氏閣内横滑り!
     邪魔者は除け!とばかりに強引な憲法改悪法案可決!


〇  空しきは核禁条約に触れもせぬ広島忌での首相のあいさつ  (三原市)岡田独甫

 曰く、「一発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、十数万ともいわれる貴い命を奪いました。あれから73年、一命を取りとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々のみ霊に対し、謹んで、哀悼の誠をささげます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国として、<核兵器のない世界>の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくこと。それは、わが国の使命です。近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。真に<核兵器のない世界>を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。わが国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意です。その具体的な取り組みとして昨年、核軍縮に関する<賢人会議>を、ここ広島で開催しました。<賢人会議>を通じて有識者の知見も得ながら、核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。また、その非人道性を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがわれわれにはあります。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取り組みをしっかりと推し進めてまいります。被爆者の方々への援護施策については、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、<核兵器のない世界>と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆さま、ならびに参列者、広島市民の皆さまのご平安を祈念いたしまして、私の挨拶と致します。」とか!

 「核兵器のない世界」を三回に亘って強調したのは、シンガポールで行われた「米朝賢人会談」こそが「核兵器のない世界」を実現する為の第一歩だと言いたかったのでありましょうか?
 また、「真に<核兵器のない世界>を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。わが国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく決意です」などと口にするに及んでは、自らの品格・頭脳の程度の悪さを満天下に公表したようなものではありませんか?
 永田選の次席。

     被爆国の首相にしてのこの言辞!核兵器国の三百代言!  鳥羽散歩


〇  100回が百年ならず開催のかなわぬ年を忘るるなかれ  (柏市)菅谷修

 1940年代は高校野球の歴史にとっても暗雲に覆われた時代だった。
 太平洋戦争が始まった1941年には地方大会のみが実施され、全国大会は開催されなかった。
 そして、翌年からの4年間は大会そのものが戦争の為に中止になったのである。
 私たち高校野球ファンは、決してこうした事実を忘れてはなりません!
 第25回大会(1939)に出場して優勝までの全5試合で完封勝ちしたのは、海草中学の嶋清一投手である。
 彼は、この大会の準決勝と決勝に於いて二試合連続のノーヒットノーランを達成したのであるが、1940年、明治大学に進学した後、学徒出陣で太平洋戦争に出征して、ベトナム沖で戦死し帰らぬ人となった。
 また、「日本のプロ野球は、沢村が投げ、景浦が打って始まった」とは、よく言われている事である。
 東京巨人の沢村栄治(京都商出身)が速球を投じ、大阪タイガースの景浦将(松山商出身)が持ち前の豪快なスイングで応戦した。
 しかし、プロ野球草創期のヒーローは、二人ともに軍隊に召集され戦死する。
 沢村が27歳、景浦が29歳の若さだった。
 その景浦将が甲子園に名を残すのは第18回大会(1932)である。
 彼は、松山商業の6番・三塁手で、救援投手も担ったが決勝で惜敗した。
 立教大学を経てプロ野球入りした景浦は、首位打者や打点王、最優秀防御率のタイトルを手にしたが、1945年5月、フィリピンで戦死した。
 一方の沢村栄治が甲子園に登場したのは第20回大会(1934)である。
 彼は、京都商業のエースとして甲子園のマウンドを踏んだが、1回戦で鳥取一中に敗れて姿を消した。
 プロ野球の巨人に入団した後の沢村は、持ち前の剛速球を駆使して伝説的な大活躍をしたが、手榴弾投擲兵として出征して、太平洋戦争で戦死した。
 折りも折り、今年の夏の甲子園は、ド田舎・秋田の金足農業高校の決勝戦進出と、そのエースピッチャー吉田輝星投手ブームで沸いたのであるが、今日のこうした隆盛の陰には、太平洋戦争の犠牲として亡くなった、多くの名選手が存在した事も、私たち高校野球ファンは、決して、決して忘れてはなりません!
 永田選の三席。

     斉藤に大石・福井!早大の三羽鴉の実力の程!  鳥羽散歩

   
〇  どうせいつも俺が悪いと怒りだすわたしが先に怒ってたのに  (佐渡市)藍原秋子

 夫婦喧嘩は犬は勿論のこと、ハクビシンさえも喰いません!
 永田選の四席。

     「悪いのは私なのよ!」と拗ねてみせ、抱かれて泣いた藍原秋子!  鳥羽散歩


〇  ほどかれた舟が幾度も川べりにぶつかるようなさよならでした  (西東京市)本条恵

 「ほどかれた舟が幾度も川べりにぶつかる(ような)」という、台風時のダイナミックな舟溜まりの風景の実写は、「さよなら模様」の直喩としての役割りを果たしていて充分である! 
 永田選の五席。

     ぶつかって抱かれて泣いて別れたの!私と貴方!牝馬 と牡馬と!  鳥羽散歩


〇  おおきくはしなくていいと祖父はいい父もまもったちいさな書店  (東京都)高橋千絵

 その「ちいさな書店」の経営が行き詰っての閉店が社会問題となっているのは、昨今の我が国の現状である!
 私の幼年時の我が故里、人口二万人余りの北東北の田舎町には、書籍販売の専門店が三軒も在ったのですが、今となっては、それも昔物語であり、本と名の付くものは、文庫版の本さえも買う事が出来ません!
 永田選の七席。

     大きくはしなくていいと思ったが私の代で潰れた書店  鳥羽散歩

 
〇  たずねれば必ず死にたくないと答う何せ初めてのことだからと母  (佐世保市)近藤福代

 斯くまでに世知辛いこの世の中でありますから、ご家族の誰かに二度も三度も死なれたら、残された家族の方々の生活が行き詰ってしまいますよ!
 永田選の八席。

     死にたくない死にたくないと言うけれど盆に帰った幽霊なのだ  鳥羽散歩


〇  苦しまずに死にましたかと問ひしひとも逝きて戦後は幾たびの夏  (生駒市)辻岡瑛雄

  彼の「ひと」は、自らは「苦しまず」に死んだのでありましょうか?
 永田選の九席。

     苦しまずに死んで行ったか行かぬかは死んだ者でなければ分からぬ  鳥羽散歩


〇  反り返り口がへの字の大臣の物真似すれば座は盛り上がる  (三郷市)木村義煕

 あの方が、大臣席に反り返って座り、口をへの字に曲げて「下々の皆さんよ、日本ほど安全で治安の良い国はない。ブサイクな人でも美人でも、夜中に平気で歩けるのだから、日本ていう国はみぞゆうの国なんですよ!」などと言ったら、笑点の大喜利メンバーの三遊亭円楽師匠に嫉妬されましょう。
 永田選の末席。

     みぞゆうの繁栄ぶりを誇るのも北朝鮮のお蔭なのです  鳥羽散歩
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